370. 一発でも当てれば上等


「……わざわざ私相手に喧嘩を売りに来たの?」

「んなつもりは無かったけどな。気が変わった。俺やって人の親にここまで言いたかねえわ。琴音の母親ってなら尚更や」

「それこそ貴方が首を突っ込むことじゃ……!」

「まだ汚ねえ唾撒き散らかされてえのか? 気分悪いっつってんだよ……俺の扱いに文句垂れてんじゃねえ、娘に対する態度がなってねえって、言ってんだよッ!」


 声を荒立てる未知の生物を前にして、琴音の母親は少々面食らった様子であった。醜い顔面をしている自覚はある。ならこんなときくらい有意義に使いたい。


 

「アンタが見て来たのはっ、今までの、アンタが知ってる限りの琴音だろうがッ! 全部知ってる!? ふざけたこと抜かしてんじゃねえッ! ならなんで琴音がここまで反抗してんだよっ!」

「……反抗期くらい、誰にでもあることよ。この子は昔から素直で大人しい子だから……偶々このタイミングだった、それだけのことでしょう」

「理由も無しに反抗するほどアホじゃねえんだよ、子どもっつう生きモンはな! 何年琴音の母親やってんだよ! それくらい分かんだろうがッ!」


 昂る感情に後押しされ、ティーカップを悠々と漂う水面が激しく揺れ動いた。酷く顔を歪ませる氏の怒りまで加わり、無色透明のリビングは仄かに体温を増していく。


 呆気に取られ事態の急変を呆然と見つめる琴音。いきなり豹変してしまった態度に、彼女は声も出せずその場でおろおろと視線を泳がすばかり。



 琴音。お前は頑張ったよ。


 言いたいことを、やりたいことを主張するだけでも。この母親を前にしては相当の苦労があるのだろう。


 でも、それじゃ足りないんだ。


 比奈も言っていただろう。

 理解はさせられても、納得させるには。

 もう幾つか必要なものがある。



「……貴方たちには、そう見えるかもしれないわ。教育の仕方が間違っているって。琴音のことを考えていないって、そう思われても仕方の無いことよ。でも、それこそ余計なお世話。私たちがそうやって育ってきたように、この子も真っ当な育て方をしているだけ。貴方に文句を言われる筋合いは……」

「んな話しとらんやろがッ! ちっとは頭回せやっ! アァ゛!? 耳付いてねえのかタコがッ!」

「あの、陽翔さん、流石にちょっと……!」 


 無駄な悪足搔きにしか見えないというのなら、それもまたその通りなのだろう。でも、言わなければならない。どう思われたって関係無い。



 空回りし過ぎだって?

 構うものか。好きで回してんだよこっちは。


 一発でも当てれば上等だろ。

 


「アンタらの教育方針がどうとか、ルールとか、んなもん知ったこっちゃねえんだよ……全部知ってるつもりなら、もうとっくに理解出来てんじゃねえのか!? 今まで従順だった琴音が、そのルールを破ってまで……俺みたいな屑に頼ってまで、通したいものがあるんだよッ!」


「いくらでも馬鹿にしろよッ! 確かに俺らのやってることなんて、なんの意味もねえ、ただの玉蹴りや、お遊びなんだよッ! そんなお遊びに付き合ってるんだよコイツは、自分の意思でなッ!」


「琴音だけ特別扱いしてんじゃねえッ! コイツもその馬鹿のうちの一人なんだよッ! 分かっか!?」


「誰に影響を受けたかとか、教えられたとか、仕込まれたとか、関係ねえんだよッ! コイツが本気で信じたなら、ただの遊びじゃないって思えたなら、それが琴音にとっての本物やっ! アンタらがたかが十数年で作り上げたモンなんて、その程度でブッ壊れてんだよ!!」


「くだらねえ理想押し付けてる暇があんなら、今の琴音を見ろよッ! たかが16年間近で見て来た琴音じゃねえ! この半年間、アンタらのいねえところで必死に生きていた琴音をっ! もっと、もっと近いところで見てやれよッ!」


 息が続かず呼吸は覚束ない。


 これでもまだ足りないのだ。

 俺が彼女から貰ったものを返すには。

 彼女の今を、すべてぶつけるには。



 足りない。

 足りない。

 足りない。


 俺が彼女を。彼女たちを想う気持ちは。

 こんなもんじゃねえだろ――――

   


「琴音っていう、人間を見てやれって言ってんだよッ…………好き好んで親に歯向かう馬鹿がいるか……理解も納得も必要ねえ…………ちゃんとをやってやれよ……ッ!」

「…………陽翔さん……っ」

「話が終わったらそのまま仕事にでも行くつもりか……!? アンタらにとって、琴音との時間はたかがスケジュールに組み込む程度の、その程度の関係か!?」


 もっと、真剣に考えてほしい。

 彼女のことを、見てあげてほしい。


 俺には見えなかった。

 叶わなかった、たったそれだけのことを。



「人と、人との話をしろって、それだけのことだろうがッ! なんで俺がここまで出しゃばんだよッ! 分あっとるわんなことッ! お前らがやれねえからっ、俺が! 俺らがやってんだろうがッ!!」



 力任せに響いた拳とテーブルの衝突音を最後に、リビングからは一切の音色が消え失せた。一度も口を付けていない粗茶の香りと、生温い温度が少しずつ引いていくのが分かった。


 闘いを終えた闘士のように腰の力が抜け、身体ごと崩れ落ち椅子へもたれ掛かる。絶え絶えの呼吸を改めようにも、これ以上の熱量を保つには何もかもが事足りなくて。



 人のこと言えないな。


 琴音なんかより、よっぽど話下手の癖に。何かを動かすほどの根拠など、持ち合わせていないのに。一人相撲を続けている。



 本当はもう分かっていた。

 琴音の母親に言いたかったんじゃない。


 他の誰でもない、自分の両親に。

 俺は同じことを伝えたかったんだ。



「一つ、聞いてもいいかしら」



 あれだけの熱をぶつけられても尚、琴音の母親は然として冷静だった。俺を見る冷めた表情に変わりは無く、ただ漠然と、一言で空間すべてを把握してしまう。


 俺はまだ気付いていなかった。

 微かに色付き始める、この部屋の変化に。



「彼氏、なんでしょう? どんな経緯があったかまでは聞くつもりも無いけれど……この子のどこが、そんなに良かったの?」

「…………琴音の?」

「確かに見てくれは可愛らしい子だけど、女性らしい愛想には縁遠い性格よ。私の血を引いているのだもの、それくらい分かるわ……彼氏なら好きな理由の一つくらい答えられるでしょう?」

 

 この期に及んで何故そのような質問を投げられるのか、どうにも真意を図り兼ねる。しかし設定上でも一度は宣言した手前、答えないわけにもいかない。


 別に大したことでもない。

 その程度の理由なら、幾らでも挙げられる。



「…………憧れてるんですよ。琴音に」

「……どういうこと? ちゃんと説明して」

「全部です。全部。そりゃ琴音は可愛いし、外見的な理由もゼロじゃねえけど…………それ以上に、カッコいいんすよ。どんなときも、琴音は琴音で、絶対に自分を曲げない、変わらない強さがあって……そういうところに、俺は惹かれてるんです」


 細かい話をすればキリが無い。

 大まかに伝えるなら、一番分かりやすいだろう。


 誰よりも真面目で、誰よりも負けず嫌いで。

 やると決めたことは必ず成し遂げる。


 フットサル部での姿も、二人で居るときの彼女でもそれは変わらない。意地っ張りで主張下手で、何かと不器用なところも。そんな自分を認めて、誰よりも努力している。


 でも偶に気が抜けていて、どこか不用心で。まるで機械のような人間なのに、ふとした瞬間に人間臭さで溢れる。一見冷たいようで、実は誰よりも優しい。



 きっと彼女も、俺と似ているのだ。

 お前はきっと否定するんだろうけど。


 同じ歩幅で、前に進んだり、後退したり。

 気付かぬうちに歩幅が揃っている。そんな奴。


 これで身長差は一番あるってんだから面白いな。

 見てくれなんて、よっぽど役に立たない。 



「頭が良いとか、外見が整ってるとか、もっとそれらしい理由があるんじゃない?」

「……んなもん二の次や。たかが情報に過ぎん。分かりやすい理由なんてねえよ…………ただ、一緒に居たいって、守ってやりたいって、それだけっす」

「……貴方に、それが出来ると?」

「学力なら心配しなくても結構。全科目一位破ったの、俺なんで。こう見えて語学堪能なんすよ、オレ。顔以外なら割かし釣り合ってると思うけどな」


 勿論、そんなものは一要素に過ぎない。


 俺には、俺たちには自信がある。

 この家族未満のルールに従って生きていくより。


 ずっと煌びやかで、美しい未来を見せられる。

 共に作っていくことが出来る。



「……少なくともアンタらより、琴音を幸せに出来る自信はあるぜ。どうしてもってなら、今すぐにでもコイツを連れて帰ってやるよ」


「飯は俺が作ってやる。服が買いたいなら俺がバイトして金出してやる。大学なら借金でもして行かせてやる…………笑うんじゃねえよ。俺は本気で、琴音のためならなんだって出来るんだよッ!!」


 行き過ぎた見栄えだけは良い台詞を前に、琴音も母親も言葉を失っていた。あまりにも非現実的で子ども染みた主張だと、俺も分かっていたけれど。


 でも、本気だ。

 琴音だけじゃない。


 俺は、アイツらのためなら。

 どんな犠牲だって払える。


 それが俺の、たった一つの我が儘。



「思い上がるなよっ、たかが母親がッ!!」


「アンタらの作ったクソみてえな縛りは、俺は全部書き換えてやるッ! 俺が、俺たちが作るんだよッ! 琴音が心から笑って過ごせる、コイツにとっての家族をッ!!」


「血の繋がり一つで、甘えてんじゃねえよッ! 悔しかったら少しは抵抗しろやッ! 俺たちに出来て……本物の家族に出来ねえわけねえだろッ!!」


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