420. Boyhood 3-4


「お疲れ陽翔。ちょっといいかな」


 数日後。財部は行動に出た。


 練習後、いつものように利用時間ギリギリまでトレーニングジムで汗を流し、ようやくクラブハウスから出て来た陽翔を捕まえる。

 学校指定のワイシャツに身を包み、使い古されたイヤホンに耳を傾ける彼の姿は、この場に限ればどこにでもいる一介の高校生となんら変わりはない。



「なんか用?」

「このあと時間ある?」

「時間って……もう10時やろ」

「そんな手間取らせないからさ。付き合ってよ」

「メシなら食堂で食ったけど」

「なら散歩でもしてカロリー消費しないと」


 練習中は誰に対しても公平でフレンドリーだが、プライベートにはほとんど干渉してこない財部からの珍しい誘い。


 偶には良いか、とおおよそ気紛れが原因ではあったが、陽翔は提案へ乗ることにした。



 財部の後を追い、トレーニングセンターの敷地内を練り歩く。財部は施設の管理人に一声掛け、グラウンドを一望できるスタンドへと彼を連れて来た。


 グラウンドを一周するように囲う観戦スタンドでは、常日頃からセレゾンの熱狂的なサポーターが集い歓声を飛ばしている。


 すぐ近くに隣接されたファンサービスエリアは、憧れのトップ選手に接近出来る貴重な交流の場だ。陽翔もトップの選手らに無理やり引っ張り出されては、書き慣れないサインを強請られている。



「ほら。座りなよ」

「……いや、なんで?」

「いいから、いいから」


 スタンドの最後列に座らされた陽翔は、一体どういうつもりなのかと首を傾げ疑問符を浮かべる。

 隣へ腰を下ろした財部は、天然芝のグラウンドを見下ろし気持ち良さそうに腕を引き伸ばす。



「んんーっ……! 良い感じに涼しいねー…………ほら陽翔。見て。星、すっごい綺麗でしょ」

「…………おー……」


 釣られて陽翔も上空を見上げる。


 星座の類など彼には分からなかったが、雲一つない天井には満開の星々が広がり、青み掛かった芝生を仄かに照らし出している。


 大阪の外れにある舞洲でなら都心部の野暮ったい灯りに邪魔されることも無い。暖かい風が頬を撫で上げ、目元にまで掛かった前髪が小さく揺れ動いた。



「誰も居ないグラウンドで、こうやって星を眺めながらボーっとする……我ながら結構いい趣味してると思うんだけど、どう?」

「どう、って言われても」

「でも綺麗でしょ?」

「…………悪かねえな」


 照れ隠しには程遠い呟きではあったが、珍しく素直な反応を見せる陽翔に、財部は口元を綻ばせた。


 なにも不思議なことは無い。こうしてサッカーから離れているうちは、少しばかり感情表現に乏しいだけで、陽翔も普通の15歳なのだから。



「で? わざわざこれを見せに来たんか」

「まぁ半分はね。毎日の練習も、勿論大切だけど…………偶にはこうして、ゆっくり空を眺める時間があっても良いと思うよ。特に陽翔は」

「……ふん。余計なお世話や」

「そんな調子だから世話焼かれるんだよ」


 やれやれ、と草臥れた中年の哀愁にも似た情緒を漂わせ首を振る陽翔に、財部も苦笑を浮かべる。


 大人びているのか、転じて子どもっぽいのか。思春期の複雑な心境と一言で片付けるには惜しい彼の有り様を、暖かな瞳で見守た。



「陽翔……監督からもう話は聞いた?」

「……どっちの?」

「トップの。トラショーラスから」

「…………いや、特には」


 財部の指す人物は、セレゾン大阪トップチームの監督を務めるスペイン人指揮官、セルヒオ・トラショーラス氏のことである。


 既に何度もトップの練習へ参加している陽翔。幼少期からのたゆまぬ努力の成果か通訳を介さなくともコミュニケーションを取れる外国人監督の存在は、ユースの江原監督以上に陽翔へ強い影響をもたらしていた。



 ここ数年ほど日本で指揮を執っているベテラン監督で、母国スペインでも一部下位から二部上位のクラブで豊富な指導歴を持つ、若手育成に定評のある名伯楽。


 白髪に髭を蓄え、大柄ではあるがほっそりとした出で立ち。サッカーファンの間では、スペイン語で英国人を意味する「イングレス」の呼び名で親しまれている。



「そっか。じゃあ俺からでも良いかな……8月の頭に大阪ダービーがあるでしょ。ガンズ大阪とのホームゲーム。そこを目安に、本格的にトップへ合流させたいんだってさ」

「…………ホンマか?」

「今日の午前中にね。本人から言われた」

「U-23からの合流やなくて?」

「知ってるだろ? サプライズ大好きなんだよあの人……U-23の三部も、トップの一部でも、プロに変わりはないんだから。せっかくならレベルの高い方でお披露目したいってわけ」

「…………まぁチェコの考えそうなことやな」


 親しい間柄だけで使われる愛称で彼をそう呼んだ陽翔だが、無関心を匂わせる口振りとは裏腹に、分かりやすく視線が泳いでいた。


 無理も無い話だ。世代別のワールドカップや、ユース世代での大きな大会とは比較にならない。

 16歳の誕生日までトップ契約は出来ないが、プロへの第一歩を華々しく飾るという夢にまで見た現実が目前に迫って来たというのだから。



「遂にここまで来たね」

「遅すぎるくらいやけどな」

「おいおい。15歳と5か月弱って、ギリギリだけど最年少記録だよ。それも一部に限れば半年近く更新だ。暫くはU-23とユースが主戦場だろうけど……これからもっと忙しくなるね」

「馬鹿言うな。すぐレギュラー取るわ」

「あはは……まぁ、その心意気が大事だね」


 軽くお茶を濁す財部だが、トラショーラスから聞かされた話を鵜呑みにするならば。恐らくあの監督は、すぐにでもトップのレギュラーへ据える考えだろう。



 お世辞にもチームの調子は良いとは言えない。攻撃陣のテコ入れが必須な状況で、外国人枠は既に埋まっている。長期の怪我人も続出しており、夏の移籍期間で補強を行う余裕も無いと聞いた。


 ゴール前で見せるイマジネーション溢れるプレーは、間違いなくプロの舞台でも通用するだろう。既に170センチを超え逞しさを増して来た身体面も大きな弱みとはならないはずだ。


 話題性だけではない。

 名伯楽の気紛れな抜擢でもない。

 彼の実力が正当に評価された結果だ。



(…………でも……)


 財部には大きな気掛かりがあった。

 ここ最近の彼の言動も含めてではあるが。


 それは実力的な問題でも。

 ましてや江原監督との確執が理由でもない。



「なぁ陽翔。今日の話、親御さんだけにでも話してあげなよ。きっと喜ぶから」

「……出張中」

「あぁ、そっか……いつ頃帰って来そう?」

「さあ。興味無いわ」

「……一応さ。いよいよプロデビューするわけだから、親御さんにも話は通さないといけないんだ。出来ればクラブハウスに来てもらって、フロントと話を……」

「来るわけねえ。スクール入った頃も、ワールドカップで家空けるときでさえハンコ持たせて俺一人で全部やらせとるんや。プロでもなんでも顔出すとは思えん」


 分かり切ったことを聞くなという様子で酷く顔を顰める陽翔。話題に挙げられるのも心苦しい。そんな心境が痛いほど伝わって来る。


 やはり違和感は拭い切れない。


 確執とまではいかないまでも、この親子の間にはあまりに大きな溝、高い壁がある。陽翔もそれをわざわざ口にしようとはしないが。



「…………喧嘩とかじゃ……ないよね」

「んなやり取り出来るほどの関係もねえよ」

「……でも、俺は知ってるよ。陽翔」



 小学生の頃からずっと陽翔を見て来た財部だ。

 彼の求めていることは、自ずと見えて来る。



「選抜クラスの頃……全国で優勝したときのインタビューだ。よく覚えてるよ。この気持ちを誰に伝えたいですかってインタビュアーに聞かれて……しっかり台本まで用意してもらってたのに、答えられなかったよね。両親に伝えたいですって……」

「…………んなん、覚えとらんわ」

「俺は覚えてる。ワールドカップのナイジェリア戦……やっぱり同じ質問をされて、君は答えられなかった。それだけじゃないよ。試合を観に来ている他の子たちの親御さんを見て、寂しそうにしていたね……スタンドをジッと眺めて、いつも誰かを探していた」



 泥を噛むように額へ皺を寄せる。

 そんな陽翔の気持ちを、財部は代弁する。



「……本当は、ずっと見て貰いたかったんだろう? サッカーで活躍する姿を。自分がここにいるって、分かって欲しかったんだろ? 自分がどういう人間か……証明したかったんじゃないのか?」

「…………っ……!」

「やっと分かった気がするんだ。陽翔、君が誰よりもサッカーに打ち込むのは、のめり込んでいったのは…………このスポーツの魔力に憑り付かれたからじゃない。君が本当に憑り付かれているのは……」

「――――辞めろッ!!」



 切り裂くような悲鳴を飛ばし、酷く怯えた様子でその場から立ち上がる。息は切れ、今にも発狂してしまいそうな、あまりにも痛々しい姿。



「陽翔……っ」

「分かったような口利いてんじゃねえよ……ッ」


 肩を揺らし、目に見えない何かに恐れ慄く。

 彼の苦しみの正体を、財部は感じ取った。



「……ごめん。そうだよね。一番の原因は、君じゃないのかもしれない。でも、陽翔にも出来ることがある筈だ。俺はそういうわだかまりを抱えたまま、君にプロのピッチへ立ってほしくない」

「……………………分かってんだよ、んなの……」

「陽翔、待って!」

「帰るだけや…………お節介ならもうええ」



 逃げるようにスタンドから遠ざかる陽翔。


 財部は恐ろしいものを目にした気分だった。ピッチではあれだけ大きく頼りになる彼の背中が、こんなにも小さく見えるなんて。


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