347. 恥も外聞も捨てた


「ハルトは良いよ……いっつもそんな感じで、ふらふらしてて、それでみんなのこと、ちゃんと考えてくれてるから、それでいいじゃんっ! でもっ、私は違うの!」


「もっとちゃんとしてっ、みんなから頼られたいの! とにかくだめっ……今のわたしじゃ、絶対にだめなの……っ!」


「分かってる、分かってるもんっ! わたしが変な意地張ってるだけだって、分かってるもんっ! でもやだっ! 嫌なのっ! ハルトがみんなと何してたって、関係無いっ! わたしがっ、わたしを認められないのっ!」


「だって、だって…………こんなのズルいもん、卑怯なんだもん……ッ!」


 鼻水を垂らし人目も憚らず大泣きする愛莉を見ていると、不謹慎にもちょっと面白くて、ほんのりと笑いが込み上げて来る。けれど、決して馬鹿にしているというわけでもなく。



 本当にどいつもコイツも。

 似たようなことで悩んでいる。


 愛莉の言い分も分からないことは無いのだ。真琴との一件を経て、彼女が抱えていた「強い自分」への渇望を、俺は今一度認識することとなった。


 普段の行動にもよく表れていることで、自然とフットサル部におけるリーダー的な存在になっていったことも、何かと乱れがちな皆の秩序を守っていることも。


 彼女の思う「自分らしい」を少なからず体現することに成功した結果なのだ。



 しかし、完全ではない。


 御覧の通り、彼女は自分が思っているほど強くもなければ、したたかでもない。ほんの少しの歪で、このようにいとも簡単に崩れ去ってしまう。あまりに脆い自信という名の土台。


 だから彼女が機嫌を損ねたり、気を落としていると、分かりやすく全員に伝染していくのだ。

 他人のメンタリティーすら巻き込んで流れを生み出してしまうことすら取り柄の一つと言えば、それもその通りなのかもしれないが。



 愛莉からしても望外の事態なのだろう。


 彼女は一度乗り越えたはずなのだ。サッカー部との一戦を機に、ありのままの自分を受け入れてくれたフットサル部の余りある愛情が少なからず彼女を変えた。


 ところが、俺一人を前にすると、まだまだそういうわけにもいかなかったという。本当に、ただそれだけの話。



「……結局、俺じゃダメなのか」

「…………だめじゃない、けどっ……!」

「でも、嫌なんだろ」

「嫌じゃない……嫌じゃないけど、でも、違うの……っ!」


 彼女にしたって、直近のフットサル部における関係性の変化に気付いていない筈がない。勿論、この半年間何の気なしに紡いできた俺との曖昧な境界線も。分かっていないわけがない。


 だからこそ彼女は、もう一度自身を戒めるかのように殻へ閉じ籠ろうとした。それが恐らく、愛莉にとってある種の「正攻法」だったのだ。



(見せたくないのは、みんな一緒やろ)


 俺だって同じだ。あれだけ馬鹿正直に好きだ好きだと言うようなキャラクターじゃないことはとっくに理解している。高熱の影響もあったとはいえ、ある程度の恥じらいと後悔は兼ね備えているのだ。


 けれど、時を戻したいとは思わない。

 俺が、俺の意思で進めた時間と関係性。



 辛いだろう。苦しいだろう。

 自分の弱さを、情けない姿を曝け出すことは。


 お前にとって自身の弱さを認められるということは、単なる甘えに過ぎない。そういうことなんだろう。


 長い年月と環境の末に膨れ上がった、名ばかりのアイデンティティー。それが愛莉という人間であり、同時に彼女を苦しめ続けている。



 でもやっぱり、隙は生まれるよな。


 そうでなければ夏休みの出来事も、文化祭での甘ったるいデートも、理由が付けられない。


 意地を張っているという表現も、誤解を招く一因でしか無いのだ。愛莉、お前だって望んでいることだろう。


 周囲を取り囲む環境が急速に変わり始めて。思いもしない俺からの熱烈なアプローチを受けて。素直になり切れない、それだけなんだろ。



 それにもう、何度も言っていることだ。

 お前のそんな、弱いところも全部含めて。


 ただ一人、等身大の長瀬愛莉だからこそ。

 俺はお前のことを、本気で好きになったんだ。


 

「簡単な話や。愛莉。馬鹿になればええ」

「…………バカじゃないし」

「さっきのくだりは忘れろ。いや、そういうことじゃなくてな……だから、その、ちゃんと聞け。ええか。お前が俺に何もしてやれてねえとか、冗談でもキツイから。ホンマ辞めろ。頼むから」

「…………でもぉ……っ!」

「デモもストもねえ、アホ。ったく、なんでこんだけ言って分からねえかな……」


 そろそろ優しい顔も売り切れだ。

 ここから先は、一切の妥協も許さない。


 だから、何回も言わせるな。

 俺が、お前が欲しいっつってんだよ。



「あのよ、お前がどう思っていようが、んなもん知らへんねん。俺がお前に、どれくらいのモノを貰ったかっていう、そんだけなんだよ。分かっか?」

「……………………ん…………っ」


 小さく首を縦に振る。

 実に頼りない肯定だが、まぁそれでもいい。



「あとはもうお前次第や。俺の伝えたいことは全部喋った。さっきも言うたやろ、告白の返事しろとか、んな難しい話しとんちゃうねん。お前だけちゃう、俺やって宿題山積みなんだよ」

「………うん……っ」

「馬鹿にしたり、茶化したりしねえ。俺みたいなどうしようもねえ奴を受け入れてくれたのは、愛莉、お前も同じや。だから…………これは俺からのお願いだ。ええやろ」


 ぬいぐるみの隙間から覗く潤んだ瞳は、俺へこれ以上なにを伝えたいというのか。


 けれど、少しずつ。少しずつがんじがらめの糸が解れていくようで。その様を見届けているような気にもなって、ちょっとだけ嬉しくなった。



「が、甘やかしはせん」

「……へっ?」

「はい没収」

「ひゃああああッッ!? ちょっ、待って待ってええぇぇっ!」


 油断していたところを見計らい、強引にぬいぐるみを剥ぎ取って部屋の隅へと放り投げる。これで障壁は無くなった。


 目の前にいるのは、ダボダボのワイシャツに身を包んだ、女の子にしてはやや大柄な。けれど勇気は誰よりも小さい、不完全な少女ただ一人。



「――――――――来いよ、愛莉」



 似た者同士の、しょうもない小競り合いだ。

 ならば、少しくらい重なる部分があってもいい。


 それで完全体になるとか思っちゃいないけれど。

 多少はマシになるだろ。多少は。



「こっ…………来いって……!?」

「お前の考えとることなんだいたい分かるわ。顔に書いてあんだよ。おら、どうした? 嬉し過ぎておかしくなっちまうんじゃなかったのか?」

「なああぁぁっ……ッ!? そっ、そ、それはだからぁぁっ……!」


 分かりやすくあたふたしている。

 

 そういうアホみたいな顔の方がお前らしくていいよ。偶に見せる綺麗な笑顔も、同じくらい好きだけど。



「なんでそんなに余裕なのよアンタはぁ……ッ!」

「知らん。恥も外聞も捨てた。今の俺は無敵や」

「意味分かんないんだけどぉ!!」

「安心しろ。俺も意味分からん」

「だったらなんとかしなさいよおおぉぉっっ!!」


 こうもいつも通りのテンションでツッコまれるとこっちの気が持たない。なるべく早くしてほしい。いや、恥捨てたとか嘘ウソ。逃げ出したいほど恥ずかしいのは俺の方だ。


 でも、逃げない。

 逃げて堪るものか。


 お前から沢山のモノを貰って来たんだ。

 ちょっとだけでも返させてほしい。


 それでいて、俺も満足するってんだから。

 卑怯だよな。んなこと知ってる。



 早くしろ。

 お前のもっと弱いところ、見せてくれ。






「あっ」




 誰が呟いたかも分からない。

 俺か、愛莉か。どっちでも良かった。


 けれど、確実に掴まれた右手の勢いに乗せて、身体は一気に彼女の元へと近付き。硬いベッドの上で、抱き合うように倒れ込む俺たち。



 僅か数秒の空白。



 不意に目前へ現れた小ぶりな薄紅色の唇を、難なく掴み取る。


 意志に応えるまでもなく。さっさと離れてしまった口元から告げられた、何よりも欲しかった言葉。



 待たせやがって。

 出来るなら最初からやれや。











「――――――好き」


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