369. どうもありがとう


 およそ10分ほどの論説。

 琴音の熱弁がリビングを満たしていく。


 香苗さんはそんな彼女の言葉たちを、噛み締めるというほどの真剣みも無く、ただただ無表情のまま受け入れるのみに留まっていた。


 まるで感情が読めない。こうして黙っている分には、類を見ない美少女である琴音の母親たる所以を感じさせるが。


 同時に琴音には無い。

 何か不気味なオーラを身に纏っている。



「……つまり、そういうわけです。フットサル部を辞めるつもりはありません。どれだけ説得されようと、無駄です。決定事項です」


 熱っぽく語る珍しい琴音の姿に暫し見惚れていたが、にしてもやや強引な纏め方ではあると思う。普段の彼女とは違い、感情が表に出過ぎているというか。


 それもまた、母親の知らない彼女を演出するうえで必要なピースかもしれないが。どこか空回りの感は否めない。



「……部活に誘ったのも、貴方なのね」

「えっ……ま、まぁ、そうですね」


 喉元に突き刺すような色の無い言葉。

 思わず動揺して声がひっくり返る。


 正確に言えば事情は異なるからだ。

 勝手に入って来たのだ彼女は。

 わざわざこの場では言わないけれど。



「琴音が自分からなにか始めようとしたのは、これが初めてでもないの。倉畑さんだったかしら。あの子にバレエに誘われて、勝手に体験入学したりね。でも、すぐに辞めさせたわ。この子には向いていないことくらい、私でも分かるし……何より、必要が無いの」


 淡々とした物言いに、思わず鳥肌が立った。


 氏の身に纏う厳かな雰囲気にやられてしまったという話ではない。琴音の想い溢れる言葉たちが、何一つ響いていないことを早くも悟ってしまって。


 恐ろしかった。


 いったい誰を見て話しているんだろう。

 その瞳に、俺たちは映っているのか?



「貴方が真剣に部活動へ取り組んでいることは、良く分かったわ。それでも私の意見も、家の方針にも変わりはありません。今すぐにでも辞めて貰うわ」

「…………話、聞いてたんですか……ッ?」


 何かがプツンと切れる音がした。


 思わず隣の様子を伺ってみると、今にも飛び出して暴れ出しそうなほどの激しい憤怒を全身に纏い、力いっぱいに両手で膝を抑え付ける琴音の姿が。


 ギリギリのところで踏み止まっているようだが、普段はどこか冴えない眠たそうな目がパッチリと見開き、 溢れんばかりの殺気を滲ませている。


 どうしよう。

 ただでさえ居心地悪いのに。

 もう帰りたくなって来た。情けねえ。


 でも仕方ないだろ。怖すぎる二人とも。



「私になにが必要かを決めるのは、私自身ですっ! 今まで受けて来た施しまで否定するわけではありません、ただ今の私にはっ、フットサル部と、フットサル部の皆さんと、陽翔さんが、必要なんですっ! そんなことも分からないんですか貴方はっ!!」


 立ち上がりテーブルを力任せに叩く琴音。


 これほどまでに怒りを露わにする琴音など、勿論今まで見たことが無い。

 不穏な空気に呑み込まれていたのは俺だけか。それどころか、今この瞬間に至っては邪魔者かも分からない。



「分かっていないのは貴方よ、琴音。客観的に見れば自ずと理解出来る筈だわ。そのフットサル部に費やした無駄な時間を、もっと他のことに向けていれば……」

「私は私なりに、出来る限りの努力をしているんです! 貴方たちが自分勝手に作り上げた入れ物に押し込めようとして、それが私の身の丈に合っていないことくらい、もう気付いているでしょうっ!」

「それこそ貴方が勝手に決め付けていることじゃないの? 部活動へ現を抜かしている間に、成績も落ちているわ。これは歴然たる事実よ。先月の模試の結果、まさか忘れたわけじゃないでしょう?」

「……あ、あれがいつも通りですっ……!」

「いいえ。本来の力を発揮すれば、あと30点は取れていたわ。悪いけど、貴方の成績ならいつどの時期にどれくらいかなんて、覚えているのよ。あまり舐めないでほしいわね」


 母親の追及自体は正論だったのか、言葉を失いその場に立ち尽くしてしまう。力無く椅子に座り直し、悔しそうに身体を震わせた。



「……そんなに落ちてたのか?」

「……いつもより、少し調子が悪いという程度です。納得の行く出来でなかったのも、本当のことですが……」


 消え入りそうな呟き。

 今にも泣き出してしまいそうだ。


 模試のレベルがどれくらいかとか、俺には分からないけれど。少し前の定期試験だって、夏よりも数点減ったというくらいの誤差に留まり、文句なしの学年一位である琴音だ。


 これが成績も変わりなくて何の問題も無ければ、叱責も最低限で済んだかもしれないが。落ち度とまではいかなくとも、琴音にも多少の負い目が無いこともないんだな。



「廣瀬くん、だったかしら」

「は、はい……?」

「ハッキリ言わせて貰うけど、迷惑なのよ」


 今度は俺の番か。

 どんな難癖を付けられるか見物だな。


 これが生半可な横暴でないことも確かである。あくまでも理詰めで、確実に俺たちを追い込もうとしている。それが思いのほか的確な一撃で、中々に重たい。



「今のご時世、良い大学に入って、良い会社に入ればなんて、馬鹿なことは言わないけどね。それでも、この子には今よりもっと相応しい環境と未来があるの。ただでさえレベルの低い高校に通わせているのに、余計な活動で時間を浪費するなんて以ての外だわ」

「あくまで無駄ってわけですか」

「その通り……ごめんなさい、あんまりこういうこと言いたくないけれど。どの面下げて家に来たのか、聞いてみたいくらいよ。廣瀬くん」

「…………ホント正直に言いますね」

「貴方が余計な干渉をしたせいで、この子も、家族も、必要の無い問題に駆られているの。彼氏でもなんでもいいけれど、どれだけ図々しいことをしているか、理解してるの?」


 笑ってしまうほどにボロクソだ。

 よく当人を前にここまで言えるな。


 それもこんな真面目な顔して。

 本気でそう思ってるの丸出しじゃねえか。



(琴音の母親ってのも納得やな……)


 あの頃の琴音の生き写しを見ている気分だ。


 オブラートに包むべき言葉も遠慮なくぶつけて。

 相手の心境なんてまるで考慮しない。



 どうにか心が折れずに済んでいたのは、このように言われてしまうのもある程度は想定内だったこと。そして、ほんの僅かではあるが思い当たる節があったからだ。


 間違ったことは言っていない。

 俺はきっと、琴音の人生を変えてしまった。



 でも、それが悪いことと決め付けるのは。

 まるで意味の無いことだと言い切るには。


 ちょっと早過ぎるし、主張にも穴がある。

 そういう話をしに来たんだよ。この堅物が。



「なあ、琴音」

「……はい?」

「敬語って疲れんのな。お前は慣れとるからええかもしれへんけど、俺には無理や。気持ち悪くって仕方ねえ。喉仏取っ払った方がマシやわ、ホンマ」

「…………陽翔さん?」


 突然言葉遣いを元に戻した俺を見て、琴音はだいぶ驚いていた。香苗さんも意外そうに……いや、むしろ想定内だとでも言いたげに、冷めた視線をぶつけてくる。



「……もう少し理性的な子だと思っていたけど、見当違いみたいね。もっと人を見る目も鍛えた方が良かったかしら」

「アホ抜かすな。琴音ほど見る目のある奴なん早々おらへんわ」

「…………仮にも彼女の母親に向かって、その態度はどうなの?」


 あからさまに機嫌を損ねている。

 はじめから無いも同然の好感度も地に落ちたか。



 いやあ。駄目だわ。

 血は争えないって。


 両親に感謝しなければ。目付きの悪い顔に生んでくれてありがとうと。


 ただでさえ誤解されやすい顔なのに、クソみたいな性格に育ててくれて、どうもありがとう。

 おかげで俺は、こんなに恐ろしい人間相手でも、何の躊躇いも無く虚勢を張れる。


 まぁ、見ていってくださいよ。お母さん。

 凡庸な高校生のイキりっぷりがどんなものか。

 持たざる者の怒りがどれほど卑屈で醜いものか。



「……あの、陽翔さん?」

「あっ? んだよ」

「……急にどうしたんですか?」


 不安げな。或いは心配そうな面持ちで口元を歪ませる琴音。これから起こる惨憺たる未来に怖気づいているのか。だとしたら、正しい反応かもな。


 わざわざ言わなくても分かるだろ。

 久々にキレてんだよ俺は。



「敬語っつうのは、敬うべき人間にここぞってときこそ使うのが俺のポリシーなんで。無駄に脳味噌詰まってんなら理解出来んだろ?」



 反省はしない。後悔はあとで。

 今はただ、本能に従うのみ。


 関西人の捻くれ根性舐めんなよ。


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