419. Boyhood 3-3


「おおっ! ナイストラップ!」

「やっぱり上手いなあ廣瀬……!」


 ある日のトレーニング。ピッチ脇のスタンドでトレーニングを見学しているサポーターたちから、次々と歓声が上がる。7対7、フリーマン付きのミニゲームに励んでいたユースチーム。



 青色のビブスを纏う陽翔。左サイドタッチライン際に流れた自陣からのクリアボールを、右足のアウトサイドで巧みにトラップ。一切のブレを残さずピタリと足元に収めてみせる。


 すぐさま距離を詰めて来たディフェンダーをワンフェイクで軽々と躱し、中央へ切り込む。シンプルではあるが狡猾なボールタッチで相手を次々と置き去りにし、そのまま敵陣へと突き進むが。



「ストップ! 廣瀬、こっちに来いッ!」


 ホイッスルが鳴り響き、サングラス越しに江原の怒声がグラウンドに轟く。トレーニングは一時中断となった。



「テンポが遅いんだよッ! そんなところでボールをキープして何になる! もっと素早く、シンプルに前へ出せ! 黒川が走り出したのが見えていないのか!? カウンターのチャンスだっただろう!」


 気の抜けた面で説教を聞き流す陽翔。


 そんな彼の様子を気にも留めず、矢継ぎ早に叱責の声を飛ばす江原は、自身の放った言葉に感化されるが如く、益々顔色を赤く染めていく。


 今日何度目かという陽翔への痛烈な指導を、ゲームに入っていた面々は「また始まったか」とやや呆れた面持ちで眺めていた。



「予想通りっちゃそうだけどな……」

「そう、ですね……」


 同じ色のビブスを纏う内海と小田切は、これまでと同様に説教が長引くことを想定しピッチサイドのボトルへ手を掛ける。



「やっぱ嫌いだろうなあ……廣瀬みたいな選手」

「え……どういうことですか?」

「前に江原さんとサンチェスが喧嘩した話しただろ? サンチェスもそうだったんだよな……足元でボールコネまくって、中々手放さないっていうか?」

「言われてみればそうでしたけど……陽翔は別にボールプレーヤーってわけでもないんじゃ?」


 小田切の言葉が今ひとつピンと来ない内海。

 続けて小田切はこう話した。



「三週間も練習やってればだいたい分かるだろ? 江原のオッサン、カウンター大好きマンなんだよ。廣瀬みたいに自陣で時間使うプレーは気に食わないんだとさ」

「……まぁ、誰でも拘りの戦術はあるんじゃ?」

「それだけなら良いけどな? ほらよ……」


 小田切に誘われるまま視線を移すと、納得いかない様子で髪の毛を力任せに引っ掻く陽翔の姿。



「……出せるわけないやろ、あんなん」

「アア!? どういう意味だ!」

「だから……ただ前に走ってるだけ、フリーってだけでパスは出せないって言ってんすよ。だいたい人数も足りてへんし……途中でカットされて、逆にカウンター食らうのが目に見えとるわ」

「やろうともしないでなに言っているんだッ! お前の判断が遅いのがそもそもの原因だろうッ! 言い訳するなッ!」



「……ほーら、こうなった」

「気持ちは分かりますけど……」


 言い争いが始まり、二人は肩を落とした。


 陽翔の言い分は理に適っている。前線へ走り出していたビブス組の黒川はマークが付いていたし、カウンターへ転じるには味方の走り出しも足りていなかった。


 自陣で敢えて時間を作り、味方がスペースへ飛び出すタイミングを着々と窺っていたことを二人はとっくの昔に気付いている。


 ホイッスルが鳴ったのは、まさに陽翔がミドルレンジのパスを繰り出そうしたその瞬間であった。江原の指導に文句を付けたくなる気持ちは、二人にはよく分かったのだ。



「友永、代わりに入れ! チンタラするな!」

「あっ、は、はいっ!」


 ピッチサイドでランニングに勤しんでいた友永が、慌てて交代の準備を始める。


 メンバーチェンジを命じられた陽翔は分かりやすく不満を露わにし、ビブスを脱いで乱雑にピッチへ放り投げた。



「……はぁー。やってらんねー」

「廣瀬ッ! お前、その態度はなんだッ!」

「はいはい、抜けりゃええんやろ……」


 そのままトレーニングウェアも脱ぎ捨てインナーを一枚残し、ピッチサイドに転がっていたボールを取る陽翔。


 自由気ままにボールを操り、使っていないゴールマウスへ向かいシュートを放つ。渾身の怒りが込められているであろう強烈な一撃に、チームメイトたちの表情は揃って真っ青に硬直している。



「……続きだ続きッ! アイツのことは放っておけ! サッカーはチームプレーだ、アイツみたいになりたくないなら、しっかり集中しろッ!」


 再び江原の怒声が飛び交い、面々はミニゲームへと意識を戻す。


 すぐさま活気を取り戻す舞洲のグラウンドであったが、スタンドからはいったい何事かとざわめきが飛び交う有り様であった。



「江原さん。少し提案が」

「ああ? なんだ財部」

「ゲーム中でない子たちも、ボールには触れさせるべきです。こっちで纏めるので、少しお借りしても良いですか?」

「あぁ……なら頼んだ。廣瀬は勝手にさせておけ」

「いえ、彼も合流させます。来週はもう大会なんですから、あまりしこりを残すのも……」

「…………好きにしろ」


 江原の傲慢な態度にやや気後れする財部ではあったが、なんとか了承を取り付ける。ミニゲームが行われているピッチの外周を走っていた面々を呼び寄せた。



「待機組みんな集合! ゴール一つで、ツータッチまで、フリーマンもシュートオッケー! ほら陽翔! やるよ!」


 一応には指示へ従い、不満げに首を回し財部のもとへ歩み寄る陽翔。


 わざとらしく脱ぎ捨てたトレーニングウェアを踏み付けそれを拾うと、ピッチの脇へ力任せに放り投げる。これには思わず財部も顔を顰めた。


 今となっては珍しくも無い光景だ。毎日のように江原と繰り広げる言い争いに、財部も流石に手を打たないわけにはいかなかった。



(そりゃ反発したくもなるよなぁ……)


 子ども染みた反抗だけではないことも財部は重々理解していたが、それにしても彼が置かれているこの状況は、決して褒められたものでは無い。


 幼少期から圧倒的な才能を発揮し、常にチームのナンバーワンプレーヤーとして幅を利かせて来た陽翔。ここまで頭ごなしに叱責された経験は無かった。



 かくいう財部も、彼の尊大な態度にあまり口出しも出来ず、ここまで見過ごして来た元凶たる内の一人だ。その自覚は持っていたし、だからこそ、このタイミングでの助言が必要だと考えていた。


 練習内容を説明し、再びピッチに広がる面々。

 内の一人である宮本が、陽翔に何やら話し掛ける。



「ハッ。ザマァねえな」

「……………あっ?」

「監督の言う通りや。サッカーはチームスポーツ……お前がどんだけ上手かろうと知ったこっちゃないんや。カシラの言うことも聞けんと、試合には出られへんわなぁ?」

「……気楽でええな、ええ子ちゃんは」

「あ? なんや、もっかい言ってみろや……!」

「足元がクソなら耳まで悪いんか? 俺が何しようと、お前がベンチにも入れねえクソザコなことに変わりゃねえんだよ。今度はしっかり聞こえたか?」

「テメェ……!」


 今にも一触即発の険悪な雰囲気。

 思わず財部が止めに入る。



「そこの二人ッ! 練習に関係無いことなら外でやってくれ! 啓二郎、わざわざ煽るようなこと言うんじゃないよ。陽翔もちょっとは落ち着いて! 次やったら本当に練習外すよ!」

「…………すんません、コーチ」

「ん。それでいい。陽翔は?」

「……俺がなんかしたってのかよ……ッ」

「陽翔ッ!」

「……………………フリーマン、俺がやるんで」



 財部の顔も見ずピッチへ舞い戻る陽翔。やや悪い空気にはなってしまったが、どうにか練習は再開された。

 改善には至らないものの、こちらでも相変わらず図抜けたテクニックを披露する陽翔に、財部も深いため息を吐く。



 財部も分かっている。

 今日の一連の騒動、陽翔に非はまったく無い。


 江原の過剰な物言いに選手たちがストレスを溜めていることを、目の前で指導にあたる財部が理解していない筈がない。彼自身も江原への不満を抱えているうちの一人だ。


 監督とコーチという立場上、提案することは出来ても否定は出来ない。ユースチームにおけるすべての権限は江原が握っている。


 自身の立ち位置も考えればあまり大きなことは言えない、大人の事情もある。



 とはいえ、このままではこのチームも。

 そして廣瀬陽翔という卓越したプレーヤーも。



(俺もいい加減にしないとな……)


 自身の不出来で、チームを。

 陽翔を潰すことは出来ない。


 決意を新たにした財部は、一際大きい声で指示を飛ばす陽翔を注意深く見つめる。ユースチームの全国リーグ開幕が一週間後に迫っていた。


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