346. 資格なんて無いのに
「…………はい?」
「あっ……あ、あっ、いや……ッ!」
望外にもほどがある突飛な一言に、二人揃って言葉を失うばかり。が、その狼狽ぶりと言えばまるでもって比較にはならない。
林檎の如く真赤に染まり上がった頬と、いい加減に喉も乾くのではと余計な心配をしてしまうくらいにはポッカリ空いた小さな口元。
強く抱き締められたぬいぐるみがさして不衛生でもない手汗で滲んでいく様を、俺は信じられないモノを前にする面持ちでジッと見つめていた。
「お前、今なんて」
「ぁぅうっ……! ち、ちがっ……!」
少し腕を伸ばそうものなら、その何倍もの勢いでじりじりとベッドの端へ後退していく。分かりやすくパニック状態に陥っていた。
互いにもう少しまともな様子であれば、いつもみたいに、或いはいつぞやの官能小説云々で揉めたときみたいに、軽率な心意気を持って彼女へ向き合うことも出来たのだろうが。
だから言っただろう。程度の問題だ。
ビックリしてるのお前だけじゃねえんだよ。
「――――無しッ! いまのなしっっ!!」
「……えっ」
「なしなしなしなしなしなしっっ!! 言ってない! なにも言ってないっっ!! 空耳、空耳だからッ!! 違うのっ! ちがう、ちがうっ! 違うんだからああああっっ!!」
「…………えぇー……」
勢いのままベッドへ倒れ込み、シロイルカに寝技を締めに掛かる愛莉。
いや、技なんて大したものではない。ただひたすらに狭いスペースでゴロゴロ半往復しているという、それだけ。
まるでお菓子を買って貰えなかった子どものようだ……完全に我を失っている。
確かに彼女も、時折ちょっと幼いところを垣間見せることもあるけれど。ここまで露骨じゃなかっただろう。
しっかり者の愛莉を直前まで見ているだけに尚更。昨晩と立場が完全に逆転してしまった。
「ふにゃああああアアアア゛ああああ!!!!」
そして絶叫。
駄目だ。ぶっ壊れた。
(そもそもお前が蒔いた種やろ)
話を始めたのは愛莉の方だ。
俺は悪くない。断じて。絶対に。
しかし、ここで彼女のペースに戻されて「なにも聞こえなかった」と誤魔化してしまうのは良くない。それはもう辞めると、ついさっき言ったばかりだ。
なら強引にでも進むしかない。
お前の恥じている中身など知らん。知ったことか。
「あのさ愛莉……」
「やだっ! だめっ! こっち来ないでっ!!」
「いやしかしそうは言っても」
「ほんとにムリぃっ! むりなのおおぉぉっッ!!」
「ちょっ、ばっ、暴れんなって!」
殻へ籠ったヤドカリによる一世一代の大ムービングである。差し伸ばした手を払いのけようと一層激しく抵抗する愛莉だったが。
「ギャうンッッ!?」
思いっきり頭から壁へ激突。
なにしとんコイツ。
綺麗なオチを付けるな。
飾りにしては色付きの無い消臭スプレーが落下して来て、彼女の頭に当たる直前でギリギリキャッチ。したまでは良かったが。
ぶつかった衝撃でふらふらと覚束ない様子の愛莉は、そのまま枕もとへと頭から倒れていく。オーバーヒートし切った脳内へ冷や水を浴びせるにも、少し乱暴過ぎる運命の悪戯であった。
「だ、大丈夫か……?」
「…………もうやらああぁぁっ……ッッ!!」
意地でも離そうとしないシロイルカに、今度は涙でシミを作り始めた。大人びていると思ったら急に子どもっぽくなって、泣いたり叫んだり。情緒不安定にも限度があるだろう。
誰のせいでこうなっているのかと言えば、まぁ、俺のせいなんだけれども。認めたくはない。人一人のメンタルぶっ壊したとか考えたくない。
改めて声を掛けるのも億劫になってしまい、暫し壁側に向かってすすり泣いている彼女の背中をジッと眺めていた。
いよいよ何を話せばいいのかも分からないから、現状を打破するにも必要な一手は見当たらない。時計の針と彼女の鳴き声だけが部屋に響く、ひたすらに空虚で無駄な時間が過ぎていく。
…………また、俺が先手を切るのか。
結局こうなるんだよな。いっつも。
これで最後にしろとか、今更もう何も思わない。どうしたって愛莉は愛莉だし、これからも似たような状況に陥ったら、同じように俺から動くことになるのだろう。
かといって、慣れ始めたわけでもない。
面倒なことに変わりは無いのだ。
でも、そこまで悪くない気もしている。
これはこれで、俺たちらしいのかも。
「無駄や。愛莉。もう逃げ道はねえ」
「……………………」
「……ちょっとの勇気やろ。こんなん。俺やって死ぬほどハズイ思いして、やっとこさ伝えてんだよ。少しくらい助けてくれたってええやろ。なっ?」
「…………やだ……」
「やだって、お前な」
「…………はずかしいもん…………っ!」
この期に及んでまだゴネるつもりか。会話が成り立つようになっただけマシとは思わぬ。
(変わんねえな、ホンマ)
言い換えれば彼女らしさでもある。
ここまで意地っ張りなところも。
文化祭での出来事をふと思い出した。瑞希プレゼンツの陳腐なお化け屋敷でギャンギャン泣かされて、終いにはヘソ曲げていたんだっけ。
あのときも言っていたな。カッコ悪いところ、ダサいところは見せたくない。恥ずかしいって。何度同じ道を辿れば気が済むのか。
とはいえ、一概に否定するのも違う。
無駄に虚勢を張って、それが思いのほか様になっている彼女の姿を俺も俺で気に入っている。そんな一面も含めて愛莉であると。とっくに分かっているのだ。
そして、彼女のなかに自身が認めたくない「本当の自分」がいることも。それこそが、今こうして馬鹿を晒している現状に他ならないと。
少なくとも彼女はそう思っている。
だから今日になるまで縺れているのだ。
(……あながち嘘じゃなかったのかもな)
気に掛けてくれない。
ほったらかしにされている。
そんなことを愛莉は言っていたが。
結局は当人の感じ方の問題であり、俺がいくら見た目綺麗な言葉で取り繕ったところでどうにもならないこと。
急速に変化を遂げていくフットサル部のなかで、愛莉は自分の立ち位置を明確にすることが出来ていなかった。猶予すら与えられないほどの、あまりに早いスピードだったのだから。
それを見過ごして「愛莉は愛莉だ」と勝手に決め付け。知らず知らずのうちに距離を置いていたのは、やはりどうしたって俺の方なのだろう。
「分からねえよな。どうすればええかなんて」
「…………ハルト……っ?」
「気付くのは一瞬やし、分からなくなるのも一瞬や。ゆうて俺も、経験があるとか大したこと言えへんけどな。でも、お前が悩んでるのはたぶん分かっとった。まぁ、俺も悪いわ。普通に」
「…………ぜ、ぜんぶハルトが悪いし……っ!」
乱雑過ぎる責任転嫁も、あまり怒る気にはなれない。それすらも彼女の本心を曝け出すために必要なのだと、そう思ったから。
「……ごめんな。寂しくさせちまって」
「…………なんで、いっつも……」
「えっ?」
「なんでっ……そういうこと言うの……っ!?」
身体を起き上がらせ、ゆっくりとこちらへ振り替える愛莉。変わらずぬいぐるみは抱き抱えたままだが、いよいよ本気で泣きじゃくっていた。
見たことのない、あまりに弱弱しい姿。
問い質そうにも、思うように口は動かない。
「なんで……なんでそんなに優しいの……っ!? わたし……わたしっ、ハルトになにも、なにもできてないのっ! いっつも甘えてるだけなのにっ、ひどいことばっかり言ってるのに、おかしいじゃんっ! わたし、全然だめなのにっ! ハルトに好きだって、言ってもらえる資格なんて無いのにっ……!」
堰を切ったように涙が溢れ出る。
大人でも、子どもでもない。
等身大の長瀬愛莉が、そこにいた。
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