421. Boyhood 3-5


「お忙しいなか時間を割いて頂きありがとうございます。こちらからなら練習の風景も見えますから、どうぞお座りください」

「ああ、どうも」



 クラブハウスの二階に設けられているラウンジへやってきた財部は、続けて現れた陽翔の母親を手招きし、窓際の席へと案内する。


 春季のU-18リーグ開幕戦、陽翔の活躍も含めセレゾン大阪ユースが見事な快勝を収めた翌日。財部はついに、陽翔の母親と顔を合わせる機会に恵まれた。



「梅雨入り前とはいえ暑いですよねえ……あ、そこのウォーターサーバー飲み放題なんで後で好きなだけ使ってください。コーヒーも飲める最新のやつなんですよ」


 どうにか場を持たせようと、空白を埋めるかのように口を開く財部であったが。今日ここまで滅多に顔色を変えない母親を前にやり辛さは否めない。


 出向いてもらったのには、保護者面談や進路指導といった在り来たりな高校生らしいものが理由ではない。陽翔の将来を決定付ける重要な話し合いの場であったことは確かだが。



 育成年代のうちにプロの試合へ出場することの出来る「二種登録」を既に済ませている陽翔だが、トップのトラショーラス監督からの強い要請もあり、早くもプロ契約の話が固まりつつあった。


 セレゾンと提携している高校へ通学している現状、これといって契約にあたり大きな弊害こそ無いものの。やはりまだ15歳の少年が将来を決めるにおいて、両親の承諾は必要不可欠。


 本格的にトップチームへ合流する前に、改めて陽翔の現在の状況や今後の活動について了承を得るため、チームの強化部と話し合いの場が持たれたのだ。


 ユースコーチという立場や、長らく陽翔を指導して来たという経歴も含め、財部も上層部と共に会合へ出席していた。



「それで、どういった用事ですか?」

「はい?」

「契約のお話は、さっき聞きました。書類も頂いたので、特に問題は無いです。プロ契約は16歳になるまで待たないといけないのも、授業に出られなくなるのも、もう聞いてます」


 勘定に乏しい無機質な瞳。

 ほっそりとした顔立ちも陽翔と良く似ている。


 加えてこの無愛想な物言い。

 間違いなく陽翔の母親だ。



 もし陽翔が女性だったらこんな感じに成長するのだろうかと、一人勝手に想像を膨らませていた財部であったが。それ故に、母親の一貫した冷静ぶりにやや気後れしていた。


 テーブルを隔て財部をジッと見つめる母親。


 こんなところまで親子で良く似るものだな、と財部はある意味感心していた。表情には出ずとも、何を考えているかはしっかり分かる。


 なるべく早くここから立ち去りたい。

 言葉にせずとも伝わるものがあった。



「まぁ、なんと言いますか……改めてお母様のお気持ちを聞いておきたかった、というのが一番ですかね」

「私の?」


 二人きりのスタンドで交わした彼とのやり取りを、財部は鮮明に覚えていた。口にこそ出しはしなかったが、彼が何よりも求めているモノを、改めて知ることが出来たあの夜。


 今更取り繕う必要も無いだろう。

 この親子の間には明確な溝がある。



「こういう言い方もなんですが、陽翔くんが実際にプレーしているところを、こうやって観たことも少ないんじゃないかなって…………去年のワールドカップとか、ご覧になりましたか?」

「いえ。仕事で忙しかったものですから。夜の遅い時間だったので。一応、結果だけは同僚に教えて貰いましたが」

「……そう、ですか」


 次に向けるべき言葉がまるで思い当たらず、財部は窓ガラスの奥でミニゲームに励む陽翔へそっと視線を移した。思わず心中で頭を抱えるばかり。



 あまりにも関心が無い。

 これが息子の成すことに対する態度なのか。


 数日前から沸々と、数滴のように。だが確実に認め始めていた違和感がコップから溢れ返り、確信へと変わった瞬間だった。遠い世界の、興味も無い出来事を聞かされるような母親の反応に、財部は無性に喉を乾かした。



「……いやあ。それにしても、陽翔は本当に凄いですよ。セレゾンどころか、今や日本サッカー界の宝ですから。ご両親の教育の賜物ですね」

「…………辞めてください、そういうの」


 乾き切った口から出た未熟なおべっかは、陽翔の母親には通用しなかった。これは流石に無いか、と財部も内心反省し、気を取り直して話を続ける。



「でも、周りの反響も凄いんじゃないですか? ワールドカップが終わってから取材とか来ませんでしたか?」

「断りました。良く分からないので」

「……分からない、というと?」

「私も主人も、サッカーのことはからっきしですから」


 困った様子でおずおずと頭を下げる母親に、財部はその言葉の裏に隠されたもう一つの真意を読み取った。


 分からないのは、サッカーだけではない。

 恐らく本当に、この人は答えられないのだ。

 陽翔のことについて、何も知らないのだから。



「……失礼を承知で言わせて頂きたいんですが」


 いよいよ業を煮やした財部は確信へ触れることにした。これ以上、外堀から窺うような真似は何の意味も持たない。



「ずっと不思議には思っていたんです。我々のようなプロの育成機関ともなれば、選手のご両親たちは皆さん、プロ入りを本気で応援していらっしゃる方々が大半ですから」

「……そう、なんですか」

「全員が全員というわけではありませんが……教育熱心と言いますか、少し過保護な方もいらっしゃいます。なんで試合に出さないんだとか、やりたいポジションでプレーさせないんだとか」

「は、はぁ」


 要領を得ない会話に母親は首を捻らせた。


 これでも伝わらないか。

 財部もついに腹を括った。



「……お母様の場合は、逆ですね。いや……その言い方も適切ではないかもしれません。これまで一度だって、陽翔の練習している姿や、試合でプレーする様子をご覧になったことがありますか?」

「…………ありません」

「あまり決めつけるような言い方もアレですが……これって、僕たち指導者からすると、とても不思議なことなんですよ。陽翔ほど有望なプレーヤーなら、例えスポーツ活動に反対していた親御さんでも、ここまで来たらプロを目指しなさいと、応援するようになるのが普通だと思います」

「…………応援は、してますよ」

「なら、それをしっかり陽翔に伝えてあげてください。本当に失礼なことを言ってしまいますが…………僕には、ご両親があまりにも無関心であるように見えてしまいます」


 意を決して言い放った言葉を、陽翔の母親は噛み締めるように聞いている。だが、表情に変化は現れない。恐らくこんなことを言われるのだろうと予測していたかのような冷静ぶりだ。



「……そうですね。正直に言えば……まぁ、言い方は悪いかもしれませんが、関心はありません。あの子が好きでやっていることですから……私たちが口を挟むようなことでもないですし」

「はぁ?」


 思わず漏れてしまった声に、財部は慌てて作り笑顔を浮かべその場を取り繕う。この回答だけは、流石の財部も予想外だったのだろう。



(ネグレクト……とかじゃないよな……)


 実際のところ、初めて顔を合わせた陽翔の母親は財部が想像していたよりもよっぽど「マトモ」な装いをしていた。


 常識的な所作を兼ね備えた立派な社会人、大人の女性である。やや無愛想なところはあるが、それほど性格的に破綻しているようにはどうしても見えない。



(それにしても……)

 


 母親の言葉がどうにも引っ掛かっていた。


 子どもに愛情を注げない、注がない親も昨今の社会情勢を踏まえればそれほど珍しいことでも無い。複雑な家庭環境が、陽翔に何らかの影響を及ぼしている。財部はそう読んでいた。


 だが、どうやらそういうわけでもない。彼も上手く言葉には出来なかったが、どうにもこの母親は陽翔に対して、意図的にをしているように感じたのだ。



 これから先は踏み込まない。

 踏み込むつもりも無い。


 まるで他人とのやり取りを見ているよう。

 血の繋がりを否定するような一貫した態度。


 困惑の色こそ隠せないが、財部は話を続けた。


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