395. 記憶喪失か
簡素な外行きの格好に着替え直す。
ノノと二人きりの地元徘徊が始まった。
一応確認だけはしてみたが、たかが一時間に満たない朝練の間にアイツらが起きて来るはずもなかった。むしろ寝相に関しては悪化していた。スルーを決めた。
サンタコス、パジャマ、ジャージと早々お目に掛かれないタイプの装いばかりだったノノの普通の私服は、案外新鮮だったりする。
彼女も彼女で、女の子らしい恰好を好む傾向にある。12月にしては寒々しいミニスカートが、コンクリートから攻め上がる風で気ままに揺れていた。
「通ってた小学校もこの辺りですかっ?」
「ん。あれ」
「わお。めっちゃ近かった」
小柄なノノと住宅街を並び歩く。
自宅から僅か数分で辿り着いた、かつての学び舎。冬休みに入り子どもたちの姿は見受けられないが、古臭い青白の校舎も、狭すぎるグラウンドも、錆の目立つ遊具も何一つ変わらない。
「センパイってどんな子どもだったんですか?」
「どんなっつってもな……無口で愛想無くて生意気で……」
「性格悪くした琴音センパイみたいですね」
「ギリギリ悪口ちゃうそれ」
「セウトです」
「どっちやねん」
言われてみればそんな気がしないでもないが。まるきり同じと断定してしまうのは琴音にも失礼だ。琴音にはそれを補って余り得るほどの魅力もあるのだから。
一方、当時の俺はと言えば。お世辞にも誰かから好かれるような子どもではなかったように思う。その気が無かったと言えば間違いでもないが、愛嬌という言葉からとことん遠い存在ではあった。かも。
「……ホンマになんも思い出無いんよな。記憶喪失かってくらい覚えてねえ。誰となにで遊んだとか、なにが流行ったとか」
「昔からサッカー一筋だったんですねえ」
「あぁ、あれや。休み時間、クラスで一個だけボール使って遊べるんやけどな。ほぼ毎日、俺一人で占領しとったわ。クラスの奴から文句言われてた。追い返したけど」
「うわぁなんか想像できるぅ……っ」
若干引き気味のノノを置いて、正門のすぐ近くにまで足を運ぶ。確か卒業式のとき、この正門の前でクラス写真を撮ったんだっけ。
ずっと顔を逸らしていたことだけは覚えている。どうせ同じ学区の中学に通うのに、みんなしてなにを泣き惜しんでいるのか心底不思議で。今にも増して冷めた少年だった。
ノノが話してくれたような、幼少期を共に過ごした友人など一人も思い浮かばない。南雲を始めセレゾンの同期も違う学区だったし、六年間ずっと一人ぼっちだったな。
…………アイツは、カウント出来ないか。
そもそも学年が一つ下で、学校ではほとんど会話が無かったな。というか、俺が徹底的に避けていたというのもあるんだけれど。それは中学に上がっても変わらなかった。
少し先へ進むと、この地域では最も人通りの多いエリアへと辿り着く。大袈裟に繁華街と言えるほどのモノでもない。
ただ駅が近くて、飲食店と小汚いビルが立ち並んでいるだけ。山嵜の最寄り駅周辺と大した差はないだろう。日本中どこにでもある雑多な光景だ。
頭上ではこの近辺をホームタウンとする、プロ野球チームのエンブレムを模した旗が風で靡いていた。一応、セレゾン大阪の活動地域でもあるんだけどな。あまり知られていない。
「……あれ」
「どうかしたんですか?」
「……ここの角に用品店があったんやけどな。看板無くなっとったから、どうしたんかなって」
「潰れちゃったんですかねえ」
ノノは残念そうに肩を落として、シャッターの閉められた店頭へと近付いていく。
看板は外れ、張り紙の一つも無い。
どうやら暫く訪れないうちに閉店してしまったようだ。
幼少期の僅かな思い出を挙げるとするならば。この角に立ち並んでいた、中年の男が一人で経営しているスポーツ用品店にスパイクやユニフォームを買いに走った小学1、2年の頃の記憶。
店主とどのような会話をしたかまでは覚えていないが、この辺りでは数少ないサッカーに熱中する俺のことを、何かと気に掛けてくれていた。
初めてスパイクやユニフォームを買った店。ワールドユースから帰って来て、今まで一度も書いたことの無かったサインをせがまれ、しどろもどろになりながら壁にペンを走らせたのも、この店だ。
そうか。店、閉めちまったのか。
あのオッサン、元気にしてっかな。
「……ノノも気持ちは分かります。小っちゃい頃よく遊びに行ってた駄菓子屋さんが、中学に上がったらコンビニになってて超ショックでした」
「まぁ、あるあるだよな」
「でも意外と元気にしてるもんですよ。ノノすっごい気になってお店番してたおばあちゃん探し回ったんですけど、普通にそこのコンビニのオーナーになってました。せっかくだからってどこでも売ってる市販のお菓子めっちゃ買わされて、その月のお小遣いがパーになりました」
「あ、そう……」
ノノなりの励ましなのだろうか。
若干ズレているのは気のせいじゃない。
「そう言えばセレゾンのホームスタジアムって、この駅から三つくらい先のところでしたよね?」
「ああ。
「電車、乗っちゃいません?」
「いよいよ散歩にしちゃ大掛かりやな」
「ノノ無駄に小金持ちなんで大丈夫ですよ」
「そういう話でもない」
どうせ午前中は起きる気配無いし。アイツら。
多少の遠出くらい許されるだろ。
「むふふふふふっ♪ なんだかセンパイの秘密をノノが独り占めしてるみたいで、ワクワクしますっ♪」
「んな大したモンちゃうやろ」
「あ、興奮するって言い直した方が良いですか?」
「黙るという第三の選択は?」
「徹底拒否という第四の選択でガードします」
「なら仕方ねえ。ターンエンドで」
ノノの勝ちです、と彼女は悪戯に微笑む。
罪悪感のようなものがあったのかと問われれば、あながち嘘でもなかった。四人とそれぞれの時間を持ちながら、ノノのことを少しおざなりにしてしまったのも事実である。
この程度のやり取りで、昨夜の苦労とこれまで抱えて来た心労をちょっとでも受け止めることが出来るなら。それなりに有意義な時間の筈だ。俺も含めて、な。
足取りの軽いノノを追い掛け、目前へ迫った最寄り駅の改札を見据える。上りの電車、鈍行で三つ先の駅。
忘れることの出来ない、永遠の憧れ。
そして、二度と立つことの無い場所。
別に怖いとか、そんなんじゃないけど。
あまり歓迎されていないことくらい分かる。
しょうもない意地張りやがって。
やっぱり帰って来たな。
誰かが小馬鹿にするような笑い声が聞こえた。電車の到来を告げるアナウンスに掻き消されてしまって、それが聞き間違いであったことに気付いた。
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