417. Boyhood 3-1


 陽翔の身に起こった決定的な変化に文香が気付いたのは、世代別ワールドカップが終了し彼が日本へ帰国してから一週間ほど経った、ある日の出来事であった。



 予想を遥かに上回る快進撃を見せたU-17代表チームの中心を担う、登録メンバー唯一の中学生プレーヤー。おまけにブロンズシューズ賞、大会ベストイレブン、アシスト王のおまけ付き。


 若年代の大会ながらネット記事などでも頻繁にその動向が伝えられ、関西やコアなサッカーファンの間でしか取沙汰されなかった廣瀬陽翔の名前は、この大会を機に全国へ知れ渡ることとなる。



 しかし、ネット上から聞こえる声は賞賛と批判で真っ二つに割れていた。


 大会通じて見せた活躍を称える一方、3位決定戦での退場劇やどこか不真面目に映るインタビューの様子を幼稚な言動だと否定的に取る者も少なくはない。


 日本へ戻れば一介の中学生でしかない彼のもとへ、スポーツメディアからの取材も殺到する。

 そのほとんどを拒否していたとは言え、分かりやすくフラストレーションを溜めていたことは、いつもに増して不機嫌な面持ちで学校を練り歩く彼の様子を見ていれば明らかであった。


 

「ねえねえ、廣瀬先輩ってあの黒髪の背の高い人だよねっ! あれ文香の彼氏ってホントっ!?」

「にゃははっ……まぁ、一応そんなところやなぁ」

「うわぁー! テレビで見たまんまやんっ!」

「ちょっとクールな感じでカッコええよなあ!」

「しかも幼馴染なんでしょ? いいなー羨ましいー!」


 ある日の放課後。帰宅の途に就く陽翔を見つけた文香は友人らに連れ出され、彼の後を追うことになってしまった。


 似たような渇望の眼差しを向ける女子生徒たちを掻き分けるように進む彼の後ろ姿は、数日前にテレビ越しで見掛けた不健康な猫背のまま、なにも変わらない。



 校内でそれほど大きなパニックが起きずに済んでいたのは、偏に文香の日頃の行いによる賜物であった。

 二人の関係性は文香の分かりやすい言動のおかげか、学校中のほとんどの人間が知るところにある。


 同じ学区からそのまま進学した生徒も多いだけあって、昔から変わらない陽翔の傍若無人ぶりをよく知る生徒も多く、わざわざこれを機に近付こうとする人間もそう多くはない。


 ならばこのまま曖昧な状態を続けていれば、彼に迷惑を掛けることも無いだろう。そんな文香の機転もあって、女性生徒からの注目度が一気に増した点を除けば、彼の学校生活にそれほど大きな変化は無い。



「ほら、行って来なって!」

「ちょっ、押さんといてやあ!」

「いいからいいから!」

「若いお二人でごゆっくり~!」


 友人たちに背中を押され、陽翔のもとへ無理やり近付かされてしまう文香。


 陽翔も彼女の存在に気付くが、特にリアクションを取るわけでも、その手を取るような真似もしない。



「なははっ……久しぶり、はーくん」

「…………おう」

「ごめんなあ、みんなこういうときばっか強引なんよ。今日、練習とかなんも無いんやろ? 家まで一緒でええ?」

「……好きにせえ」

「えへへっ。すまんなあ」


 素っ気ない塩対応は昔から変わらないが、どちらかと言えば困惑しているのは文香の方で。というのも、こうして面と向かって言葉を交わすのも何か月ぶりか。



 学年が違えばクラスも異なる陽翔は、既にユースはおろかトップチームの練習にも参加するようになっており、授業を早引きして早々に学校から姿を消すことも多くなった。


 単純な問題として、顔を合わせる機会が極端に減ってしまっていた。それはそれで、昔から似たような状況にあっただけあって文香も気にしてはいないのだが。



(……なんか、別人みたいやなぁ……)


 異国の地で激闘を繰り広げて来た彼の出で立ちは、数か月前に見掛けたときよりも更に洗礼されているような気がした。背丈もグッと伸び、幼少期の面影はあまり残っていない。


 好みの芸能人を前にしたような、不思議な感覚を文香は覚えていた。幼馴染という特異な関係性も、以前に増して端正な顔付きに磨きが掛かった彼を前に効果的には作用しない。



「……前髪、よう伸びたな。向こうにいる間、切ったりせえへんかった? そんなんや世界が薄暗く見えてまうで。美容院でも紹介しよか?」

「…………別にええ」

「連れへんなあ。せっかく女の子にもようモテモテなっとんし、少しは気ィ遣った方がええで? まっ、ウチはそのままのはーくんでも全然ええけどなっ!」


 少し無理してでも明るく振る舞う文香だったが、やはり反応は乏しい。

 目線すら合わせてくれない彼に、痛むような違和感が沸々と育っていく。



 やはり、何かがおかしい。


 少なくとも今までの陽翔は、露骨に面倒くさそうな顔をするにはするけれども、無視をするようなことはなかった。興味はなくとも、声を掛ければ話だけは聞いてくれたのに。



「…………やっぱ気にしとるん?」

「……なにが?」

「ドイツ戦と、ウルグアイ戦の……あんま気にせん方がええで。ネットの連中なん、なんも知らへんと適当なことばっか言うんやから。あんなんいちいち相手しとる方が勿体ないわ」


 原因が分かり切っている手前、こうして話題に出すのも文香からすれば気の引ける思いだったが。彼の反応を引き出すにはこうするしかなかった。


 すると、やはりこれも分かり切っていた結末で。ただでさえ薄い瞳を鋭利に尖らせ、右隣を歩く文香を陽翔はジッと睨み付ける。



「んなん別に気にしてへんわ」

「ならどうしたんよ? その……あんまり分かったような口利くのも嫌かもしれへんけどな? やっぱあの二試合と、それまでのはーくんでこう……雰囲気っちゅうか、そういうもんが全然違うんや。なんか変なことでもあったんやないかって……」


 初めて浴びせられる敵意にも似た視線に、文香は酷く動揺していた。


 それでもどうにかと必死に口を開くのだが、彼女の言葉を前に陽翔はますます不機嫌さを増していく。



 違和感を覚えたのも、文香だけではない筈だ。


 あれだけ憎たらしいまでの笑顔を浮かべて、心底楽しそうにプレーしていた準々決勝までの彼は、準決勝のドイツ戦を境にすっかり見られなくなってしまった。


 持ち前のイマジネーション溢れる多彩なテクニックも、ゴール前での恐ろしいまでの冷静さも消え失せ。何か重りのようなモノを抱えてピッチを浮遊する姿。



 単に相手との実力差から来る不出来だけが要因でないことを、文香も感じ取っていた。


 ただでさえサッカーに縛られていた彼の身体が、太いロープでがんじがらめにされたように、自由を失っていた。



「…………嫌ならええけどな。でも知りたいねん。ウチが出来ることなら、協力したいんや。迷惑なん掛けへんから…………それでもダメ?」


 縋るような呟きに、陽翔はついに反応を示した。道端で立ち止まり、スマートフォンを取り出す。

 投げ捨てるように差し出されたそれを文香は慌てて掴む。転倒する画面には、メッセージアプリのホームページが映し出されている。



「なんや、お母さんから連絡来てたん?」


 示された日付は、ちょうどドイツ戦のやり取りだった。だが、連絡は母親からのメッセージ一つだけで終わっている。


 記された文面に、文香は思わず声を漏らした。



「…………え。ちょっ、ちょっと待ってえな! これ、向こうにおったとき来たやつやろ? 日にちも試合当日やし………!」


 動揺を隠せない文香から、陽翔は無理やりスマホを奪い元の場所へ仕舞う。文香が見上げた先にはやはりいつもと変わらない、無表情のまま立ち尽くす陽翔の姿。



「これだけじゃねえけどな」

「……へっ?」

「まぁ、色々あったわ。試合前のミーティングなん、メディアに流れたらエライことなるで。戦わずして負けるって、ああいうことなんだろうな」

「…………はーくん……?」

「一瞬でも期待した俺がバカやったんや」


 そのまま向きを変え横断歩道を渡る陽翔。

 家のある方角とは反対。



「はーくん、どこ行くんやっ!?」

「舞洲。ジムなら使えるし」

「ちょっと待ってえやっ! こんなん見せられて、黙ってられるわけあらへんやろっ! 今からでもはーくんち行って話聞かなっ! はーくん、それでええんか!?」

「……意味ねえよ。仕事なんやから」

「でも、はーくんっ!!」

「もう終わってんだよッ! 全部ッ!!」



 悲痛な叫び声を残し、陽翔は横断歩道の奥へと消えていく。信号が赤へ変わり、自動車の往来が止む頃には、彼の姿は見えなくなっていた。



「…………一回話さなあかんわ、これ……」



 誰に告げるわけでもなく、文香はポツリと呟いた。彼女の脳裏には、今にも泣きそうな顔でその場を立ち去った彼の酷く歪んだ瞳と、衝撃的な文面が交互に延々と繰り返されるばかり。






『こんにちは。大会はいつ終わるの?』

『近くの高校から、進路説明会のハガキが届いています。サッカーも良いけど、そろそろ真面目に進路のことを考える時期だと思います。こちらもあまり時間が無いので、参加するかしないかだけ返事をしてください』


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