385. 包まれてるみたい


「陽翔さん。もう着きますよ」


 首筋を撫で上げるような甘ったるい棒読みに誘われ、眠い目を擦り身体を引き延ばす。

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。窓側の席だったのに、景色を楽しむ余裕も無かったな。


 隣に座る琴音はアイマスクを外し、すっかりお目覚めのご様子であった。

 あれだけの醜態を晒して何故こうも真っ当な顔が出来るのか。相変わらず脳の作りが分からない。



「皆さんも起こしてきますね」

「……おう。頼んだ」


 立ち上がり、後部座席に並ぶ四人を起こしに行ったようだ。乗車した直後はみんなでワイワイお喋りしながら騒がしそうにしていたが、流石にまだ早い時間とあって、みんな寝ているらしい。



 席順はなし崩し的に決まった。


 まったく起きる気配の無い琴音を背負って車内にまで運んだは良いが、ついぞ出発まで背中から離れてくれなかったのだ。


 仕方なく隣の席に叩き込みそのまま横に並んだ。皆揃いも揃って彼女を羨ましがっていたのは、見ない振りをした。



 到着を告げるアナウンスが車内に流れ、程なくして目的地へと到着した。


 何かと大荷物のフットサル部一同は、隙あらばと襲ってくる睡魔の囁きをどうにか振り解き、覚束ない足取りでホームへ抜け出す。


 厚手のインナーの隙間を縫うように、冷たい風が肌を通り抜けていく。

 思わず身体を震わせると、変わり映えしない懐かしい広告写真と風景が飛び込んで来た。



(ホンマに帰っちまったな)


 あの日とは反対行きの新幹線に乗り込み、こうしてこの地を踏み締めることとなるとは。人生分からないものだ。


 一刻も早く忘れたかった景色が、何故だか無性に愛おしく感じる。



「ハルト?」

「…………おう、なんでもね。行こうぜ」

「久々で感動してた?」

「んなわけあるか」


 きっと一人では味わえなかった感覚。


 寝ぼけ眼の冴えない5つのシルエットが、やけに頼もしく見えた。さて、足取りも軽くなったところで、もう少し乗り継ぐとするか。




 お目当てのパークは新幹線の留まる駅からもう何本かの路線を乗り継いだ、工業地帯の隣接する海沿いに佇んでいる。


 規模は段違いだが、比奈と訪れたコスモパークと似たような構図だ。電車でおよそ20分ほど。同じ目的地を目指す観光客も多い。



「なんかノノ恥ずかしくなってきました」

「今更なに言うとんねん」

「アンタより私たちの方がキツイんだからね」

「うぅ、ぐうの音も出ません…………ぐぅ」

「ギリギリ出てんじゃねえか」


 身体を縮こませ俺の影に隠れるノノ。

 小ぶりなケツがカーブで揺れている。


 慣れない土地で生まれて初めての羞恥心でも芽生えたのか。季節とマッチしていない半そでミニスカのサンタコスは、パークならともかく電車のなかではバリバリに浮いていた。シンプルにアホ。



「琴音。あんまキョロキョロすんな。他所モン思われたら面倒な奴に絡まれるで。ただでさえ目立つんやから」

「あ、はいっ……すみません」

「えらいソワソワしとんな」

「……不慣れなものですから」


 袖をちょこんと掴み周囲を伺う琴音。

 なんだお前。可愛いな。


 旅行や遠出には縁の無いという琴音。何かとボーっとしていることが多いが、周りの空気には敏感な彼女のことだ。この街の景色や人間が放つ、独特な雰囲気を感じ取ってしまったのだろう。


 他の面子はそうでもないな。

 珍しく汐らしいノノを除いて。


 愛莉は中学生の頃に遠征で一度来たことがあるとか言っていたし、海外での暮らしが長かった瑞希にはどうってこともないだろう。比奈は……気にしなさそうだな。なんとなく。



「なんだか、変な感じ」

「あん。なにが」

「陽翔くんに包まれてるみたい」

「……急になに言い出すんだよ。怖いな」

「んふふっ。いいのいいの」


 妙にご機嫌の比奈。

 ニコリと微笑み軽快に鼻を鳴らす。


 たかが街の空気一つで、なにを大袈裟な。

 まぁでも、案外馬鹿に出来ないかも。




*     *     *     *




「いよっっッッし!! ここまで来れば恥ずかしくないッ!! はい、馴染んだッ!! テンション上昇中ぅっ! グイィィーーーーン!!!!」



「早々に喧しいなアイツ」

「アンタが操縦しなさいよ」

「無茶言うな」


 最寄り駅へ到着するや否や、子どものように目を輝かせパークへと全力ダッシュ。コートに限らず切り替えの早さに定評のある市川さんであった。


 大型コインロッカーに各々の荷物を叩き込み、いよいよパークも目前だ。寒々しい冬空とはいえ、雲も少なく遊び惚けるには絶好のコンディション。否が応でも気分は上がる。



「陽翔くん、来たことある?」

「えっ。あぁ。まぁ、一回だけな」

「全然想像できん。ベンチで寝てたっしょ」

「いや、ちゃんと乗り物乗ったぞ。一応」


 ふーんそっかー。と特に興味も持たず、ノノの後に続いた瑞希を比奈が駆け足で追い掛ける。流石に今日ばかりは俺よりパークってか。いいけど。



 懐かしいな。

 確か小5の頃だっけ。


 偶には息抜きも必要だと、に無理やり連れ出されて一日中付き合わされたんだっけ。


 向こうは家族連れで俺一人混ざった状態だったから、割と気まずかったな。



 …………そうか。もう、そんなに昔か。


 アイツが今、どこでなにをしているかなんて考えもしなかったけれど。そう言えばノノと同い年なんだよな。生きてれば。いや、悲しい死別の過去とか、別に無いけど。



「ハルト? どしたの?」

「大阪って、意外と広いんだよな」

「え。あ、うん。そうかもね」

「なら、心配せんでもええか」

「いやなんの話?」

「なんでもね」

「なによいきなり。こわ」

「だからなんでもねーって」


 余計なことは考えないことだ。


 今回の帰省、もとい大阪遠征に「アイツと仲直りする」なんて目的は入っていない。交友関係を主張出来るほどの関係ですらなかった。その筈だ。



 疎遠になった古い知り合い。

 アイツもそのうちの一人。

 ただ、それだけ。


 俺が今になってようやく思い出したように。

 アイツもきっと、俺のことなんか忘れている。



「陽翔さん」

「あ。どした」

「パンフレットに不備があります。ドゲザねこのコラボアトラクションが見当たりません」

「あるわけねえだろ」

「あんなに人気コンテンツなのに、おかしいです」

「マ○ベルとハリ○タに肩並べる気でいんの?」

「そう遠くないうちに実現するかと」

「過大評価だよ」


 取りあえず、いつも通りなのか浮足立っているのかちっとも分からないコイツの世話から始めよう。

 今はただ、目の前の彼女たちを見つめるだけで精一杯なのだから。



(…………今頃あっちで……)



 駅のホームから見えた人工島。

 遠くからでも確認できる一面のグリーン。


 手が届くようで、届かない。

 あのピッチに帰ることは、決して無い。



 穏やかな海面に靡いた一時のウェーブ。薄くボヤけたシルエットが脳裏に現れて、やがて音も無く消えてしまった。


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