403. Boyhood 1-4
(……あん? なんこれ)
ある日のこと。ただでさえ細い目つきを更に尖らせ、眠たそうに欠伸を残した少年は、下駄箱で上履きに履き替えようとすると。中に手紙のような封筒が入っていることに気付いた。
日に日に増していく無愛想な態度と、何かとすぐ手を出してしまう凶暴性も相まって、ここのところクラスの男子から悪戯やちょっかいを掛けられることも無くなっている。
しかし自身の行いについて、少年もある程度の自覚は持ち合わせており。また馬鹿が馬鹿なことを始めたかと、気にも留めず封筒を手に取って中身を確認する。
(…………放課後、校舎裏……? 誰や……?)
手紙には名前が記されていなかった。
廣瀬くんにお話があります。放課後、誰にも見つからないように一人で校舎裏に来てください。待ってます。
お世辞にも綺麗とは言えない文字で紡がれたメッセージの横で、名前も分からない猫のキャラクターがニコニコと笑っている。
取りあえず喧嘩の申し込みや果たし状の類では無さそうだ。とはいえこれもこれで面倒だなとため息を挟み、少年は手紙を下駄箱へ戻そうとする。
「おはよーはーくん。それ、どうしたん?」
「…………いや、別に。なんでも」
「もしかして、ラブレターでももろたか!?」
「……ラブレター? なんそれ」
「愛の告白っちゅうやつよぉっ! なぁなぁちょっと見してえなっ。別にみんなに広めたりせんから、なぁ? ええやろっ?」
「…………んっ」
遅れてやって来た少女は手紙を受け取り、ふんふんと鼻息荒く文面を読み進める。その様子を少年は「なにが楽しいのやら」と冷めた目でジッと見つめていた。
特に手入れをしているわけでもなく、天然由来ものであるらしい癖のあるブラウンの巻き髪は、少女の自慢の一つだった。
年齢相応の小柄な体格と愛嬌のある猫目も、それを引き立てるに相応しい色立ち。
裏表の無い快活で朗らかな性格、素行も良好。
学年では有数の人気者として知られている。
少年も同級生の女子から「3年の文香ちゃんと幼馴染なの? もしかして付き合ってる?」なんてことを度々聞かれていて。その都度「腐れ縁すぎてもう腐った」と雑に返すのがお決まりになりつつあった。
照れ隠しでもなんでもなく、少年は本気でそう思っている。
幼稚園やそこらの頃は数少ない友達としてよく遊んでいた仲ではあったが、一つ違う学年がもたらす影響は決して小さくない。
少女も少女で少年の背中を追い続けることを辞めようとはしなかったが、先の喜ばしくない噂話も含め、ここ最近も少年はあまり良い感情を抱いていなかった。
幼馴染であることに違いは無いが、もはや友達とも言い難く、妹みたいな存在とも思えず、ましてや彼女なんて大したものでもない。
なんか知らんけど、いっつも絡んで来る。
そろそろウザいから辞めて欲しい。
少女へ抱く感情は、精々その程度であった。
「はーくん! はーくんこれ完全にラブレターやっ! 字が女の子やって! 絶対そうやっ! ついにはーくんにも春がやって来たでえっ! エライこっちゃあ!」
「……なんでお前が喜んでんの?」
「んなもん当たり前やんかあっ! はーくんの保護者たるウチがこのビッグイベントをスルーできるわけあらへんやろっ!」
「誰が保護者やねん。アホ抜かすな」
「でっ? でっ? でっ? 誰からとか目星は付いとるん?」
「…………知るかよ。んなの」
「おっしゃ、放課後、放課後なっ? なぁなぁ、ウチも見に行ってええか? 邪魔せんと影からこっそり見守るだけやから、なっ? なっ? ええやろっ?」
「好きにせえ」
「にゃはははっ! いやぁウチもなぁ、クラスの子から「4年の廣瀬くんと付き合ってるってホンマぁ?」ていっつも言われとってなぁ、全然そんなんちゃうでえ言うて回るのももう大変なんよぉ。いやウチはなんも困らへんけどなあでもそれはそれで恥ずかしいちゅうかなぁっ? あーんでもはーくんに彼女出来てもうたらこうやって一緒にお喋りとか出来んくなるかなぁ、それはちょーっと、ちょーっとだけ寂しい言うか悲しい言うか、うーんなんとも複雑ぅな気持ちなる…………あれ、はーくん!? ちょっ、待ってえなっ! 一緒に行こうやあっ!」
* * * *
「すっ、好きですっ! 付き合ってくださいっ!」
そして放課後。
この日はクラブの練習も無く時間も空いていたこともあって、まぁ暇潰しにはなるかと少年は素直に手紙に記されていた場所へ足を運ぶことにした。
校舎裏は手入れのされていない細い裏道のようなところで、その狭さ故に放課後子どもたちが遊びに訪れるような環境は整っていない。
通りに面しているため外からは丸見えになっているが、少なくとも同級生や知り合いに見られる心配が無いという一点で、告白の舞台にはうってつけであった。
無論、少年がそんなことを知る由も無いが。
「あのっ、春に廣瀬くんと同じクラスになってからずっと気になってて……! カッコいいところとかっ、脚の速いところとか、サッカーが凄く上手なところとか、すっ、好きなんですっ!」
顔を真っ赤に腫らして思いの丈を述べる少女は、少年のクラスメイトであった。
ここ最近は席も近く、給食も一緒に食べることが多い。少年もその存在だけは一応覚えていた。
クラスの女子と比較するとそれなりに可愛らしい顔立ちをしており、男子の間でも人気だと小耳に挟んだことがある。
が、緊張で身体を震わせるその少女とは裏腹に、いつもとさして変わらない無気力な表情筋を貫く少年。
まさか本当に告白されるとは、と多少の驚きは拵えていたが、だからといって返す言葉に変わりがあるわけではない。少年は気怠く口を開いた。
「そーゆーの困るわ」
「……へ、へぇっ!?」
「付き合うてなにすればええか分からんし。興味無いねん。よう知らんけど、付き合ったらデートとかせなアカンのやろ。んな時間無いわ。サッカーやっとる暇なくなるし」
「……え、えっと……あのっ、で、デートとか、そういうのはしなくてもいいんですっ! かっ、彼氏になってくれればそれでいいんですっ!」
「よう知らん奴に彼女面されても困るわ」
「し、知らないっ……!?」
「おう。名前も知らんわ。なんやっけ」
「えっ…………ええええぇぇぇぇっ!?」
衝撃の告白に思わず絶叫する少女。
あらかさまに動揺し少年を問い詰める。
「廣瀬くんっ、覚えてないのっ!? 田山あかり! いっつも一緒に給食食べてるでしょっ!? 遠足だって同じ班だったよね!? 今までいっぱいお喋りしたよねっ!?」
「あんなん席順で決められとるだけやん。いちいち覚えてられへんわ。遠足も言うて記憶あらへんし……あー、でもあれか。あんとき話ししたん、お前やったんやな」
「そ、そんなぁ……っ!」
「なんか、すまんな。でもホンマに興味無いねん。恋愛とか彼女とかそーゆーの。悪いけどほか当たってくれへんか」
「…………廣瀬くんのばかああああっっ!!!!」
…………少女は泣き叫びながら遠くへ走り去っていく。その様子をなんの悪びれもせず「煩い奴だな」と冷めた目で見つめる少年であった。
「……はーくん、最悪やな」
「あん。なんやおったんか」
「うん、そこで見とった…………いやいやいや。あの対応はホンマにアカンて。もうちょっと言い方とかあるやろ……友達から始めようとか、まずはお互いを知ってからとか、色々方法あるやん……?」
「知らんわ、んなもん」
「このサッカーとんちきめ……」
物陰からそさくさと現れた少女は、顔色一つ変えない少年に呆れさえも通り越し口元を歪ませる。
「なんで知りもせん奴にヨイショせなアカンねん」
「いやさぁっ……別に気を遣えとかそういう話でもないやん? もうちょっと優しさを持とう言うてんねん。はーくんウチにもやけど、人に対して厳しすぎんか?」
「それこそ知らんわ。俺が俺にやっとるんと同じようにやっとるだけや。文句言われる筋合い無いで」
「………もうええわ……」
まるで聞き入れる様子の無い少年に、いよいよ諦めの境地に達した少女であった。背を向けその場から立ち去ろうとする少年の後を追い掛ける。
「……着いてくんなよ」
「今日ヒマなんやろ? 家行ってええ?」
「好きにすればええやん。俺は練習するけど」
「ならウチも着いてく。いつもの土手やろ?」
「ちょっかい出すなよ。お前下手くそやし」
「分かっとるって」
それにしても少女が不思議だったのは、同級生にあれだけ乱暴な返しをするにも拘らず、自分のことはそれなりに受け入れてくれているという事実。
いや、本当に抵抗しないというだけで、邪険に扱われていることに変わりは無いのだが。
取りあえず隣に立つことを許されているだけ、まだマシな方か。少女は一人納得し、深いため息を残すのであった。
「まっ、はーくんにはまだまだウチが必要ちゅうことやな」
「いらんいらん。どっか行け」
「お断りしま~す」
「うざっ」
願わくば、もう少しだけ彼の近くにいたい。
支えられなくてもいい。
ただ、隣に居るだけで、少女は満足だった。
決して遠くない未来。
それすらも叶わなくなることを。
少女が知る由も無い。
彼は心に抱え込んでいる、あまりにも深い傷。そして、それを癒すだけの力を自分が持っていないこと。彼の瞳に、自分の存在が既に映り込んでいないこと。
まだ幼い少女には、想像さえも出来ない。
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