恋とはどんなものかしら ~琴音編~
354. 独白 No.1
私は何者でもありません。
それをよく知っています。
誰に教えられたかと言えば、両親でしょうか。
父は弁護士として。母は教育委員会で働いています。勤勉で抜け目のない二人に育てられ、何一つ不自由のない生活を送ってきました。
元々、自己主張の強い性格ではありませんから。玩具や洋服に興味を示さない私のことを「扱いやすい子ども」なんて思っていたのかもしれません。
鳥籠のなかで弱弱しく鳴く小鳥。
幼い頃から、とっくに自覚しています。
それでも構いませんでした。私は私の世界を自由に生きている、心からそう思っていたことに偽りは無いのですから。
しかし、鳥籠。
飛び立つことは許されない。
そんなとき。空を自由気ままにに羽ばたく、美しいひな鳥を見つけました。私のたった一人の親友。
彼女は自由でした。今でこそお淑やかの権化のような子ですが……いえ、最近は昔のようなお転婆で、悪戯好きな彼女に戻ってきているような気もしますけど。
彼女の持っている何かに興味があったわけではありません。ただひらすらに、彼女に興味があったのです。
不思議な子でした。私と同じような日々を送っているのに、どうしてこうも表情が異なるのか。
私が真面目な顔をしているときに、彼女は笑っていて。とても不思議でした。それと同時に、強く憧れました。
私もあんな風に、笑ってみたい。
私はいつも彼女の後を付いて回っていました。毎日が冒険、危険なことでいっぱい。不利益を被ったこともゼロではありませんが。
それでも、教科書に書いていないことを沢山教えてくれました。私の行動指針は、彼女が居るかどうか。ただそれだけでした。
やがて、私は気付くのです。あの人たちが私に与えてくれたものは、果たしてなんだったのか。
彼女のように、沢山の友達が欲しかった。
だから、自分なりに作ろうとした。
おかしい。私の周りには、誰も居ない。
彼女のように、誰かから褒められたかった。
だから、いっぱい勉強を頑張った。
おかしい。誰も私を褒めてくれない。
学校の先生たちは、私のことを「優秀だ」「真面目でいい子だ」と褒めてくれました。けれどあの子と一緒にいるうちに、その言葉が本当は私という人間ではなく、書き残した筆跡に向けられていることに、やがて気付きました。
勉強が嫌いというわけではありません。それが社会で生きるにおいて大切な要素であることは、誰よりも理解しているつもりです。
ただ、それだけでは生きていけないのだと気付かされたのも。やはりあの人たちのおかげなのです。
私は、空っぽでした。
何も持たない、空虚な人間。
でも、それは違う。
私には、私にしかないものがある。
そんなことを言い出す人間が、現れました。
彼女ではありません。なんと言いますか、口癖のようにいつも言われていましたから。私としては常套句の一つというか、欠片のようなものだと勝手に受け取っていたのです。
それが、どうやら冗談ではないらしい。
これもやはり、仕向けられた呪縛なのです。
男は信用するな。
彼らは適当なことしか言わない。
女は信用するな。
彼女たちは嘘しか言わない。
そんな彼らの言葉を本気で信じて来たから。たった一人の親友の言葉さえ、正直に受け取ることが出来なかったのでしょう。
しかし、貴方と共に過ごしていると、あんな浮ついた言葉たちが、本心から言っているということに、気付かないわけにはいきませんでした。
勿論、最初から信用していたわけではありません。あの頃の粗暴な態度を、貴方は今でも覚えているでしょう。
根本的には変わっていません。呪縛は今もなお効力を持っています。あの人たちが言っていたことは、つまるところ人間を信じるなということですから。
知り過ぎたのです。
貴方という人間を。
嫌いでした。何をするにも曖昧な返事しかしない貴方は、私が何よりも忌み嫌い、恐れ、そして憧れて来た「自由」そのものだったのです。
彼女と何が違いがあるかと言われれば、それは単純に性差であり、見た目の違いというほかにありません。
ところが、どうやらそれだけでもない。
やはり、知り過ぎました。貴方もまた、自由という籠に囚われている存在に過ぎないことを。
恐らく、これは親近感というものなのかもしれません。まるで違う世界の人間だと思っていた貴方と私が、同じものを持っていた。
似たような何かを抱えていた。たったそれだけで、私の脆い心はいとも簡単に崩れ去ったのです。
単純だと、笑いますか。
浅ましいと、笑いますか。
でも、貴方にそれを言う資格は無い筈です。
だって、貴方が私に向けて言う言葉は、あまりに簡略で。私と同じくらい、空っぽだった筈じゃないですか。
でも、もし。
貴方が本当に。
心から私のことを、そう思っているのなら。
私ももう少しだけ、シンプルに生きていける。
そんな気がしています。
ほんの少し、ですけどね。
生まれながらにして縛られた運命を切り捨てるには、もう少し時間が掛かると思います。それは貴方とて同じでしょう。
それさえも「らしい」と言いのけてしまうのですから、いよいよ諦めたくもなります。こんな私が、貴方にとっては魅力的なのでしょう。
なら、もういいです。
正直になりますよ。
認めてあげますよ。
籠に囚われた不自由な身の上同士。このまま一緒に、誰も手の届かない場所まで落ちていくのも、案外悪くないのかもしれませんね。
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