364. 派手に噛ましてやろうぜ
一日で同じ映画を二回観る。
愛好家でもなしに、結構な労力だ。
それでも隣に座る琴音が「この言い回しはどのようなニュアンスが」「ここのやり取りは訛りが」「ここでこの台詞はどういう意味が」等々、色々と質問をぶつけてくれたおかげで、それほど退屈せずに過ごすことが出来た。
このような真面目なやり取りを交わしていると、案外俺たちも似たような中身をしているのだなと、不思議な感覚に陥ることがある。
元を辿れば、俺も琴音も根は真面目というか。
一つのモノに熱中しやすい気質がある。
フットサル部の喧騒においても口数の少ない層に分類される俺と琴音は、行動原理、若しくはそこへ至るまでの動機とでも言えばいいのか。
要するに、馬が合うのだ。
多くを語らずとも、共通するモノがある。
瑞希やノノと過ごす馬鹿馬鹿しい時間や、比奈を相手取る際の気取り合った雰囲気も、これはこれで気に入っている。一切気を遣わないで済む愛莉との空間も、中々に心地良い。
そんななか、琴音との間に流れている絶妙な安心と緊張感の入り混じった空気は。俺自身が本来持っているものと理想としている姿を程よく組み合わせたような……何かに例えることも難しいけれど。
余計な背伸びもせずに、同じ目線に立てている。
俺たちの関係を言い表すなら、そんなところか。
「ちょっと勿体ないことしたな」
「勿体ない、ですか?」
「お互い同じもの借りちゃ金の無駄やろ」
「まぁ、成り行きですから。仕方の無いことです」
「ホンマどうしてこうなったかね。琴音が俺の家で呑気にテレビ見てるとか未だに信じ難いんやけど」
「そう言われましても」
映画を見終わった後は、少し休憩しようと互いに理由も無く、スマホを弄ったりテレビを見たりして暇を潰していた。
いや、しっかりとした目的があってわざわざウチに来ているわけだから、無駄な時間だと言い切る勇気も大切かもしれないのだが。
なんとなく、なんとなく
「琴音ってテレビとか見んの?」
「極稀に、です。ニュースや天気予報を少し」
「それはテレビ見るうちに入らんやろ」
「ちゃんと血液型占いも見ます」
「でも信じてねえんだろ」
「上位に入った日は信じます」
意外にもと言っては失礼だが。
学校の外、フットサル部から外れたところで生きている琴音は、思いのほか普通の高校生というか。想像よりもよっぽど女の子なんだよな。
夏合宿の頃だったか。琴音本人も自分のことを「至って普通の女子高生」と称していたが、あのときはまだ信じていなかった。でも琴音だろ。と。
今だからこそ、彼女の言い分も理解出来る。平均よりもずっと可愛らしい顔立ちをしていて、体型の割におっぱいが大き過ぎて、無駄に堅っ苦しい話し言葉を使う。確かにどこかズレている奴だ。
でも、それだけ。
中身は本当に、普通の女の子。
それこそ親と喧嘩したり、親友の前で涙を流すほどには、どこまで行っても真っ当な少女なのだ。ただやっぱり、それを知れただけでも、不思議と得した気分になってしまう。
「……なんですか?」
「えっ」
「ずっと私の顔を見ていたじゃないですか」
「……いや、別に。無意識」
「怖いので辞めてください」
「今更言うかよ」
「前髪で目が見えないので、余計に薄気味悪く感じます」
「それもいつも通りやろ」
「いい加減切らないんですか?」
「このくらい伸びてた方が世界を誤認識できてちょうどいいんだよ。見え過ぎても余計なモンばっか入ってきて、生き辛い世の中ってな」
「……なんですか、それっ」
おかしそうにクスクスと肩を震わせ、口元を抑える。珍しく素直に笑ったものだ。この程度の中二病ごっこで笑うほど単純な奴だったっけ。
「…………不思議、ですね」
「あ? なにが」
「文化祭でお話したこと、覚えていますか?」
「全部覚えとるけど、どれのことや」
「フェスティンガーのコミュニケーション論についてです」
「…………あぁ、覚えてる覚えてる」
「その間はなんですか」
コミュニケーションにはいくつか種類がある、みたいな話か。小難し過ぎてちょっと忘れ掛けていたとか、まぁわざわざ言わなくてもいいか。
「私と貴方とのあいだに、余計な言葉は不要だと。そう思っていました。しかしそれだけではないとも、思えるようになりました。貴方の使う適当でふざけた言葉も、今の私には必要なものなのかもしれません」
「…………おー。そっか」
「勿論、すべてが適当ではないということも、分かっていますよ。いつもどうしようもなくフラフラしている貴方だからこそ、貴方が本気で何かに挑む姿勢や姿に、皆さんも惹かれているのだと思います」
褒められているのか、馬鹿にされているのか。紙一重ではあるが、口振りから察するに前者であると願いたい。まぁ、深く考えなくとも分かることか。
惹かれている、ね。
お前からそんな言葉が出て来るとは。
ちょっとだけ、気になる。
その
「…………一つだけ、嘘を吐きました」
「……嘘?」
「はい。比奈にも、貴方にも」
底の冷め始めたマグカップをテーブルへ置き、思い詰めた様子で揺れ動くコーヒーの流れをジッと見つめ続ける。
「比奈に甘えることで、私はまた似たような過ちを繰り返すと。それを乗り越えるために、貴方が必要だと。そう、言いましたね」
「違うのか?」
「…………自分でも、今更気付きました。私はそこまで、強い人間ではないんです。どれだけ長い時間、あの人たちの呪縛のなかで生きて来たか。今になって振り解こうとしたところで、そう簡単に事は進みません」
では、敢えて俺を頼った理由はいったい。
比奈ではなく、俺を選んだのはどうして。
「私はただ、比奈と同じくらい。いえっ…………比奈よりも気を遣わずに、好きなだけ甘えることの出来る存在を、もう一つ増やしたかったという、それだけなのかもしれません」
「…………それが、俺なのか?」
「素直に認めるのも癪ですが、要約すると、そのようなことになります。電車のなかで数えました。貴方にも連絡したでしょう。貴方と比奈、どちらに多く電話を掛けたか。我ながら驚きました。それでも、同時に納得してしまう自分も居たのです」
理路整然と話す彼女にしては珍しく、整理しようとして反対に話が飛んでしまう、らしくない姿。
けれど、これもこれで悪くない。平然を装うお前もクールでカッコいいけど、慌てている顔の方が、もしかしたら好きかも分からないな。
「……貴方が出てくれなかったから、比奈に掛けたんです。陽翔さん。貴方を頼ったんです。私は初めから、貴方に助けて貰いたかったんです」
「陽翔さん、私は…………貴方に、甘えたかったんです……っ」
行き場の無い情動をグッと抑え込むように、両膝へ添えた掌に力を込める。その程度の抵抗ではなにも解決出来ないと、自ら証明しているにもかかわらず。
「…………失望、しましたか……?」
「……まさか。すっげえ嬉しい」
「うっ、嬉しいことなどなにも無いでしょうっ……足枷にしかなりません、私のような出来損ないがいくら情に訴えたところで……っ!」
「琴音」
「ひぅっ……!?」
少し感情的になる寸前のところで、彼女の身体を手繰り寄せ胸元に携える。
緊張か、過度に興奮しているのか。真っ白な彼女の素肌は赤く染まり、身体は雨に打たれた子猫のように震えて落ち着かない。
何度やっても思うことは同じだ。
あまりにも快適で、心地良くて。
どこまでも、愛おしくて。
「……俺も一緒なんだよ。色々と協力してやりたいのも嘘じゃねえけど…………お前に頼って貰えて、甘えたいって言われて……すっげえ嬉しいんだわ。だから、おあいこや。なっ」
「…………そ、それはっ……」
「もし俺や比奈に嘘を吐いたことを本気で悪いと思っているなら、それは全然ええことや。そうまでして、自分の気持ちに正直になったってことやろ。ならお前は、お前が思ってるよりもずっと前から、もうとっくに自立しとるし、自分の足で立てている。違うか?」
「…………そう、なのでしょうか……っ」
「せやから、あんまり自分のこと責めたりするな。お前が本気でそうしたいってなら、これから何度も味わう痛みや。甘んじて受け入れろ。誰も怒ったりしねえよ。俺も比奈も、みんなもな」
「…………はいっ……」
優しく頭を撫でると、釈然としない表情ながらもうっとりと目を細め、素直に体重を預けて来る。
ここまで簡単に絆されておいて未だに文句を垂れるというのなら、大した詭弁家だよ。嫌いじゃないけどな、そういうところ。
そろそろ頃合いか。夜も深まり、明日の決着まで時間は残されていない。
「明日は両親どっちも家におるんやっけ」
「はい……休みを取ったそうです」
「必然のタイミングやな。一気に片付けようぜ」
「……でも、どうすれば良いのでしょう……っ」
「安心しろ。最高にイカレた解決策思い付いたからよ。大船に乗ったつもりで、存分に甘えろ」
「……あの、暴力沙汰などは困るのですが」
「馬鹿、んなことしねえわ。でもまぁ、インテリ相手にはパワーでゴリ押しするのが一番効くんだよ。琴音の両親ってなら尚更な」
「…………では、聞かせてください」
さて。電車に乗りながらたった20分で考えたアイデアでも披露するとしますか。時間ではない、お前や比奈には出来ない、俺にしか出来ない、思いつかないこと。
別にそこまで突飛なもんでもないけどな。
でも、俺にやれってんだから。
他でもない、俺がやりたいのだから。
少しくらいカッコつけさせろ。
お前のことを本気で可愛らしく思っているのと同じくらい。お前にも、本気でカッコいいと思ってほしいんだよ。なんか文句あるか。
「名付けて「お前らより彼氏と一緒に暮らしたいからもう関わらないでください」ドッキリだ」
「はい?」
「つうわけで、明日まで俺の彼女なお前」
「はい?」
せっかくの家出、レジスタンスだ。
派手に噛ましてやろうぜ。
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