310. 焦ってる焦ってる
コスモパークから歩いて数分のレンガ倉庫も、このエリアを代表する観光スポットの一つである。西洋風の小洒落た建造物と広大な敷地はロケーションにも秀で、デートにはうってつけだ。
比奈にして曰く訪れれば毎回何かしらのイベントをやっているらしいが、今日に限ってはこれといった催しが無かったようで。
少し前までオクトーバーフェストなる酒飲み御用達の祭りを開催していたらしいが、微妙な時期がズレていて既に終了しているようだ。
一応、ハロウィンに向けた出店っぽいものも幾つか確認出来るが、人の多さとは比例せず、なんとも混沌とした状態になっていた。
「彼氏が出来たら、一回来てみたかったんだよね」
「なら、もう少し我慢しとけば良かったんちゃう」
「それは、事実上の告白と捉えて良いのかな?」
「口が滑った。忘れろ」
「だめ。ずーっと覚えてる」
「勘弁してくれよ」
今夜限定の恋人と銘打たれた二人の関係は、これまでとは比較にならない強さで腕をガッチリと掴み、身体を押し付けニコニコと笑う比奈の様子を窺えば察するに容易である。
目に飛び込んで来た時計台の針は、22時を回っていた。終電までおよそ2時間弱。
せっかちなシンデレラと、ヘタレの王子様。今の俺たちを表すのであれば、精々そんなところだ。
「どっか寄ってくか」
「うーん。何だかんだでそろそろ良い時間だし、中のお店も屋台も終わっちゃいそうなんだよねえ。クリスマスとかなら、もうちょっと遅くまでやってると思うんだけど」
「なら何しに来たんや」
「雰囲気だよ、雰囲気」
個々へやって来たのは比奈きっての要望だったが、特にこれといった目的は無いらしく。ただこの異国情緒溢れた道のりを、二人で並んで歩くという、それだけで十分であると彼女は言う。
大して理由が無くとも場所と空気を堪能出来るのは、比奈の良いところでもあり、不思議なところでもあると思う。愛莉や琴音を思い返してみろ。決定的に女子力が違う。馬鹿にはしていない。決して。
「海の方、行ってみようよ。景色見たい」
足を急がせる比奈に手を引っ張られ、敷地内を進み芝生の広場を抜けると、冷え冷えとした海風が身体を通り過ぎる。しかし、寒さを堪えても辿り着くに相応しい壮観さだ。
煌びやかなライトと共に立ち並ぶ高層ビル群とランドマークが、穏やかな波を立てる海に反射して写り込む。観覧車の上から眺めるものとは、また違った美しさがあった。
「夜景、綺麗だね」
「なっ」
「そこは、景色より君の方が綺麗、でしょ?」
「んなクサイ台詞、俺に期待するな」
「彼氏なら彼女の期待に応えるのっ」
徹底して恋人という設定だけは守り通したい様子の比奈である。
最も、設定だと思っているのは俺だけで、彼女が本気で言っていることも。本気でそう言われたいことも、今更だけど。
「リピートアフターミー! 景色よりっ?」
「……………………景色より」
「君の方がっ?」
「…………君の方が」
「キレイっ!」
「……綺麗」
「繋げてもういっかい!」
「…………景色より君の方が綺麗」
「よくできましたっ♪」
子どもか。
よく臆面もなくやるわホンマ。
満足げに微笑んだ彼女はご褒美と言わんばかりに、ちょこんと背伸びして頬に唇を添える。
ぷっくりとした柔らかい感触が、全身の血の巡りを加速させるようで。海辺にも拘らず、体温は上昇を極めた。
ここまであからさまな態度を取られると、流石に実感せざるを得ない。彼女は本気で、俺みたいな人間に恋というモノをしているのだと。
咎める気にもならない。これだけ楽しそうにしている比奈を眺めていると、何かと強引な今日今までの我が儘のうちに入らない我が儘も、すべて許せてしまいそうで。
「うんうん。陽翔くんはこうでなくっちゃ。自分から来るより、無理やり言わせる方が陽翔くんっぽくて、悪くないねっ」
「んなショボいらしさなん要らねえよ」
「でもっ、たまーにビックリするくらい、ドキドキさせるようなことを言ってくれる、意地悪で、気の利かない。わたしの理想の王子様なんだよ」
「…………言ってて恥ずかしくねえのかよ」
「ぜーんぜん?」
本当にリミッターが外れてしまったようだ。
なんの抵抗も無く吐ける台詞じゃねえよ。
……ただまぁ、比奈からすれば、これが平常運転なんだろうけど。言うて、普段からこんな感じな気がしないでも無いけどな。圧倒的に破壊力増し増しなのが、なんともやり辛い。
「凄いなぁっ……陽翔くん、ほんとにわたしのお願い事も、夢も理想も、ぜんぶ叶えてくれちゃうんだね。普通だったらやれって言われても、そんな簡単に出来ないと思うよ?」
「……まぁ、苦でも無いし」
「今日だけ恋人だーなんて言われたって、普通ならもうちょっと動揺すると思うんだよね。なのに、いつもとおんなじ顔して、平気そうにしちゃって」
「動揺はしとる。顔に出んだけや」
「そうなんだよねえ……なにしててもカッコイイの、ズル過ぎる。気の抜けた顔も、恥ずかしがってる顔も、ぜんぶ綺麗なんだから。女の子を馬鹿にしてるよほんと」
「それに関してはどうしようも出来ん」
不満なのか喜んでいるのか、判断に迷う微妙な反応だ。胸元から上目遣いで覗き込んで来る彼女の笑顔を見るに、それほど本気で言っているわけではなさそうだが。
俺だって、似たようなこと考えてるけどな。
お前も笑ってばっかで、表情変わらんし。
だから、嫌いにはなれない。浮世絵離れした衣装と共に見せる、妖艶な笑みも。エロ本云々の件で覗かせる、やり場のない困り顔も。
そのすべてが彼女の一部分であり、今こうして、制服姿のまま束の間の関係を踊り楽しむ姿へ繋がっている。
この愛おしさが、俗に言う恋へと移り変わるのであれば。俺とて不満は無い。むしろ望んでいたとしても。
ただのクラスメイトに過ぎなかった俺たち。フットサル部というフィルターを通さなければ、決して通じなかった想い。
今ばかりは余計なことを考えてしまう。
もしも、この街へやって来たあの頃のまま。
俺の傍に、彼女しか居なかったから。
二人の関係は、もっと違うもので。
なんなら、とっくに一線を越えていたりして。
本物の恋人とやらに、なっていたのだろうか。
あり得ない仮定だと、理解している。
けれど、想像せずにはいられない。
「んー…………もうちょっと困らせたいなぁ」
「当人を前に言うんじゃねえよ」
「もうキスくらいじゃ動揺しないかな?」
「だから、心臓バクバクや言うとんやろ」
「わたしだって一緒だよ、でもそれだけじゃ足りないもの。ドキドキより幸せだって感情の方が勝ってるんだから。もっと面白いことしたいな」
あれだけの葛藤を経て重ねた行為すら、今となっては過去のモノか。
切り替えが早いな、芝生の上に限らず。どういう脳ミソの作りしてんだよ。無敵かお前。
「あっ。もしかして、こっち?」
ひと何か閃いたのか、ピンと人差し指を立てる比奈。すると、いきなりスカートの袖を両手で摘まみ上げる。
「……おいっ、辞めろって」
「あれえ? 中々いい反応?」
「往来で辞めろそういうのっ。勘違いされたらどうすんねん」
「あははっ。焦ってる焦ってる」
「話聞けッ!」
急速に膨れ上がる焦りと動揺を前に、彼女は妖美な面持ちで悪戯に微笑み、更にスカートをヒラヒラと舞い踊らせる。
先ほどのコスプレにしても、スカートであることに変わりは無いが……クソ、こうなることくらい予期しておくべきだった。
お前もお前で、結構短いの履いてるんだよ。瑞希や琴音ほどでないにしろ。
「そうだよねえ。こないだも覗こうとしてたし」
「あっ、あれは瑞希に乗せられただけで……ッ!」
「でも、気になるんでしょ?」
「気になるから辞めろっつってんだよッ!」
「わぁー、正直だねえ」
風でスカートが揺れ、たわわな太ももが露わに。
ギリギリ見えない絶妙なポジショニングだ。
って、めちゃくちゃ見てるし。自重しろや。
「ねえねえ。こっちこっち」
そのまま彼女は、再び俺の手を取って海辺を離れ敷地内へと引っ張る。
何処に行くのかと思っていたら、建物と建物の間にある、僅かなスペース。裏路地へと連れ込まれた。
「ここなら、誰にも見られないでしょ?」
「…………この辺にしとけって。ホンマに」
「やだ。陽翔くんの困り顔、もっと見たいもん」
レンガ造りの壁に押し込まれ、ジリジリと距離を詰められる。
股下に膝を入れられて、逃げ出すことも出来ない。そっぽを向こうにも、腕を使って上手いこと身体を密着させられ、目に入って来るのは彼女の大きな瞳と、艶やかに滲む唇だけ。
「壁ドンだね。立場が逆だけど。逆ドン?」
「クソほども笑えねえよそんなギャグじゃ」
「笑ってる余裕があるの?」
一転、真面目な顔つきで目前へと迫り来る彼女。
いよいよ完全に包囲された。
そのままなし崩し的に、またも唇を奪われる。顔ごと競り上げ、あらゆる要素をすべて絡め取るように舌を伸ばし、口内で激しく音を立てる。
脳裏にまで響くような刺激と、少し冷え始めた柔らかい肉付きに、ついぞ思考回路はショートし、正常さを失った。
唾液交じりの不安定な呼吸が、路地裏に響き渡って行く。
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