365. 本当に今更
「…………あの、見えづらくないですか……っ?」
「いや。全然」
「そうでなくともこの体勢を取る意味は……」
「形から入るってやつよ」
「……上手いこと言い包められている気がします」
膝の間にすっぽりと収まり背中を預ける琴音は、目の前のパソコンとこちらの様子を交互に眺め落ち着かなさそうにしている。
それに負けじと興奮している自分も居ないことも無かったのだが、自ら言い出した手前あまり隙を見せるのも好ましくないと、平静を装い迸る感情を押し殺す。
誰がアップロードしているのかも分からない、フットサルの基礎技術を解説する動画が垂れ流しになっている。自宅で叶わなかったお勉強の続きでもすれば良いと、俺が提案したことだ。
一方、あまり役には立たないと思った。
琴音は明らかに集中できていない。
お腹周りを囲うようにロックしているので、その場から抜け出すことも出来ず。
ただでさえ小柄な身体を更に縮こませ、耳元まで真っ赤に染め上げている。
「や、やっぱりおかしいでしょうこれは……っ!」
「ハッ。安易に賛同した自分を責めるがいい」
「こっ、こんなことをされるなんて思っていなかったんです……っ! だいたいっ、世の中の交際関係にある男女が必ずしもこのような行動を取るとは……!」
「琴音が恋愛の常識を語るのかよ」
「…………うぅっ……ッ!」
思い当たる節があったのか、それらしい反論も無く黙りこくってしまう。なんだそのあざとい抵抗は。可愛いなテメェ。張っ倒すぞ。
(まぁしかし、ゴリ押しなのは否めん)
どうしてこんな状況になったのか。
説明するにも結構長くなる。
分かりにくく解説すれば、これは明日に控える両親との直接対決に向けて「今までとは違う琴音」「両親の知らない琴音」をより過剰に演出するための、云うならば演技指導。
フットサル部を続けたいと彼女が訴えたところで、恐らくこれまでと同じような「説得」に遭うのは目に見えている。琴音の人生設計をコントロールするのが彼らのおおよその目的なのだから。
そこで、俺という異分子の登場。
要するに「私は貴方たちより彼氏の言うことを信頼しているので、これ以上の束縛は無駄です。まだ抵抗するならこのまま出て行きます」的なメッセージを叩きつけたいわけだ。
いくら彼女の両親が体裁に拘った教育を施して来たとはいえ、縁切りまで匂わせるほどの勢いで迫られては、琴音の現在の状況を受け入れないわけにはいかないだろう。
なによりも大切な一人娘を失ってまで、自身のポリシーを通し続けることは無い。そんな確固たる自信があるからこそ、この作戦は俺たちがどこまでも強気に出ることによって機能するのである。
「もっと体重預けろよ。身体ガチガチやぞ」
「むっ、無理です……っ!」
「比奈の前でハグしといて何故これが出来ぬ」
「それとこれとは別問題なんです……ッ!」
そんな事情もあり、俺と琴音は漫画やドラマでよくあるような「その場凌ぎの一日限定カップル」を彼女の両親の前で演じなければならない。
いきなり目の前でイチャつき出すのも難しいだろうと、今のうちにそれっぽいことをしておいて、経験値を稼ごうとしているわけである。
が、当の本人が苦戦していた。
倉畑家やこの部屋で行われた肌の密着を考慮すれば、それほど難しいことでは無いと思われたのだが。どうにも「恋人」というフレーズを前に、琴音は明らかに平静さを失っている。
勿論、俺だって何の抵抗も無しにというわけではない。後ろから抱き抱えるようなこの体勢は、自身の余計な主張まで彼女に伝わってしまいそうで嫌でも緊張を膨れ上がらせる。
それでもやはり、どうしたって態度に出てしまう。結局、ただただシンプルに「甘え下手な初々しいカップル」がこの部屋で誕生してしまったという、つまりはそういう話であった。
「しっかりしろよ。この調子じゃその場乗り切るために適当な奴連れて来たって、すぐに看破されちまうぞ。いやまぁ事実っちゃ事実やけど」
「……それは、そうですけど……っ」
「やるっつっただろ。やれ」
「か、簡単に言わないでください……っ!」
言い出しっぺの功か、ギリギリ俺の方が余裕はあるらしい。むしろ動揺している彼女を見て落ち着いてきたまである。
「で、出来ませんよっ……! 私という一人間が男女交際という概念から最も遠いところに身を置いていると貴方も知っているでしょうっ……!?」
「んなん俺も同じだっつうの……あのな、役割を意識し過ぎなんだよ。もっとこう、普段通りでええんやって。いっつも肌当てるくらい密着しとるやろ」
「…………だから困ってるんです……っ!」
目を瞑り現実逃避に走る琴音であった。
今更な話である。例を挙げるなら、スクールバスで隣に座った日や朝学校でおしるこを買いに行くとき、談話スペースで繰り広げる何気ないやり取り。
パーソナルスペースガン無視の瑞希やノノには及ばないが、彼女も彼女で身体的な距離は割かし近い。なんならその二人に「距離感がカップル」と言われのない文句を浴びる程度には。
この期に及んで恥ずかしいと言われても、こちらが困ってしまうのである。
二人きりになった途端、いきなり距離を詰めて来る愛莉や比奈とも違う反応に、対処し切れない自分がいた。
「…………浅はかでした」
「は? なにが?」
「自身の愚かさに辟易します……分かってます、分かってますよ……貴方はあくまで偽りの関係を見せるために、こうしていると。だから困るのです」
渾身の勇気を振り絞りこちらへ振り向く琴音。今にも破裂しそうなほどに紅潮し、怒りともやるせなさとも言い切れぬ何かが映し出されている。
「気付いてしまったんです…………こんなの、いつもと大して変わらないじゃないですか……! まるで恋人同士のようなやり取りを、私たちは毎日、当たり前のようにしていただなんて……っ!」
「…………え。今更気付いたのかよ」
「しっ、仕方ないじゃないですかっ! 分からないんですからっ! むしろ貴方は、どうしてそう飄々としていられるのですかっ! おかしいでしょう! 不当です! 不平等ですっ!」
涙目で訴える彼女に、少しだけ呆れる。
言い掛かりも良いところだ。
知らなかったで済む話か。
「……本当に、ろくでもない人です。貴方は。私も私で、感覚が麻痺していたのです……こんなことを誰彼構わずしているというのですから、とんでもないことです。本当に……!」
「誰でもじゃねえよ。アイツらだけや」
「だとしても、ですっ!」
「俺が言い出すのも問題あると思うけど、ここまで来て俺らに一般的な交際観念を持ち出しても手遅れやろ」
「ちょっとは申し訳なさそうな顔が出来ないんですか……っ!」
今度は分かりやすく怒っていた。
どちらかというと自身への戒めが強いか。
なるほど。恋人という設定の現在と、普段或いは今日ここまでの言動があまりに一緒過ぎて、急に恥ずかしくなってしまったと。どこまで無自覚なんだよ。めんどくさい奴だな。
……いやまぁ、ド正論なんだけどな。
元よりスキンシップの多い集団ではあるが、ここ最近の俺たちは明らかに仲良しグループのそれを逸脱してしまっている。
琴音もそんな濁流に飲み込まれていて。で、改めて俺と一対一になったこのタイミングで、フットサル部を取り巻く状況の異質さに気付いてしまったわけか。
仮にも部内随一の常識人ではあるからな。その分、誰でも持っているような常識が欠落しているのも事実だが……それを差し引いても、彼女の倫理観にはそぐわない何かがあったらしい。
だとしても、本当に今更だよ。
引き返せる時期はとっくに過ぎたのだから。
「…………いつまで続けるんですか……っ?」
「琴音が慣れるまで」
「そんなときは永遠に訪れません……!」
「そうか? だいぶ震え収まっとるけど」
「えっ…………あっ……そ、そうみたい、です……」
自分でも驚いているようだった。
いつの間にか身体の力も抜けている。
それはそれで、理屈通りの気がしてならない。これほどまで肌を寄せ合うようなことは無かったにしろ、いつもこれくらいの距離感で過ごしているのだから。
「……あの。動画はもういいです」
「…………んっ」
パソコンの電源を落とす。それすらも邪魔だと、互いに言わずともなんとなく分かって。
高鳴る胸の鼓動と秒針の針がリンクする。
まるで本物の
俺たちは、時間を浪費し続けていた。
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