366. 表現控えろ


『それで、そのまま寝ちゃったの?』

「ぐっすりな」

『えっちな悪戯とかしてない?』

「しねーよ」


 30分も経たず睡魔に襲われた様子の琴音は、さして暖かくもないであろう人肌に包まれたまま眠りに落ちてしまった。


 誰の影響かはともかく、俺一人で横になるには随分と広く感じるようになったベッドに彼女を転がして毛布を掛ける。


 今日一日の喧騒を顧みれば、随分と穏やかに寝息を立てるものだ。



 間もなく比奈から電話が掛かって来た。

 快く送り出したとはいえ、やはり心配だったようで。



『取りあえず明日は大丈夫そうかな?』

「多分な。最悪このまま居候させるわ」

『それはそれでわたしが不満だなあ』

「文句言うな。ならお前が引き取れ」

『えーっ。琴音ちゃんと朝から晩まで一緒じゃ疲れちゃうよ~』

「仮にも親友に向かってなんちゅう言い草や……」


 悪戯に微笑む彼女が目の前に現れるようで、不思議な感覚だった。電話越しでも表情が分かるなんて、同じ人間でも差があるものだ。


 俺や琴音と違って。

 悪口ではない。決して。



『でも良かった。陽翔くんと二人になったの、正解だったね。わたしじゃ琴音ちゃんのこと甘やかすだけになっちゃうから』

「……別に悪いことでもねえだろ。言うとったぞ俺に甘えたかったって」

『あははっ。やっぱり?』

「なんや、気付いとったんか」

『まぁね。琴音ちゃんああ見えて単純なんだから……気に入ったモノにはどんどん深入りしちゃうっていうか、それしか見えなくなっちゃうし』

「俺をモノ扱いすんな。憤慨やぞ」

『それに関してはわたしも一緒』


 言われてみればそんな気もする。それ相応のきっかけは必要かもしれないが、琴音という人間はどうにも、生活における幅が狭いというか。


 出会ったばかりの頃に見せていた比奈への過剰な執着に始まり。フットサル部に加入すると決まれば、最初は本意でなくともほとんどの時間を俺たちと共に過ごしていて。


 毎日のようにおしるこ缶を飲んで、飯も決まって同じものしか食べない。一度ルーティーンになってしまうと、そこに固執してしまう性質なのかもしれないな。



 ドゲザねこに関しては今更言及しない。

 いつからハマったかとか興味も無い。



『それくらい陽翔くんのことも気に入ってるってことだよ。本当に凄いことなんだから。琴音ちゃん、ハマるまでは結構時間掛かるタイプなんだよ?』

「まぁ、悪い気はしねえけどな」

『でも、わたしより陽翔くんなのはちょっとだけ寂しいかも』

「んだよ。結局甘やかそうとしてんじゃねえか」

『だって可愛いんだもーん』


 今にも歌い出しそうな明るい声に、つられて笑みが零れた。琴音を想う彼女の気持ちと、ベッドですやすやと眠りこける姿を見る俺。


 ここだけ切り取れば、いよいよ子どもの成長を見届ける夫婦のようだと、改めて思った。



「しかし、面白い関係だよな」

『んー? なにが?』

「お前と琴音。どういう経緯で出会ったかまではそっちで聞いたけどよ。やっぱり、ちょっと引っ掛かるんだよな」

『引っ掛かるって?』

「それこそ小さい頃の琴音なん、親の影響ゴリゴリに受けとる脳味噌カチコチ人間やろ。よく比奈に着いていく気になったなって」

『あー…………どうなんだろうねえ。実は、わたしもよく分かってないんだ。最初に声を掛けたのはわたしなんだけど、本当に気付いたら琴音ちゃんから寄ってくるようになったっていうか』

「お前のお転婆エピソードを聞いた限り、どう考えても相容れない立ち位置な気がするけど」

『……茶道部の話、みんなには内緒だよ?』

「別に言わねえよ」


 気にはなっていた。


 いくら比奈の方からゴリ押ししたとはいえ、今よりもお堅い性格の琴音が易々と彼女に連れ回される理由が、どうにも分からなかったのだ。


 まぁでも、理由があるとすれば一つか。


 無意識のうちに惹かれる何かがあって。

 きっと、そのときの琴音には無かったもの。



『これも、みんなには秘密にしてね』

「え。おう」

『実はわたしと琴音ちゃん、高校に入ってからちょっとだけ疎遠になっちゃったんだよね。クラスが違うのもあったけど、それよりも……なんて言うのかな。どっちも一方通行って感じで』

「一方通行?」

『たぶん、受験のときにご両親とのことで迷惑掛けちゃったんじゃないかって、引け目もあったんだと思うな。ほら、わたしがフットサル部に入ろうとしたとき、色々あったでしょ?』

「色々っつうか、ひと悶着な」

『あははっ。それはそうかもっ…………うん、でも、そうなんだよね。わたしに対してもすっごく過保護になっちゃったんだ。それこそさっきの話で、深入りし過ぎてる感じ』


 僅かに憂いを帯びる声色。

 まさしく「モノ扱い」というわけか。

 


『それまでは本当に、ただの仲の良いお友達だったのに。段々「どっちが守って、どっちが守られるか」みたいな関係になってたんだと思う』

「今はそんなこと無いんだろ?」

『うん。今はね。だから、そのときはちょっとだけ、琴音ちゃんと話しづらいなって、思ってた頃もあった。でもしっかり考えたら分かることなんだよね……それって、琴音ちゃんからしたら単に愛情の裏返しなんだなって』

「まぁ、そうかもしれないな」

『琴音ちゃんは昔から……言い方は悪いけど、ご両親にずっと「守られている」状態だったんだよ。そういう自分に反発したくて、今度はわたしが守らなきゃって思うようになったんじゃないかな。だから自立したいっていう琴音ちゃんの気持ちも、本物なんだと思う』


 現状への強い不満と、手に入れたい姿との間で藻掻き苦しみ。その結果、行動が裏目に出る。


 どこかで聞いた話だな。

 具体的には、数日前にこの部屋で。



 まるで違う姿かたちをしておいて、誰も彼も似たような悩みを抱えているものだ。無論、そんな彼女たちを見て他人事ではいられない俺だけれど。



『ちゃんと支えてあげてね。琴音ちゃんのこと。琴音ちゃんは誰かに甘えたりするの、嫌だって思ってるかもしれないけど……フットサル部と、陽翔くんに支えられてる姿も含めて、今の琴音ちゃんだから。琴音ちゃんも、そういう自分のこと、少しずつ認めてあげられるようになって来てる』

「……そうだな」

『本当の意味で自立なんて、出来ないよ。誰だって色んな人に支えられて生きてるんだから。それこそ、ご両親にもね。そこに気付けたら、今回のこともちゃんと解決出来ると思うな』


 比奈の言う通りだ。

 人間、一人では生きていけない。


 いつも見えないところで、誰かに頼って。支えられて。見えないからって、それを無いことには出来ないのに。みんな勘違いしている。



「ありがとな。もう遅いだろ、そろそろ切ろうぜ」

『うん。明日はよろしくね。あ、それと……』

「……あ? なんや」

『朝、気を付けてね。琴音ちゃん、寝起きすっごいふわふわしてるから。そのまま流されちゃダメだよ。おっぱい触っても気付かないくらいだし』

「だからなんもしねーよ」


 むしろお前は触ったことあるのかよ。

 瑞希と大差ねえじゃねえか。



『分かんないよお? 陽翔くん、あんなにカッコつけておいてすぐ流されちゃうんだから。大丈夫? 他のみんなと隠れてえっちなことしてない?』

「余計なお世話だっつうの」

『そういうのはわたしだけにしてね?』

「表現控えろ色ボケ』

『もしそうなったらわたしも混ぜて欲しいな』

「控えろっつってんだろアホ」

『あはははっ。じゃあそれはまた今度ねっ?』

「だから予定に入れるなそんなこと……っ」


 最後の最後まで油断も隙も無い比奈であった。


 なんでお前がに関して一番積極的なのかな……瑞希かノノの役目だろ。あと直近の愛莉。


 お前だけは冷静でいろ頼むから。

 パンデミックが起こるわ。



『じゃあね陽翔くん。おやすみなさい』

「ん。またな」

『あれえ? 愛してるって言ってくれないの?』

「愛してる、むっつり倉畑さん。じゃ、おやすみ」

『むっ、むっつ……!? そ、それどういうこっ』


 はい、通話終了。

 瀬戸際に大逆転ということで、ここは一つ。



(…………心配いらねえよ。今の琴音ならな)



 人の家で遠慮なく熟睡する彼女。

 柄でもなく口元から涎が垂れていた。


 苦笑交じりに指で汚れを掬うと、少しくすぐったそうに微笑を溢す。いったいどんな夢を見ているのだろう。写真でも撮って明日見せてやるか。悶絶しそうだな。



(精々好きなだけ甘えるこった)


 なにも不自由はない。お互い自分の足で立っている「つもり」なんだから。


 少しくらいの妥協と甘えなら、許される。

 俺たちの関係は、今もこれからもその程度だ。



 毛布を掛け直し、彼女の横に倒れる。


 流石に俺も眠くなった。

 今晩くらいは、この温もりに甘えて。

 都合の良い夢でも見ることとしよう。


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