390. センパイのセンパイがパンパカパン状態


 峠を超えたかように思われた前途多難のクリスマスイブ。しかし、まだまだ俺に安息は訪れない。


 あとは寝るだけとなれば、当然のように歯を磨いて風呂へ入らなければならないわけだが。



「やだああぁハルといっしょぉぉぉぉっっ!!」

「馬鹿言ってんじゃないわよッ!!」

「流石にノノとて許容出来ませぬゥゥ!!」


 唐突に駄々をこね始めた瑞希のせいで、リビングの喧騒は一向に留まることを知らなかった。バタバタを暴れる彼女を愛莉とノノが力尽くで風呂場へ連行する。


 マグカップを受け取って以降、特に妙な発言をすることも無くジッとそれを眺めているばかりの瑞希だったが。


 どうやらそのせいで変なスイッチが入ってしまったらしい。甘えモード突入といったところか。何だかんだで一番自重出来てないアイツ。



「久々に大暴走だねえ瑞希ちゃん」

「鬱憤でも溜まっていたのでしょうか」

「えー? 琴音ちゃんがそれを言うの?」

「……私ですか?」

「最近ずーっと琴音ちゃんが独占してるのに?」

「…………そ、そんなことないですっ……」


 お砂糖たっぷりの珈琲が入ったマグカップを片手に、クルリと反転して背中を向ける琴音。家出騒動の際にも見掛けた可愛らしいパジャマが、しっとりと濡れた黒髪と共にふわりと揺れ動く。


 いやもう何一つ言い訳になっていない。

 当人を前に露骨な態度取るな。



「そんな陽翔くんにも不満がありまーす」

「……うっせえな。んなこと分あっとるわ」

「分かってなーい。ホントに、ぬか喜びさせられちゃった。みんなの前で告白されるかと思って、すっごくドキドキしてたのにっ」

「それはごめんて」

「やだ。許さないもん」


 マグカップをテーブルに置いて、ソファーに座っていた俺の膝元へぴょこんと飛び込んで来る。洗いたてのシャンプーの香りが鼻先を颯爽と通り抜けた。



「……んだよ。軽いけど、重いから退け」

「あっ。女の子にそれはサイテー」

「フォローしただろ。一応」

「全然だめ。罰として暫くこのままだよっ」


 悪戯に愛想を振りまき軽すぎる体重を預けて来る。なにが問題って、そこまで罰になっていないから深刻なのだ。


 嫌ともなんとも思わなくなって来た自分が恥ずかしい。どうしてこうなっちまったんだろうな……やっぱり比奈相手の初動を間違えたのだろうか……。



「比奈。陽翔さんが困っています」

「えぇー? むしろ嬉しそうだよ?」

「陽翔さんも抵抗くらいしてください。鼻の下が伸びています。下賤です。不埒です。犯罪です。来たる来世のため今から顧みてください」

「遠回しに死ね言うとるやろお前」


 僅かな不機嫌さを孕ませ、じっとりとした視線を飛ばして来る琴音。抵抗しようにも、上手いこと体重を乗せられ動けないのだ。



「もしかして、代わって欲しいの? 場所」

「ちっ、違いますっ! なにを言い出すんですかっ!」

「本当は羨ましいんでしょ~」

「だから、そうじゃないですっ!」


 やはり辞める様子の無い比奈。愉快げにぶらぶらと首を揺らし、しどろもどろで狼狽える琴音を更に挑発する。



「ほらほら~、隣なら空いてるよ~?」 

「うぐぐぐっ……!」


 なんて分かりやすい動揺ぶりだ。

 鼻先がプルプル震えてやがる。


 ……比奈が甘えたがりになってしまったのも随分と前の話だが、人前で躊躇わずに密着して来るのは珍しいな。それも大親友の琴音を前にして、こうも強気な態度を取るとは。


 更に不思議だったのが、いつもなら「勝手にしてください」と輪から外れていく琴音が、いとも簡単に挑発へ乗っていること。先を越されたと言わんばかりの焦燥を滲ませ、俺たち二人をジッと見つめている。



「…………地べたに座るのも、つ、疲れますね」

「お、おん?」

「わ、私もソファーに座りたいです……お、おーっと、こんなところにソファーが。ち、ちょうどいいですね」

「いやあの琴音さん」

「どうしても距離が近くなってしまいますが、仕方がありません。ええ、本当に、どうしようもありません」

「えぇっ……」


 ゴミカスみたいな演技を披露し、右隣にちょこんと座り直す琴音。いくら大きくないソファーとはいえ、ここまで密着する必要あるんですか。



「な、なんですか。こっち見ないでください」

「いや近付いて来たのお前やろ」

「……ちょっと寒いですね。何か人肌程度のに暖かいものがあれば良いのですが…………わ、わー。これは、ちょうどよい、ですっ」

「そんな下手くそなことある?」


 へっぴり腰で右腕へガッチリと抱き着き、言うところの人肌で暖を取る彼女。


 ただでさえ薄っぺらい寝間着は、パーソナルスペースの維持という一点でまったく意味を成さず。豊満すぎる膨らみがここぞとばかりに主張を繰り広げ、ついには神経細胞にまで及ぶ。



「琴音ちゃん、成長したねえ……」

「親目線やめろアホ。止めろや」

「だって陽翔くん抵抗しないんだもーん」


 クスクスとおかしそうに笑う比奈。


 もう喋るな。口を開くな。

 呼吸までいい匂いってなんなんホンマ。



(どうすりゃええねんこの状況……ッ)


 最初に強く断っておけば良いものを。

 簡単に流されておいて、今更だ。


 そりゃ勿論、俺からしても彼女たちに渾身のノーを突き付けたいわけではなく。こちらとて喜ばしい感情はあるし、素直に甘えて貰えるのは嬉しいのだけれど。


 これはこれで問題がある。

 なんというか、状況的に。


 お前ら、俺に性欲が存在しないとか思ってないだろうな。いい加減にしてくれん? しまいには瑞希のプレゼント早速使うよ?



「んぅー……陽翔くんの匂い……っ」

「…………はふぅ……っ」


 寛ぐな。甘美に溺れるな。

 俺をダシに快適な時間を過ごすな。



「……え? なんなんお前ら。酒入ってんの?」

「お酒? ううん。飲んでないよ?」

「素面でこれはヤベえよ……」

「実は考えてたんだけどね。お父さんがよく飲んでるワインがあったから、持ってこようかなって。でもここに着くまでがちょっとリスキーだし、流石にね」


 うわー。あっぶねー。

 遠出で良かったー。



(……隠した方が良いか……?)


 あの人らが家で酒を飲んでいる光景は見たこと無いけれど、先ほど確認したところ、冷蔵庫には結構な数のボトルが入っていた。恐らくどちらかが日常的に嗜んでいる代物だろう。


 この調子だと瑞希辺りが「無礼講だ」なんだと言い出して勝手に開け始めるのが目に見えている。


 ワンチャン比奈もやらかしそうで怖い。

 恐怖という感情が欠落してるこの人たち。



「用事思い出した。一旦退け」

「えー。もうちょっとー」

「まだ寒いです。我慢してください」

「ええから退けって。つうか、そろそろアイツら上がって来るだろ。見られたらまた騒がれんだからいい加減に……」

「あーーッッ!! 抜け駆けだぁぁ!!」

「タイミング悪いなッ!」


 風呂から上がって来た瑞希の絶叫がリビングに響き渡る。面倒なことになるぞ。また収拾付かなくなるぞ。



「って、おま、ちょ、ええ!?」

「瑞希さん、服はどうしたんですかっ!?」

「ああっ!? 着てんだろーが!」

「バスタオルは衣服にカウントしねえよッ!」


 琴音の指摘通り、瑞希は白のバスタオルを身体に巻いたままの状態であった。


 ほかほかと湯気を立てる彼女の身体は、タオルにぴっちりと張り付いて細身のラインがあからさまに浮き出ている。



「なーんか怪しいと思って急いで出て来たらほぅれ見たことかっ!! これだからひーにゃんもくすみんも油断できねえんだよ! おらっ! ハルから離れろこんちくしょー!」

「ちょっ、センパイストップ! ストップですっ! タオル取れちゃいますからぁっ!」


 大慌てで後を着いて来たノノが瑞希を拘束している。続いて現れた愛莉もゼエゼエと酷く呼吸を乱し、がっくりと頭を下げる。



「ハルト、今すぐお風呂! コイツなんとかしておくから! あと出来るだけ長風呂でよろしくっ!」

「お、おうっ……」


 お言葉に甘えるとするか。

 このままじゃ一向に寝られん。


 ……いやホント、お前らもお前らだからな。風呂上がりで肌も髪の毛もツヤツヤして、目のやり場に困る。そうだよなぁ……この状況に陥るのが本当に怖かったんだよなぁ……。



「あたしもハルとイチャイチャするーーーー!!」

「ああっ! ついにセンパイのセンパイがパンパカパン状態に!」

「瑞希ちゃんスタイル良くて羨ましいなー」

「感心してる場合ですか、比奈っ!」

「いや二人とも手伝ってってばぁぁ!!」



 ……見てない見てない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る