396. カワイイ、いただきました


 複数の運動場をはじめ植物園、博物館、プール、ダンススタジオなど、様々な施設が融合した市内最大級の総合公園。そのなかに俺の所属していたセレゾン大阪のトップチームが使用する、隣接する二つのホームスタジアムがあった。



「今ってどっち使ってるんでしたっけ?」

「陸上競技場やな。球技場は結構前から工事しとるけど、そろそろ完成するんじゃねえのか」

「良いですよねえ専スタ。こないだのサッカー部の試合もサッカー専用でしたけど、やっぱり臨場感が違うというか」


 視界いっぱいに広がる巨大なスタジアムを前に、ノノはスマホ片手に写真を撮り始める。こう見えてサッカーフリークだからな。こういうのを見るだけでも楽しいのだろう。



 二つのスタジアムとは、陸上トラックの併設された陸上競技場と、芝生のピッチのみが入った球技場を指している。


 セレゾンは長らく陸上競技場をホームグラウンドとしていたが、俺が小学校に上がる少し前にラグビー専用と化していた球技場の改修工事が始まり、二つのスタジアムを併用するようになった。


 現在は工事が本格化して陸上競技場のみを使用しているが、もう少し経てば球技場の工事が終わり、そちらだけを使用するようになるのだという。



 長いこと下部組織に所属していたこともあり、両方のピッチでプレー経験がある。どちらも良いスタジアムだが、個人的には陸上競技場の方が好きだった。


 収容人数をはじめ単純な規模の差もあるが、かつて日本で開催されたワールドカップの舞台になったという由緒ある伝統も含め、こちらの方が身が引き締まるというか。



 憧れのユニフォームを着て、憧れのピッチに立つ。

 ただそれだけを目標に走り続けたあの日々。


 ほんの一年前のことだというのに、随分と昔のことのように感じる。久々に訪れたかつてのホームグランドは、取り立てて気の利いたサプライスも無しに、変わらず俺を出迎えてくれた。



「なんだか変な感じですね」

「え。なにが?」

「まぁノノも国内のサッカーは非常に精通しているわけですから、セレゾンのユニフォームが何色かよく知っているわけですよ。もうすっごい派手なピンクじゃないですか」

「…………せやな」

「陽翔センパイがあのユニフォーム着てプレーしてたって考えただけで、めちゃクソ失礼ですけど、なんか笑っちゃいます。ネットで昔のセンパイの写真とか調べたことありますけど、あれはあれで似合ってるからまた面白いんですよね」

「言うて嫌いじゃねえけどな。みんな一緒やろ、好きなチームのユニフォームが一番カッコええし、どんだけ見づらいスタジアムでも、そこが一番のお気に入りや」

「それはそうかもですっ」



 満足そうに頷くノノに先んじて敷地内を進む。


 とはいえどうだろうな。確かに俺がサッカーを始めた理由は、セレゾンというチームに憧れたというより、偶々初めて試合を観たチームがセレゾンで。


 チームそのものに愛着を抱き始めたのは結構な時間が経ってからだ。何だかんだで小学生の頃にはすっかり熱狂的なサポーターになっていて。それ自体は否定する気も無いのだけれど。



 ユースに昇格した頃からは、そんな気持ちも少しずつ薄れていたような気がする。こんな日本のチームで燻っている場合じゃない。早く海外に移籍しないとって、気の早いことばかり考えていた。


 無駄な駆け足だったことに気付いたのも最近のことだ。そもそも18歳以下のプレーヤーは海外への移籍に制限がある。幾ら才能があれど簡単な話ではない。



 早くこのピッチでプレーしたいのに。

 出来るだけ時間は短い方が良い、なんて。


 都合の良いことばかり考えていたのだ。

 その資格さえも持っていなかったというのに。


 俺というプレーヤーを育ててくれたチームに、たった一つの恩も返せず、この街を離れることになるなんて。親不孝な息子もいたものだ。


 不思議な気持ちだった。もし俺がなんの不自由も無く、今もこの街でプレーを続けていても。


 きっと、今と同じようなことを考えていたんだろうなと、そう思った。



「センパイ。まだここにいますか?」

「……え、なんで」

「ノノ、博物館も植物園もあまり興味ありません。スタジアムも見れたので、ここはもう良いかなって。他のところ行きたいです」

「んだよ。飽きっぽい奴やな」

「まぁまぁっ。それにノノ、もう一つ行ってみたいところがあるんです。有名なところはたぶん皆さんも行きたがってると思うんで……そーいうところじゃなくて、ノノの個人的な趣味です」


 いつの間にか握られていた右手が、来た道を引き返しもう一度電車に乗ろうと促してくる。


 特にいつもと変わりの無い、気の抜けた笑みを浮かべるノノだが。



「……じゃ、行くか」

「はいっ。行きましょう♪」

「つまらんとこやったらブッ飛ばすぞ」

「それはセンパイの器量次第ですっ!」



 軽快なステップを踏み腕を引っ張る彼女に、ほんの数秒前までのしがない憂鬱も笑い返すばかりであった。お前は本当に、こういうところがさ。


 やっぱり連れて来たの、失敗だったな。

 お前のせいで何回救われなきゃいけないんだよ。



「そんな顔されても、ノノは困ります」

「ん。なんか言ったか」

「いえいえ。妖精さんの他愛も無い独り言ですっ」

「ノータリンな妖精もおったもんやな」

「むしろそれっぽくないですか? 顔面偏差値的に」

「はいはい、可愛い可愛い」

「むふふっ♪ センパイのカワイイ、いただきました!」




*     *     *     *




「いやめちゃくちゃ天王寺やん」

「だめでした?」

「だめではないが」


 俺も知らないような隠れた観光スポットにでも向かうと思ったら、メジャーも良いところであった。スタジアムの最寄り駅から僅か4駅。


 二人の前に聳え立つは、300メートルちょうどの高さを誇る日本最大の複合ビル。大阪を一望することの出来る展望台は、市内有数の観光名所でもある。



「センパイたちみんなミーハーだから、絶対に行くとしたら通天閣の方だと思うんですよね。となるとこっちに来ている時間が無い。非常に合理的というわけです!」


 得意顔のノノではあったが、俺は知っている。別にこっちから通天閣に行くくらい大した時間は取らない。半日もあればどっちも楽しめる。下手すりゃ歩いてでも行ける。土地勘の差。



 あまりにも見慣れた光景過ぎて、吐き気を催すほどであった。俺の家がある地域は古墳くらいしか見るもの無い。若者の遊び場となると、どうしても電車で来れる天王寺近辺になってしまうのだ。


 かくいう俺とて詳しいわけではない。自宅から永易公園のスタジアム、或いは昨日訪れたユニバよりも海沿いにある練習場を行き来する毎日で、この周辺で遊んだ記憶もあまり無い。


 …………知り合いとか、いねえよな。


 それだけがどうしても不安で。

 南雲みたいな奴だけならともかく。



「で、登んの?」

「もちろんでごぜえます!」

「言うてそろそろ起きるやろアイツら」

「じゃあもうアレです、こっちに合流してもらいましょう。ノノがセンパイを独り占めしていると知れば、いつまでもグダっているセンパイたちではありませんっ」

「根拠は分からんが、まぁそれでええか」


 軽快なスキップを刻み建物へ突入するノノ。


 お前、博物館と植物園は興味無いのに、展望台には登りたいのか。よう分からん奴やな。気を遣っているのか、本能に忠実なのかハッキリせえや。



(余裕で見下ろすくらいの気持ちでいろってか?)

 

 そこまで深いメッセージがあるとは思えないが。

 仮にそうだとしたら、考え過ぎだよ。



「センパーイっ! 早く早くーっ!」

「うるっせえなちょっと待てや」


 段々と増えて来た人込みを掻き分け、彼女を追い掛ける。


 ノノにペースを握られていた方がまだ気楽なのも本当のことで、軽口を叩く気分にもなれない。


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