335. 爆発するから気を付けてね


「悪いな待たせて」

「ううん。自分もいま来たところ」


 長いランニングコースを走り抜け公園へ辿り着くと、少し厚手のパーカーに身を包んだ真琴がリフティングをしながら俺の到着を待っていた。


 重心にブレの無い、安定したボール裁きだ。姉譲りの体幹の強さと、彼女以上にも思える足先の細やかなセンスを窺わせた。


 ボールを受け取り、乾き始めた額の汗を拭う間もなくパス交換が始まる。



 瑞希の誕生日パーティーから一週間ほど経過し、冬の寒さも本格的になって来た今日この頃。長瀬家付近の例の公園で行われる、真琴とのトレーニングももう何度目か。


 真琴の所属する西中サッカー部は、地区予選の三回戦で敗退してしまった。正式に引退を迎え受験勉強以外にやることも無いからと、ここ最近は彼女の個人練習にしょっちゅう付き合っている。



 ちなみに愛莉は顔を出さない。単純にバイトで忙しいというのもあるだろうが。

 真琴のことを気遣っているのか、俺との交友に関してはほとんど口を出さないようになっていた。それはそれで、また少し思うところも。 



「で? 勉強は?」

「まぁまぁかな。偏差値だけなら十分足りてるし」

「努々油断しないこったな」

「恋愛ボケで成績落とす誰かさんよりマシでしょ」

「親友相手にひっでえ言い草やな……」


 ボールの扱いを除きポンコツの姉と違い成績も優秀な真琴は、学校でも有希の面倒を見てくれているらしい。どっちが一般入試組なのか分かったもんじゃない。


 愛莉にして曰く、真琴のことをどうにもほったらかしにしてしまう気持ちも少し理解できる気がした。中学三年生にしては、彼女はちょっと大人び過ぎているのだ。


 フットサル部の連中と比較すると相対的に真っ当な部類に入ってしまうというのも、否定しないでおくけど。唯一の良心だった比奈まであんな調子なのだから、いよいよ末期だ。


 え、琴音はどうなんだって?

 アイツは最初からバグってるよ。普通に。



「来年の大会のこと、ちょっと調べたんだ」

「…………あぁ、あれか」

「忘れてない? 大丈夫?」

「いや、まぁ、若干」

「しっかりしてよ。何の目標も無しにフットサル部入るわけじゃないんだからさ……姉さんから聞いたけど、練習あんまりしてないらしいね」

「駄弁ってたら放課後終わっちまうもんで」

「怠けてるなぁ……」


 すっかりタメ口が定着した真琴にこうも真っ当な叱責を受けると、妙に罪悪感が芽生えて来るのは何故なのか。20メートル先から繰り出されるロングパスは、心なしか強烈で。



 しかし、真琴の言う通りだ。一応それらしいトレーニングも重ねてはいるが、練習試合や大会に参加する予定があるわけでもない現状。


 特に文化祭を終えてからのフットサル部は、各々の関係性はともかく、フットサルチームとしては停滞期を迎えているようにも思える。



「それで、一つ提案なんだけど」

「おう。どした」

「西中のサッカー部に移る前、クラブでやってたって姉さんから聞いたでしょ。そのときの先輩が関西の高校に通ってて、いまフットサル部なんだってさ。青学館セイガクカン高校って知ってる?」


 懐かしい名前を聞いた。


 偏差値はそこそこだが、山嵜ヤマサキにも劣らない設備の充実ぶりで有名な私立校である。スポーツに力を入れていて、サッカー部は男女それぞれで全国クラスの実力を誇る強豪だ。


 一方で、受験生からの人気は芳しくない。

 制服がダサくて校則も厳しい。それに加えて。



「あぁ、知っとるわ。アオカンやろ」

「はっ!? あっ、あお……ッ!?」

「地元じゃ有名やで。その略称広まり過ぎて受験生ガンガン減っとるらしいな」

「うわー……先輩知ってるのかなそれ……」


 露骨にドン引きする真琴であったが、事実なのだから仕方ない。中学生なんて特にそういうフレーズに敏感になるお年頃だ。文句は建学者と関西人特有の悪ノリ精神に訴えろ。



「でも、そっか。兄さん出身だもんね」

「サッカー部なら練習試合で何度かやったっけな。フットサル部あるのは知らんかったけど」


 近隣高校との練習試合は日常茶飯事で、アオカンもそのうちの高校の一つだった。負けた記憶はちょっと無いけど。


 別に俺が所属していたクラブも、育成機関に定評があるとかそういうわけではない。なんならプロを輩出した人数は他のチームと比べても少ない方だった気がする。


 ただただ俺たちの世代が強かったというだけなのだ。俺が抜けたあともそれなりのレベルを保っているし、三年の代になったらいよいよ敵無しだろうな。もう大して関心も無いけど。



「その先輩も女子サッカー部でレギュラー取れなくて、フットサル部に移ったんだって。まだ出来たてホヤホヤで男子と一緒に練習してるから、大会は混合の部で出るかもって」


 なるほど、そんな経緯か。

 俺たちと似て非なる結成理由だな。


 俺も少し調べてみたことがあるけど、本格的にフットサルをやっているフットサル部って、全国規模で数えてみてもそこまで多くないんだよな。


 それこそアオカンの奴らみたいに、サッカーで芽が出なくてその延長戦でボールを蹴り続けている、みたいな場合の方が圧倒的に多いようだ。


 その程度の認識で上位に行けるほど、単純なスポーツじゃないんだけどな。夏合宿の大学生サークルとの一戦で、現実をまざまざと痛感させられた。



「向こうも練習試合の相手探してるらしいよ。それで、大会の前に色んなところのフットサル部集めてプレ大会みたいなの出来ないかなって、計画してるんだって」

「……ほーん。なら参加しない理由もねえな」

「じゃあ、連絡しておくね」


 圧倒的に同世代との対戦経験が不足しているからな、うちも。というか一回も無い。

 サッカー部はサッカー部だし、夏に出場した大会にしろノノ一人を同世代と捉えるのも如何に。


 夏から積み上げて来た成果と、先日のセレクションで新たに見つかった課題。これらを再確認し更に改善していくには、やはりどうしたって実戦の場が必要不可欠。



「あんがとな真琴。愛莉にも伝えとくわ」

「あー。で、その……姉さんのことなんだケド」


 愛莉の名前を出した途端、真琴は途端に口を回し辛そうな面持ちで首元を力無く引っ掻く。


 なんだ、愛莉がどうかしたのか。

 また喧嘩でもしているのか?



「最近さ……ちょっとイライラしてるっていうか」

「愛莉が? なんでまた」

「分かんないよ。聞いても答えてくれないし……でも、兄さんの話題になるとすっごい露骨にイライラし出すんだよね。だから兄さんのせいだと思う」

「んなこと言われてもな……」


 ナチュラルに「兄さん」とか使いこなしてるお前にも非はあるような気がしないでもないが、それはそれで一旦置いておこう。



 ……思い当たる節は、ある。


 正確に言えば、原因は俺と愛莉の関係性によるところではない。俺個人にというよりは、明らかに色合いが変わりつつあるフットサル部内の交友関係に対して不満を持っているのだろう。


 具体的にどう変わってしまったのかは、真琴の前で話す気にはなれない。比奈と瑞希との間でなにがあったのかというのも含めてだし、それこそ学校でのやり取りも……。



「放っておくと爆発するから気を付けてね」

「海岸に打ち上げられたクジラかよ」

「いやでも、ホントそんな感じ。兄さん知ってるでしょ。あの人自分の不満とか溜め込んじゃうタイプなんだから。ピーク超えたらもう手が付けられないんだよ」


 心当たりが無いわけでもない。エキセントリックな面々が集うフットサル部において、愛莉は基本的に常識人の立ち位置を求められる。


 出会った当初は愛莉が圧倒的に我が儘でどうしようもない奴だったのに、人間変わるものだ。そんな意味でもフラストレーションは溜っているのかも。


 それだけじゃないだろうけど。

 根本的には、アイツは何も変わっていない。



「……その、なんだ。善処はしよう」

「頼むよ兄さん。ただでさえ有希の面倒見るだけで大変なのに、家のなかにまで恋愛ボケの人が増えるのは勘弁だからね」

「…………ハッキリ言うのな」

「今更でしょ。気付いてなかったら重症だよ」

「……まぁな」



 知らないふりは出来ない。


 けれど、相手が愛莉なだけに。

 それだけがひたすら問題だった。



 それから暫くの間、会話も無くボールを蹴り続ける。身体を動かし続けていないと、身を凍らせる初冬の寒さよりもよっぽど恐ろしいものを思い出して、気が気でないのだ。


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