402. Boyhood 1-3
「おい廣瀬っ! ボール独り占めすんなっ!」
「そうだそうだーっ!」
「先生に言うぞッ!」
「ドッヂボールやらせろっ!」
ある日の休み時間。数名の男子児童が寄ってたかって少年を責め立てる。
グラウンドの両端に一つずつ置いてあるゴールマウスの片方と、クラスで一つしか使えないボールを占領し続けている少年に痺れを切らした彼らは、年齢に沿う安易な脅し文句を拵え彼を取り囲んだ。
「…………は? やだよ。なんで?」
「お前のせいで俺らがボール遊びできねえだろっ! そーゆーのだめだからなっ! 先生に怒られても良いのかよっ!」
「…………はー。うざ」
声にならない声で呟いた少年は、騒ぎを辞めない彼らのことなど気にも留めず、軽快な足捌きでリフティングを続ける。
「ホンマにチクるからなっ!」
「怒られても知らへんで!」
「好きにすればええやん。メンドイな」
「一人で遊ぶなら学校の外でやれよっ!」
「しゃあないやろ。家からボール持って来たらいっつもボッシューされんねんで。ならこっちの方がこーりつてきやろ」
「知らねえよ、そんなのっ!」
「お前らとちゃうんや、遊びとちゃう」
「はぁっ!? どういうことだよっ!」
ボールを頭の上まで蹴り上げ、華奢な右肩で幾度となく突っ突き回数を重ねる。小学4年生が繰り出すには相応しくない離れ業であったが、そんなことを少年たちが知る由も無い。
「お前らがなんも考えんとあそんどるうちに、俺は練習するんや。ゴールデンエイジ言うてな。今のうちにやっとかな、あとで取り返しが付かん。俺はプロになるんや。ジャマすんな」
不機嫌さを滲ませ眉を顰めた少年の言葉を前に、彼らは暫し言葉を失い互いに顔を見合わせる。すると、箸が転がったかのように腹を抱え笑い始めた。
「キャハハハハっ! おまえっ、サッカー選手になるんっ!? 無理ムリ、絶対ムリやっ!」
「お前なんかがなれるわけねーだろッ!」
「廣瀬のくせに、調子乗んなよっ!」
グラウンドに木霊する不愉快な笑い声に、少年はリフティングを辞め彼らを睨み付けた。あからさまな不快感を露わにする少年の変化にも彼らは気付いていない。
「だいたいサッカーとか、ダサいんだよ! 野球の方がぜってー面白いもんなっ!」
「あれだろっ? サッカーってちょっとぶつかっただけで転んでギャーギャー泣くんだよなっ! 痛いよ~痛いよ~って!」
「まーでも、廣瀬にお似合いだよなっ!」
「ホンマダッサイわー!」
鳴り止まない中傷の嵐に、少年はこめかみに汗を滲ませ指ごと握り潰すほどの怒りを沸々と溜めていく。可愛げの無い鋭利な切れ目が、より一層醜く光を放った。
「おいっ、なんとか言えよっ!」
取り囲む集団のうちの一人が腕を強引に掴もうとすると、少年は足元のボールを思いっきり蹴り飛ばして、彼の顔面へ命中させる。
当たり処が悪かったのだろうか。目元を抑え倒れ込んだその子は、痛みのあまりワンワンと大きな声で泣き出してしまう。
「あーっ! 泣かせたー!」
「いけないんだあーっ!」
「おい、だいじょうぶかっ!?」
ますますヒートアップしていく取り巻きを冷めた目で見つめ続ける少年は、わざとらしく大きなため息を吐いて、臆せずも彼らへ近付いていく。そして泣き喚く少年の前で立ち止まり。
「顔に当たったくらいで、なに泣いとんねん。まるでサッカー選手やな。だっさ」
たっぷりの皮肉を織り交ぜ嫌味に嘲笑う。
まるで悪びれもしない少年の態度に、彼を囲んでいたうちの一人は、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか。顔を真っ赤にして少年に飛び掛かる。
「このやろおおおおぉぉっっ!!」
「かかってこいやザコがッ!!」
平静を失った少年も拳で応戦。
大喧嘩が始まってしまった。
一対多数の圧倒的な不利な状況にも拘らず、一方的な蹂躙には発展しなかった。
同級生と比べても小柄で華奢な体格の少年は、軽い身のこなしと鍛え上げられた脚力で必死に抵抗を続ける。
元来クラスメイトを筆頭に他人との関わりをほとんど持っていなかった少年ではあったが。その不器用な性格と不遜な態度故に、男子からはいつも嫌われていた。
だがそれと同時に、少年の放つ異様なオーラに腰が引けていたのも確かで。多少の小競り合いこそあったが、ここまでの大騒動に発展したのは今日が初めて。
騒ぎを聞きつけたグラウンドの子どもたちが彼らに近付いて来る。
そのうちの誰かが呼びに行ったのか。
数人の教師が喧嘩を止めようと輪に飛び込んで行く。
「こらっ! 辞めなさいッ!」
「なにしてるのっ!」
少年を取り囲んでいた男子たちは、教員の手によって次々に引き離されていく。皆揃って顔や膝にあざを作っていて、何人かは涙で目元が腫れていた。
一人を寄ってたかって虐めているよう教師たちには見えたのだろう。実態は少し異なる。少年も頬にあざが出来ていたが、彼らと比べれば怪我の数は少なかった。
しかし一向に怒りが収まらない少年。男子教員に身体を抑え付けられながら、腹を空かせた野犬の如く甲高い叫び声を上げ挑発を続ける。
「この野郎ッ! ブッ殺してやるッ!!」
「廣瀬ッ! 落ち着きなさいッ!」
「ジャマすんじゃねえッ! 先に馬鹿にしたんはアイツらやッ! オレは悪くねえッ! くたばれやザコがっ、イキがってんじゃねえぞおらアアッッ!!」
「廣瀬!! こっちに来いッ!!」
「はーなーせェェーーーーッッ!!」
* * * *
校舎の外れ。教員が不貞腐れる少年を囲うよう立ち塞がる。
落ち着きを取り戻したようにも見えるが、普段の無愛想な顔つきも相まって、その実態すべてを窺い知ることは彼らにも難しい相談であった。
「で、サッカーを馬鹿にされて怒ったのか?」
「…………まぁ、はい」
「だからってボールで顔を狙うのは駄目だ。手を出した方が負けだって言うだろ? なあ廣瀬」
「…………さーせんした……」
「ちゃんと目を見て喋れ! 謝るのは俺に対してじゃないだろッ! 違うのか!?」
「まぁまぁ内田先生……廣瀬くんも理由があってあれだけ怒ってしまったわけですから、もう少し抑えてくださいな。喧嘩両成敗と言いますから」
「しかし中元先生……」
中年の女性教師の諭すような言葉に、担任である若い男性教師は声を詰まらせた。地面を見つめ拳をギュッと握り悔しさを露わにする少年を前に、中元と呼ばれた女性教師は優しく彼の頭を撫でる。
「廣瀬くん。気持ちは分かるわ。自分の好きなものを馬鹿にされて、悔しかったんでしょう? でも、自分のことだけを考えちゃ駄目よ。貴方がボールを独り占めしていて、それでみんなが怒っていたのも本当のことなのだから。みんなで仲良く使うのが学校のルールでしょう?」
「…………じゃあ、自分の持ってくる」
周囲と目配せし、中元教師は穏やかに笑う。
「分かったわ、先生たちで相談しておくから。だからこれからは、ああやってみんなを挑発するようなことはしてはいけません。いいわね?」
「んなん、俺やなくてアイツらが……」
「お互い様ってこと。ほら、こんなに顔腫らして。保健室に行きましょう。綺麗な顔をしているんだから、このままにしておくと傷が残ってしまうわ……長谷川先生、廣瀬くんをお願いできますか?」
「はい。廣瀬くん、一緒に行こう?」
「……………………」
長谷川と呼ばれた女性教師に手を取られ、少年は覚束ない足取りで廊下を進んでいく。それを見送った中元教師は、担任の若い男性教師へ再び声を掛けた。
「内田先生、連絡は付きましたか?」
「いや……相変わらずですね。何度か掛けていますが、留守電に繋がってしまいます。お父さんにも一応掛けてみましたが、やはり駄目ですね」
「ご自宅にも掛けたの?」
「結果は同じです…………あまりこういうことも言いたくないですが、とことん不干渉な親御さんで。家庭訪問や三者面談も仕事の都合でほとんど……」
「そうですか……」
「仕事熱心な親御さんで。育児放棄や虐待でもなしに、あまりこちらから口を挟むのも……」
「…………困ったわねえ……」
顔を見合わせ深いため息を重ねる二人。
そんな彼らのやり取りを、ブラウンの巻き髪と丸い瞳が特徴的な小柄な少女が誰にも見つからないよう陰から見つめている。
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