416. カウンターパートナー


『日本、コーナーキックのチャンス、この後半早い時間に一点を加えられるか……主審の笛が鳴ります。ファールがあったようです。MFのバスケスでしょうか。ウルグアイの選手が顔を抑えて倒れています』


『エリアでの競り合いですかねえ』


『ポジション争いのなかで反則があったようです……あー、レッドカードですか? 廣瀬、廣瀬です! 廣瀬にレッドカード! これは……?』


『うーん、一発ですか』


『リプレイが出ます…………あぁー、肘が入っていますね。腕を振って……あー、MFバスケスの顔に当たってしまったようです。んー、これは痛いですねえ』


『当たる前に位置を確認していますね』


『故意に狙った……ということですか?』


『ひとつ前のプレーで激しい接触がありましたからね。報復と取られたんじゃないでしょうか。仮に故意でなくても退場処分は妥当でしょう』


『んー、この大一番で若さが出てしまった廣瀬です。後半7分、日本代表2-1とリードしていますが、ここに来て一人少ない状態で残りを戦うこととなります』


『ちょっとコントロール出来てませんね』


『あぁー、フィールドを離れた廣瀬ですが……ベンチを蹴り上げて怒りを露わにしています。かなり感情的になっていますね。これはいけません。スタッフに宥められてロッカールームへ戻る廣瀬です……この試合も1アシストと結果を残していますが、廣瀬当人としては納得いかないという感じでしょうか?』


『前半からかなり危険なタックルを何度も食らっていましたから、ドイツ戦に続いてフラストレーションが溜まっていたと思います。ここは抑えて欲しいですね』


『そうですねえ。ドイツ戦後もインタビューを拒否するなど不満を露わにしていた廣瀬です……今大会素晴らしい活躍を見せていましたが、やや後味の悪い幕切れとなってしまいました』


『今後のプレーに影響が出ないと良いですけどね』


『さあコーナーキックが入って、これはウルグアイのクリア。セカンドボールをそのバスケスが拾って……』




「まっ、こんな感じやな。流石のはーくんもこのレベルまで来て、一人で戦うには無理があったっちゅうわけや…………で、何か感想は?」



 ここから先はこれくらいしか資料が無い、と文香に見せられた、動画投稿サイトに掲載された世代別ワールドカップの映像。

 文香は慣れた手付きでスマートフォンをタップし動画の再生を止めると、複雑な面持ちで画面を眺めていた5人をそれぞれ見渡す。



 圧倒的な活躍を見せていた準々決勝のハイライトまで、食い入るように彼のプレーを眺め続けていた彼女たちの顔色も、今ではすっかり陰りが見えている。



「やっぱ上手いよね。ベッカーもバスケスも。今となっちゃビッグクラブのほぼレギュラーじゃん? ああいうのとガチでやり合ってたって、凄いよね」

「そうじゃないでしょ、瑞希」

「…………茶化しただけだっつの」


 惚けた笑みで場を和ませようとした瑞希だったが、愛莉の冷静な声にすぐさま元の表情に戻る。



「……まぁ、あたしは何回も観てるからさ。今更なんも思わんけど。でも……やっぱ、違うんだよな。この二試合だけ」

「違う……って、どういうこと?」

「ハルの表情が、全然違うんだよ。あんなに楽しそうにプレーしてたのに、この二試合だけずっと泣きそうな顔してる」


 何気ない比奈の質問に瑞希は顔を顰める。

 ソファーにもたれ続けてこう話す。



「周りがさ。全然見えてないんだよ。余裕が無い。確かに他の試合もさ、一人でだいたい片付けちゃってるっていうか、周りに頼らなくても一人でやれてるんだけど……」

「まぁ、だいたい分かるわよ。言いたいことは」


 煮え切らない物言いに愛莉も同調する。

 例に漏れず、彼女の表情も冴えないまま。



「少なくとも、私たちの知ってるハルトじゃないのは確かよ。普段はもっと、相手をおちょくるみたいな嫌味ったらしい顔してるのにさ」

「あぁー、分かりますそれ。センパイ練習中も基本無表情ですけど、相手を出し抜いたとき一瞬だけこっち見てニヤぁっ、てするんですよね」

「うん……上手く言えないけど、たぶんそれ」


 この二試合の結果や、相手チームとの実力差から来る余裕の無さだけが理由でないことを、彼女たちも既に気付いていた。


 あれだけ憎たらしいまでの笑顔を振り撒いて、相手チームはおろか味方まで翻弄していた陽翔が。


 この二試合の映像に限っては、まるでピッチに立つことさえ苦痛であると伝えたいかのように、薄暗いオーラを発している。



「見覚えがあります。皆さんもそうでしょう。サッカー部との試合を控えたあの頃の彼と……よく似ています。更に言えば、私たちと出会った頃も、あんな顔をしていました。悲壮感を食べて生きているような、そういう表情です」


 琴音の呟きに、ノノを除く三人は思わず顔を見合わせた。記憶の片隅に今も息衝いている、まだ自分たちにとって何者でもなかった彼の姿。



 たった一度の仲違いを、4人は思い返していた。お前はこのチームの何なのか。自分だけ、立っている場所が違うのではないか。縋るような思いをぶつけたあの日。


 自分の力だけではどうすることも出来ない現実。だが、誰かに頼ることが出来ない。そんな葛藤の最中で藻掻いていた彼の姿は、映像のなかで苦しむ二年前とどこか重なって見える。



「ノノがセンパイと出逢ったのは皆さんよりあとなので、あんまり大したこと言えませんけど。でも、やっぱり分かりますよ。一人で突っ走ってるように見えますけど、何だかんだでセンパイ、ノノたちのリアクションありきじゃないですか」


 彼女にも思い当たる節はあった。


 少し乱暴すぎるくらいの強さで手を引っ張って、自身をフットサル部へ引き入れたあのときの陽翔は。

 他でもないお前が必要だと傲慢に言い切った彼の瞳は、言い表しようの無い孤独に溢れていて。


 向こうが求めている筈なのに、自分たちを引っ張るその手はどこか怯えている。一見矛盾しているようにも思える彼の言動は、映像のなかで一人苦悩する姿と、やはり重なっている。



「ノノちゃんの言う通りだと思う。陽翔くんは……わたしたちには、すっごく強くて、頼りになる人に見えているかもしれないけど。でも、そうじゃないんだよ。誰かの手を取りたくて、色んなところに期待して…………でも、最後は裏切られる。そういうことを、ずっと繰り返して来たんじゃないかなって」


 比奈の言葉に5人の注目が集まる。

 痛みに似た微笑を浮かべ、比奈は続けた。



「同じ場所で、同じ目線で居てくれる、対等な存在が欲しかったんだと思う。でも陽翔くんからすれば、対等だと思える人は……きっと居なかったんじゃないかな」

「カウンターパートナー、というものですね。彼の実力や考え方に見合う相手は、少なくとも当時の彼の周りには居なかった、ということです」

「うん……あれだけサッカーに打ち込んでいたら、そうなるのも仕方ないよ。だから文香ちゃんの言うように……ドンドン深みに嵌まっていったんだと思う」

「気兼ねなく思いを打ち明けられる存在ならば、サッカーに固執する必要もありません。本来なら、そういった役割はまず誰よりも先に、両親が担うべきでしょうから」


 比奈と琴音が口々に言い合う。


 誰に指摘される必要も無く、その場の全員がとっくのとうに理解していた。彼が必要以上に自分を追い込んでしまった最たる原因は。



「……一応、聞いとくけどさ」

「ん? なんや?」

「まぁ、知らないなら知らないで良いけど…………大会終わってから、ハルの両親ってなんかこう……ハルになんか言ったりしてた?」

「ウチの知る限り、なんもあらへんよ。この家に取材とかも来とったけど、誰も居らへんとさかい、意味も無いしな。何故かウチのオカンがインタビュー答えたりしとったっけ」


 軽薄な笑みでお茶を濁す文香だったが、あまり効果は無い様子であった。募り募った苛立ちを言霊に込め、声を荒げる瑞希。



「……人のこと言えないんだけどさ。あたし、いまメッチャ苛付いてんだわ。こんだけハルが頑張ってるのに……一人で苦しんでたのに…………なんで、なんでこうなんの……? おかしいじゃんっ……! ハルはただ、認めて欲しくて、自分のことを見て欲しくて、頑張ってただけじゃん!」


「みんなおかしいよッ! サッカーが上手いのが、無愛想なのがそんなにダメっ!? ハルはハルだよっ! それ以上でも、それ以下でもないっ……!」


「勘違いしてんだよ……思い上がってんだよ……ッ! 自分たちは何もしないで……分かりやすいところに降りて来るの、ずっと待ってただけじゃんッ! それでハルのこと、考えてるつもりかよッ!!」



 悲痛に満ちた絶叫がリビングに響く。

 堪らず立ち上がり、文香も叫んだ。



「ウチやって、間違えたんやっ! ウチがはーくんのこと、一番分かってるって、一番近くにいられるって、本気で! 本気でそう思っとったんやッ!」


「でも、アカンかった、ウチじゃ、ウチだけの力じゃ、足りひんかったんや! あのときだって、ウチがもっと、誰かがもっと近くにおったら……あんなことにはならへんかったのにッ!!」


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