348. 痛みを伴う


「…………ぅぅううううううっッ!!!!」


 ほんの僅かな呼吸までのひと時さえも嫌うように、全身から羞恥を余すことなく放出させる。顔をこちらの胸元へ埋め、穴を開けんとばかりの勢いでゴリゴリと圧し潰す。


 照れ隠しが暴力に繋がらなかっただけ、まだ良い方か。ここで思い切り突き飛ばそうとして来ない辺り、彼女の成長が垣間見えるようで。



「…………可愛すぎんお前」

「うるさいっ! ばかばかばかぁっっ!!」

「殴んなって」

「ばかああああああああ!!!!」


 結構な強さで骨盤の辺りをグーでボコボコ殴られる。やっぱりこうなるのか。


 別に構わないけど。

 この程度の代償なら、お互い勇気を出した甲斐がある。



「ズルい……ホントにズルいぃぃ……ッ!!」

「んなこと言われてもな」

「だって、言うつもり無かったんだもんっ!!」

「いや、もう無理やろ。状況的に」

「アンタのせいでしょうがああああ!!」


 その一言で俺たちの関係も、取り囲む空気もすっかり変わってしまうものかと思われたが。存外にも見慣れた愛莉がそこに居て、言葉の節々にため息も混じる。


 勿論、今まで通りというわけでもない。

 俺たちにはどうしたって、必要な言葉だった。



 もう少しだけ後押ししてやろう。


 上から目線でいられるほど余裕でもないが。

 こうも慌てられては、相対的に落ち着くもの。



「ほら。なんも抵抗しねえから、好きにしろよ。さんざん我慢して来たんだろ?」

「…………なに余裕噛ましてんのよ。ウザい」

「知るかんなもん」

「……やっぱ恥ずかしい……っ!!」


 羞恥と喜び、加えて涙でグチャグチャになった表情は今一つ角度の問題で見えにくいところだが、ここまで来ても彼女のなかにはまだ壁が残っているらしい。


 いや、そりゃそうだろうけど。急に「好きにしていい」と言われても困るのは俺だって一緒。自由を与える振りをして、自身の不甲斐なさを覆い隠していることに変わりは無い。



 にしたって、許されると思うけどな。


 この二日間、馬鹿晒した回数を数えるなら。

 まだまだ釣り合いが取れていないと思う。


 さて。ダメ押しと行こう。



「……俺だって、ハッキリとは分からねえけどな。でも、お前のそういう恰好付かないところとか、決まりの悪いところとか……結構好きなんだよ。むしろ普段の、しっかりしてるお前より気に入ってる」

「…………でも嫌だし」

「あれや。どうすりゃええか分からんのかもしれへんけど、少なくとも俺は困らねえから。お前の望む程度のことなら、たいてい叶えてやる自信あるし」

「…………わたしが困るし」

「それとも、全部俺から行った方がええか」

「…………もっと困るし」


 胸元から漏れる小さな呟き。


 分からん。

 本気で分からん。


 もっとこう、色々と溢れ出すものじゃないのか。前例を挙げるのも野暮な話だけど、比奈や瑞希は一度ラインを超えたらもう止まらなかったというか、ブレーキが外れるというか。


 トリガーとしてはこれ以上ないほどのワンフレーズだと思うのだけれど、それでもまだ足りないと。或いはもっと他の要素が必要なのか?



 正直手詰まりだ。

 嗚呼もどかしい。


 面倒な奴だ。お前は本当に。

 


「……………………絶対引いちゃうから……っ」

「……あ?」

「自信無いもん……わたし、本当におかしくなっちゃうからっ! ハルトが思ってるより、わたし、ヤバい奴だもんっ! 絶対気持ち悪がられるッ!」

「だから思わねえって」

「でも怖いのっ!!」

「なら試してみろよ。やらな分からへんやろ」


 よっぽど彼女のなかで引っ掛かっていることがあるそうだが、具体例を挙げて貰わないことには対応も出来ない。逆になにをしようとしているんだ。


 言うて、そこまで大したものでもない気はしているけど。これでも比奈や瑞希から中々のアプローチを受けている手前、よほどのことでない限りこちらも動揺しない筈だ。


 たぶん。いや多分。

 別に慣れているわけじゃないけど。



「……ほんとに?」

「ホンマに」

「ほんとにっ、ほんとに引いたりしないっ!?」

「しねえって」

「嫌いにならない!?」

「ならねえって。しつけえな、ええからやれって」

「……………………分かった……じゃあ……っ」


 たどたどしい口ぶりでどうにか意識を保っているようにも窺える。そこまで抵抗のあることって、いったいなんなんだ。怖いな。



「…………ぜったい逃げちゃダメだから」

「えっ」



 あれ。待って。

 お前いつの間に乗っかった?



「……あの、愛莉さん……?」

「ハルトが……ハルトが良いって言ったんだから……ッ!」

「いや、ちょ、えっ、えっ」

「もう知らないからああああああああ!!!!」

「グヴぉエエエ゛エッ゛ッ!!!!」



 鳩尾へ頭突きが決まった。

 鈍い痛みが全身を駆け巡り、一思考が覚束ない。


 まさか徹底的に俺を痛め付けるのが願いなのか、なんて考えたりもしたが。


 どうやらそういうわけでもないらしい。彼女の謎過ぎる行動の理由は、その僅か数秒後に明らかとなった。



「――――――――好きいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!」

(はいいいいいいいいーーーーッ!?)



 ガッチガチのホールド。



 えげつないパワーで思っクソ抱き締められている。普通に痛い。骨が軋むレベルで。顔面に押し付けられる柔らかな二つの膨らみも、それを和らげる要因には事足りない。気休めどころか圧迫感を増加させるばかり。


 いや、待って。

 痛い痛い。死ぬ死ぬ死ぬッ!!



「はるとっ、はるとっ、はるとおおおおっっ!!」

「ギブギブギブッッ!! アカンマジ死ぬッッ!!」

「好きっ! 好きなのっ!! ずーっと、ずーっとこうしたかったの!! ぜったい離さないっ! 離さないんだからああああーーっっ!!!!」



 腹の底から漏れる頼りない悲鳴など知ったことではないという様子で、一心不乱に俺の身体をギュウギュウと抱き締める愛莉。



(そっちかよ!!!!)



 彼女がなにに対して躊躇っているのか、ずっと分からなかった。分かるわけがない。俺の想定したものと、まったくもって逆の反応なのだから。


 誰彼ともかく、ここまであからさまに明確な好意を示す愛莉を俺は見たことが無い。確かにこれは、愛莉のキャラじゃない……恥ずかしがる気持ちは分かる、分かるけど。



(やり過ぎやろォォォォ゛ッッッッ!!)



 愛情にしても過剰表現だ。

 痛みを伴うほどの愛ってやつか。

 んなわけあるか。



「あのねっ! あのねハルトっ! わたしっ、ハルトのあったかいところが好きなのっ!」

「グふうウウウウ……ッ」

「夏休みのときにギューってしながら寝たときのあれがっ、ずーっと忘れられなくて……だからね、だからねっ! たまに頭撫でてくれたり、手を繋いでくれたりっ、そういうの、すっごい嬉しいのっ! そのたびにずーっと我慢してたの! 分かるっ? 分かる!?」

「ァェェェ゛ェェェ゛…………ッ」

「羨ましかったのッ! 瑞希と比奈ちゃんと、三人でギューってしててっ、わたしもしたかったのッ! でも出来ないもんっ! 恥ずかしいもんッ!!」

「…………かフっ……」

「でもいいんでしょっ!? みんなといるときは恥ずかしいけどっ、二人のときなら良いんでしょっ!? ねえっ!! 良いんでしょ!!!!」

「……………………」

「…………ハルト?」

「……………………グぅ……っ」

「ハルトおおおおおおおおーーっっ!?」


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