397. 許しちゃえばいいんです


 展望台の入場チケットを購入しエレベーターへ乗り込む。景色一つ見るだけだというのに、値段は結構高い。


 午後も近付いて来ただけあって、建物内はクリスマスを洒落臭く過ごしたい怠惰な若者が少しずつ増え始めていた。

 見てくれだけ信用すれば若い男女そのものである俺とノノも、そのうちの一組に統合されたところで文句を言う筋合いは無い。



「そーいやここ、やばTの聖地ですよね」

「なんやそれ」

「え、地元なのに知らないんですか? バンドですよバンド。やばすぎるTシャツ屋さん。フェスとかでめっちゃ人気なんですよ」

「マジで知らん」

「週10です○家って曲がお勧めです」

「興味あるわ」


 喧騒に紛れ迷惑にはならないが、人も多いというのにエレベーター内でまぁまぁなボリュームで知らない歌を口ずさむノノ。昨日のレッチリといいノノの音楽の趣味は良く分からない。それに限った話でもないけど。


 

 そうこうしている間に60階の展望台フロアへ到着。エレベーターを出ると、一面ガラス張りの広々とした空間が飛び込む。昼間にしては照明が抑え目で、少し薄暗くも感じる。


 これだけの高さがあれば、大阪市内のみならず神戸や和歌山、奈良方面の景色も一望出来る。昨日行ったユニバも、俺の自宅も、永易公園のスタジアムもハッキリと見えた。

 


「なんか意外ですよね」

「なにが」

「大阪って、どこもかしこもゴチャゴチャしたイメージだったんですけど、こうやって見ると海も近いし、自然も多いんですよね。ちょっと印象変わったかもです」

「貧乏なりに見栄張っとるだけや。偶に来る分にはええかもしれんけど、暮らすのはお勧めせんわな」

「出身たるセンパイがそれを言いますか」

「実体験に基づいとるんやから的確やろ」


 特に深掘りする気も無いのか。そんなもんですかねえ、と気の抜けた返事を置いて、ノノは西側の神戸方面辺りの景色をグルリと一瞥する。



 地元を褒められて嫌な気分になることも早々無いだろうが、何気ない彼女の言葉を丸呑みに出来るほど、心中穏やかではなかった。


 思い出が無い、とは言ったものの。


 見渡す限り知っている場所しかないこの壮大過ぎる景色は、思い出したくない余計な記憶まで、頭の片隅から次々と引き出してしまう。


 

「通ってた高校ってどの辺りなんですか?」

「あれ」

「んーっと、どれどれ……あーっ、あれですかっ。結構大きいんですね。有名なところなんですか?」

「いや、全然。普通の私立」


 気怠く指を差す西側。海がほど近い住宅街に、俺が高一まで通っていた高校がある。


 名前を挙げるまでもない。母校と言いのけるにはあの場所での記憶も、過ごした時間もあまりに少な過ぎる。



 俺を筆頭にセレゾンのユースに所属している人間が何人も通っていた。クラブと提携していて、ロクに授業へ出なくとも特別扱いをしてくれる、ひたすらに都合が良いだけの環境。ただそれだけ。


 幼少期の記憶も大概なものだが、あの学び舎で得た財産など片手でさえ覚束ない。本当に通っていたのかすらも疑わしいほど、たった一年前のことが何も思い出せないのだ。



「なにが足らへんかったんかな」

「…………センパイ?」

「何も無いようで、なんでもある街や。実のところな。俺次第でどうにでもなった。お前らと過ごしている世界と、そう変わらん筈なんにな。こうも空っぽのハリボテに見えるもんかね」

「……愛情、じゃないですかね?」

「愛情?」

「この街と、人に対する、愛情です。センパイは不器用なんですよ。ノノは知っています。あのとき、腐り掛けていたノノにぶつけてくれた愛情とか、センパイみんなに持っている愛情を、ちょっとでもこの街にも還元出来たら、少しずつ変わって来るんじゃないですかね」


 握られていた右手の握力が一層強まり、彼女は穏やかに笑みを溢した。


 珍しい顔をするものだと感心していたが、初めて見たわけではないことも、やはり分かっていて。



「…………無駄にデカい話やな」

「そーでもないですよっ? ちょっとだけ優しくなればいいんです。妥協すれば良いんですよ。センパイが納得してない昔のセンパイも、あの頃は理解出来なかったモノも。ほんのちょっとだけ適当にしちゃえばいいんですっ。許しちゃえばいいんですよ」

「出来るならここまで拗れてねえよ」

「かもですねっ。だから、出来る範囲で良いんです。ノノだって似たような悩みや苦しみは沢山あります。センパイだけじゃないですよ。でも、センパイたちのおかげで、段々分かって来ました」

「俺らのおかげで?」

「はいっ。センパイが言ったんですよ? 余計なこと考えないで、ノノらしくいろ、何もするなって…………そしたら、ちょっとずつ許せるようになりました。陽翔センパイにだって、必ず出来ると思いますっ」


 ゾっとするほどの愛嬌あるえくぼを垂らし、僅かに身体を寄せる。センパイがこうやって寄り添ってくれたように、なんてあざとい台詞まで拵えて。



「…………ありがとな。ノノ」

「いえいえっ。これくらいワケありませんっ」

「よりによってお前に窘められると、嫌でも引き締まるわ」

「それは悪口じゃないですかあ?」

「馬鹿言え。これも愛情や」

「分かりにくいデレですねえ」


 満足そうに彼女は微笑み返す。

 再び一面の景色を見据えた。


 やはり一人では、どうにもならなかったことだ。ノノ、お前と、そしてみんなと。こうしてこの街に帰って来ることが出来たから。


 俺は俺なりに。

 不器用で勇気の欠片も無い自分なりに。

 もう一度、この世界を見つめられる。



 さて。ならばやることは一つか。


 どうしても行きたくなかった。

 本当はまだ恐れているけれど。


 あの場所に行かないことには、この街での俺は始まらないし、なにも終わらないのだろう。



「ノノ。アイツら迎えに行ってくれねえか」

「はいっ? センパイたちをですか?」

「用事が出来た。そろそろ起きとるやろし、適当に市内でも観光してくれ。流石に大阪の外れまで付き合わせるのも悪いからな」

「構いませんけど……一人でですか?」

「んっ。秘密基地に女は連れ込めねえ」

「…………非常に思わせぶりな態度と文言にノノは多大な不信感を抱いていますが、まぁいいでしょう。このドラマチックな尊い流れとセンパイの器量にノノは期待しています」

「それは知らんけど、頼むわ」

「了解ですっ。夜には戻りますよね?」

「晩飯までにはな」


 残りの展望フロアには目もくれず、俺たちは高層ビルを抜け出した。


 僅か数十分の逢瀬には不釣り合いな投資だったかもしれないが、これだけのモノを貰えたのなら、十分な施しだ。


 俄かに活気づき始めた駅前の大通り。

 繋がれていた右手を離し、ノノに別れを告げる。



「じゃあ、頼んだわ」

「はいっ。あとで連絡してくださいね」

「道迷ったらすぐに言えよ」

「心得てまーす」


 家とは反対方面の電車へ飛び乗り、暫し人波と快特電車の荒い運転に身を任せる。ここから一時間も掛からないだろう。遠出と言えば遠出だが、不思議と近く感じた。


 大袈裟なことを言ってはみたが、やりたいことがあるわけでも、逢いたい人がいるわけでもない。目的らしい目的など、この街には一つも無かった。


 ただ、赦すだけ。


 俺のすべてが詰まったあのピッチに。

 一度だけ頭を下げて、帰るだけ。


 たったそれだけだ。






 ……………………






「…………さぁーって、いっぺんセンパイたちに連絡するとしますか。いくら二日酔いの寝坊助さんでも昼過ぎとなれば流石に……」

「なあ、そこの金髪のおっぱいおっきい姉ちゃん」

「……はい? ノノのことですかっ?」

「せやせや。アンタのことや。いまさっき隣におった背の高い男の子のことで、ちょっと聞きたいんやけどな」

「はぁっ……陽翔センパイのお知り合いですか?」

「なははっ。まぁ、そんなところやな」






「あれや。自称、元カノっちゅうやつやねんけど」


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