355. 流石にバレバレ
それは突然の出来事だった。
風邪からの復帰を果たしたこの日。フットサル部の練習を終え、スーパーで数日分の食料を買い込み自宅までの短い道中。見覚えの無い番号から着信が入り、いったい誰なのかと何の気なしに手に取った。
「はい、もしもし」
『アンタ、年末年始どうするの?』
「…………は?」
『私もあの人も家に居ないのよ。うちの鍵持ってないでしょ、帰って来ても家に入れないんじゃ困るだろうし』
多いとも少ないとも言い切れない交通量の狭間から、ノイズ混じりに聞こえて来る無機質な声色。聞き覚えがあるようで、もうすっかり忘れ掛けていた。
久しぶりに声を聴いて、少しは安心でもするかと思っていたけれど。あまりに唐突な連絡に、そんなことを考える余裕も無かった。
それどころか、ほんの僅かな時間で沸々と溜まっていく、穏やかでない感情。
知らない番号、ということは機種変でもしたのだろう。解せない。番号を変えるなら変えるで、その前に一本連絡するか、まずは「携帯を新しくした」の一言くらいあっても良いだろうに。
声を聞かせただけで、すべて察するとでも思っているのだろうか。それで十分だと、本気で思っているのだろうか。だとしたらその通りであるし、あまりにも買い被り過ぎている。俺という人間を。
相変わらず、必要最低限すら守らない。
なにも変わらない。変わる気が、無いんだな。
当たり前だ。それがあの人にとっては当然で。
そんな当然を生み出したのは、俺の方で。
故に、苛付く。
「…………別に、帰る気無いけど」
『あ、そう。なら締めとくわね』
「番号変えたなら連絡しろよ」
『あら、ごめんなさい。ちょっと暇が無くて』
暇が無い?
たかが電話一本だろう。
そんな時間も無いと?
おおよその原因を悟った。この調子では、先日送ったSNSのメッセージにも目を通していない。こちらからアクションを起こしたことに、気付いてすらいない。
これが9か月ぶりの連絡だということさえ、理解していない。あの頃から、なにも変わっていないのだ。俺との接し方も、関係も。
こんな短い会話で。
ここまで考えさせないでほしい。
たった15秒。
膨れ上がる失望。
「……で、用はそれだけ?」
『ああ、あとね。アンタ、
「……あ、そう」
『アンタに会いたがってたわよ。もし帰って来るなら文香ちゃんにも一言言っておこうかと思ったんだけど、まぁその気が無いなら仕方ないわね』
本当に、余計なことを。
思い出したくない事ばかり。
思い出させやがって。
いや、それはいい。そんなことは、どうだっていいのだ。アイツがどう思っていようと、帰るつもりはない。誰に影響されたわけでもなく、俺自身が決めたこと。
でも、そうじゃないだろ。
なんで、なんでそうなるんだよ。
アイツをダシに使うんじゃねえ。
お前が、アンタが言うべき場面だろ。
偶には顔見せろって。
元気にやってるかって。
ご飯食べてるかって。
たったそれだけの言葉が。
よりによって、なんで。
どうしてアンタから出て来ないんだよ。
『番号登録しておいて。じゃあ仕事戻るから』
「…………分かった。あと、母さ……」
途切れる通話。
歩道に一人取り残され、行く末も定まらない。スマートフォンを握り締め、その場に立ち尽くす。
話したいことだけ一方的に喋って、こちらの言い分はなにも聞かない。相変わらずだ。こんな歪な関係を、俺は16年間も耐え忍んで来たというのか。大した我慢強さだ。
甘えすぎたな。少し。
俺が生きてきた世界は、こんなモノだ。
忘れていただけで、本質は変わらない。
情けない。
誰に対して言うまでもなく、そう思った。
きっとそれは、俺自身への戒めと後悔。
言ってくれねえなら。
俺から言えばいいのに。
最後まで言えない。言わせてくれない。
全部含めて、今日までの俺か。
「…………さっむ」
使い慣れないマフラーを締め直し、天を見上げた。どんよりとした寒空から、冷たい風が吹いて回る。
白く濁った吐息が雑踏へと消えていく。
冷え始めたのは、身体でも。
ましてや街の空気でもない。
* * * *
「愛莉ちゃんっ! サイド!」
「任せたっ!」
くさびのパスを受けた愛莉が、右サイドを駆ける比奈へと展開。半年間に及ぶ鍛錬の成果をまざまざと見せつける流暢なトラップから、一気にゴール前へと前進。
「行かせませんよぉっ!」
「ひーにゃん! ちょっきゅー勝負だぁ!」
対峙するノノの気合の入った掛け声に、逆サイドを走る瑞希が応戦する。それに応えるように、ボールを縦へ蹴り出し勝負を仕掛ける比奈。
ノノのしつこいチャージにも負けず、強引な突破を図る。少し縺れながらも、中央の愛莉へグラウンダー性のクロスが上がった。
ダイレクトでシュートを撃ちに行く愛莉。しかし、真琴の素早いチェックに遭い前を向かせて貰えない。それでも身体を捻り左脚を振り抜こうとするが、間一髪、真琴の細い右脚が伸びる。
「動きが単調じゃない、姉さんっ!」
「……生意気ッ!」
再び主導権を握ろうとボールへ飛び付く愛莉であったが、真琴の巧みなキープに踊らされる。
フィジカルでこそ姉には敵わないが、身体の使い方が抜群に上手い。流石はジュニアユース出身ってところ。
「楠美先輩っ!」
パスを受けた琴音。そのままカウンターへと移行する。
余っていた瑞希が対応に入るが。
「市川さんっ!」
「ううぉっ!? そこで出すかよッ!?」
「お疲れさまでーーす!!」
瑞希の寄せに遭う直前で、走り出していたノノへ横パス。そのままスピードに乗りサイドを進軍、一気にゴール前へと突き進む。
「……って、戻り早ッ!?」
「ノノちゃんの好きにはさせないよっ!」
素早く自陣へ帰還した比奈。
進行方向を塞き止める。
いい判断だ。クロスを上げっぱなしにするのではなく、その後の流れを察知した的確なポジショニング。この辺り、やはり比奈には特別な才覚がある。
さて、一旦スピードダウンか。
愛莉、瑞希も自陣へ戻りブロックを形成。しっかりマークにも着いているし、ここから崩し切るのは中々難しいだろう。
とはいえ、そろそろ動き出しそうだけどな。
(めっちゃええ勝負しとるな……)
なんてことない、日々の練習の総仕上げとなるミニゲーム。だがいつもと違うのは、フットサル部では実力的に頭一つ抜けている愛莉と瑞希が、じゃんけんの末に同じチームへ分られけたこと。
琴音、ノノ、真琴で組まれた三人のチームは劣勢が予想されると思っていたが。この5分間ゴールは生まれず、膠着状態を保っている。
先月からフットサル部の練習に参加している真琴だが、愛莉や瑞希に負けず劣らずの存在感を放っていた。多彩なテクニックと攻守に渡る気の利いた動き出し。
言っちゃなんだが、俺が今までこなしていた動きをほぼ一人で担っているようなものだ。まだまだ俺には及ばないところも多いけれど。
勿論、琴音とノノも奮闘も見逃せない。ノノは相変わらずトリッキーな動きでコートをかく乱しているし、琴音にしたってあの瑞希を出し抜く冷静なパス。簡単なものではない。
もはや経験者と初心者のミックスされた当初の歪な関係性ではない。
全員が持ち味を発揮し、極めて高いレベルでのゲームを実現させている。
……練習サボりがちだったんじゃねえのかよ。ホンマえげつないスピードで成長するな、お前ら。
「はっ、早すぎて目が回りそうですぅっ……」
「しっかりしろて」
コート脇で試合を観戦していた俺と有希。
本当に目がグルグル回っている。ギャグ漫画か。
「まぁ仕方ねえよ。比奈も琴音も、あんだけレベルの高いなかでやり続けてもう半年や。ノノと真琴は元々の経験もあるし……」
「……私もあんな風になれますか?」
「すぐ慣れる……と言いたいのも山々だけど」
「うぅっ……自信無くなっちゃいます……っ」
俺と同じ部活に入りたいという程度の想像だった有希からすれば、これだけのレベルを見せつけられては気を落とすのも仕方ないところだろう。
言うて、そこまで心配してないけどな。
こう見えて意外とセンスあるんだよ。
「じゃ、問題。あと2分のうちにゴールが生まれます。どっちが勝つでしょうか」
「……へっ? そうなんですか?」
「あくまで予想やけどな。で、どっちだと思う」
「うーん……っ」
頭を捻ってあれこれ考える有希。
そう。この試合はもうすぐ決着を迎える。
誰も予想しなかった形でな。
「ヒント。ビブス組のポジショニング」
「ビブス組……愛莉さんのチームですねっ」
「二人のポジションが入れ替わっとるやろ」
「あっ、そうですねっ。瑞希さんが真ん中で、愛莉さんが手前側に移動してますっ。これがヒントなんですか?」
「マークする相手が変わるってのは、意外と隙が出来るモンなんだぜ。ほら、見てみろよ」
コート中央。
いや、やや右サイド寄りか。
ボールをキープする真琴が奥側サイドのノノへ展開。比奈との激しいやり合いを制し、中央へと切り込んでいく。
ノノのサイドへと流れて行った真琴へボールを戻す……フリをして、更にゴール前へ。しかし瑞希がシュートコースに立ち塞がり前へ進ませない。
反対サイドで構えていた琴音へパス。
ノノは背後から追い抜くように走り出す。
「あっ……!?」
「それは流石にバレバレっ!」
素早い愛莉のチェックに、コントロールを失う琴音。顔を上げた瞬間、いきなり愛莉の姿が目に入ったように感じただろう。
ホルダーが入れ替わり、愛莉が素早く前線へボールを蹴り出す。飛び出したのは比奈。先ほどまでの緊迫したポゼッション合戦が嘘のように、無人のゴールへとシュートを流し込む。
「いよっしゃーっ! ひーにゃんナイスっ!」
「あはは~っ。まぁこれくらいはねえ」
「ぐぬぬぅっ……! 琴音センパイに愛莉センパイを当てるのは卑怯ですよっ! 慈悲ってモンは無いんですかっ!」
「真剣勝負なんだから仕方ないでしょ」
「それにしても威圧しすぎだと思うケド」
「そんな怖い顔してないわよっ!」
「センパイたちの身長差じゃ大変ですよねぇ~。琴音センパイ、怪獣にでも襲われたと思ったんじゃないですかぁ?」
「うっさいわねなんなのよもおおっっ!!」
「まっ、こういうこっちゃ」
「…………体格の差、ってことですか?」
「それもある。けど、それだけでもねえ」
「……っ?」
不思議そうに首を捻った困り顔の有希を他所に、コートへ呆然と立ち尽くす琴音の姿をジッと観察していた。
なんとも悔しそうに拳をギュッと握る。
まぁ、分かりやすく失点の起点だからな。
負けず嫌いのお前には辛い現実だろう。
(言うてあと一息ってところか)
下校時間も近い。
フォローはあとで幾らでもしてやるから。
そんな泣きそうな顔すんなって。
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