307. 求めて得られる恋も、悪くないけど


「わぁぁっ……すっごい景色……」


 対面に座っていた比奈だったが、周囲に広がる壮大な絵を前に、思わず立ち上がり落ち着かない様子である。


 感情と連鎖する謎のオートマチズムでもあるのか、もう着けているのもすっかり忘れているであろう猫耳と尻尾がぴょこんと揺れ動いた。



 市内の様子を一望できるこの観覧車は、コスモパークの目玉アトラクションでもある。すぐ近くに立ち並んでいる国内最高峰のランドマークと並んで、このエリアのアイコンと言ってもいい。


 郊外にまで広がる煌びやかな景色は、すっかり暗くなった空模様とのコントラストで一層鮮やかに映し出された。たかがゴンドラ式の乗り物に人が大挙して押し寄せるのも納得だ。



 前に瑞希とジェットコースターに乗ったときも、同じくらいの高さにまで登ったけれど。あのときはまるで見える景色が違う。そりゃあ、時間帯の差もあるっちゃあるんだけど。


 語彙力に欠けた凡人がいくら頭を捻ろうとも、適切な表現は見当たらない。ただまぁ、雰囲気とか、相手とか、そういう具体性の無いモノの影響が多少なりともあるんだろうなと。


 何かを褒めるのにも壮絶なエネルギーを消費する俺のような人間には、その程度の感想しか浮かばない。


 どちらかと言えばこの景色よりも、珍しく年相応にはしゃいでいる彼女を見ている時間の方が長い有様だ。


 いつまで経っても素直になれない。

 受動的にも事足りない自分が居た。



「あっ。撮った?」

「撮った」

「許可の無い撮影は禁止でーす」

「散々フォルダ膨らませといて、今更やろ」

「だめっ。いま、すっごいボーっとしてたもん」


 手持無沙汰になりつい取り出してしまったスマートフォンのカメラを、彼女は掌を差し出して遮ろうとする。こんな仕草でさえ絵になってしまうのだから、気を休める余裕も無い。



「なら、ちゃんと構えろ」

「いえーい♪」

「切り替えはえーな……」


 次の瞬間にはしっかり顔を作ってピースを向ける比奈である。これが本気で笑ってるっていうんだから、恐ろしいものだ。真偽はともかく。


 別に知りたくもない。

 知ったところで、俺にどうしろと。



「一緒に撮ろ? あっちの海をバックにして」

「ん。じゃ、こっち来い」

「わー。男前なセリフっ」

「茶化すな。はよしろ」

「はいはいっ。お邪魔しまーす」


 二人分の体重が外側の座椅子に乗っかり、ゴンドラが微かに揺れ動く。すると、思いのほか強かった振動に彼女はバランスを崩してしまった。


 機能性の高いとは言えない格好に、履き慣れない靴。そのままボスンっ、と俺の身体に向かって飛び込んで来る。



「ひゃっ! ご、ごめんねっ? 痛くなかった?」

「いや、別に。怪我してねえか」

「うんっ…………あっ、このまま撮っちゃおっか」

「人が心配してんのにお前な」


 ほぼほぼ抱き合っていると言っても過言ではない状況なのだけれど、比奈はそんなことお構いなしでスマホを取り出しカメラを起動させる。


 ゼロ距離で密着する彼女の柔肌が、全身の至るところに当たって落ち着かない。

 愛莉や琴音、ノノと比べればどうしても目立ちにくいとはいえ、比奈も比奈で中々にメリハリのある身体をしているのだ。


 本当に抵抗が無くなったな。俺も、お前も。

 少しは離れようとか、思わないのかよ。



「…………なにしとん」

「ホーム画面とロック画面、どっちかなって」

「馬鹿、辞めとけ。見られたらどうすんねん」

「んー? みんなに自慢しちゃうけど?」

「毎日オレの顔なん見とったら体調悪なるわ」

「そうっ? むしろ健康になるかもだよ?」

「迷信や、迷信」

「てことは、陽翔くんは毎日体調不良?」

「言い切った手前否定は出来ん」


 少しばかり迷った挙句、撮った写真はロック画面に採用されたようだ。毎日スマホ開いて必ず俺の顔が目に入るって、どんな気分になるんだろう。俺だったら画面叩き割るけどな。



「相変わらず自己評価低いんだねえ。陽翔くん、別に変な顔じゃ無いし、普通にカッコいいのに」

「お前だけなんだよ容姿褒めんの。信用が足りん」

「わたしの目が曇ってるって言いたいのかな?」

「コンタクト合ってないんじゃねえの」

「眼鏡のときから、ずーっと思ってるよ」

「…………ならええけど」


 思わず飛び出たぶっきらぼうな反応。

 比奈はクスクスと笑い出した。


 完敗だ。皮肉り合戦ならともかく、褒め合いじゃお前には勝てそうもない。たぶん、一生。



「…………わたしは、どう?」

「……どうって?」

「今日の格好とか、いろいろ」

「いつだって可愛い生物やろ、安心せえ」

「まーたはぐらかす……そうじゃないのっ」


 少し不満そうに声を尖らせた彼女は、既にほとんどない距離を更に縮めて、グッと顔を押し寄せて来る。


 いくら狭いゴンドラのなかとはいえ、ここまで密着する必要はあるのか。


 無いよな。無いに決まっている。

 だからこそ、気に触れる。



「あのねっ? こーいう格好してるときは、わたしであって、わたしじゃないの。普段のわたしはいいから、今日しか貰えない感想が欲しいんだって、言わなきゃ分かんない?」


 珍しく機嫌が悪い。

 悪くさせたのは一方的に俺だけど。


 そう言われても、というのはある。気の利いたコメントなんて一切思い浮かばないし、言えることがあるとすれば、それはもう可愛いの一言で大抵収まってしまうのだから。


 或いは、こう言って欲しいのか。


 いつもと違って、ドキドキする。

 比奈らしくなくて、案外悪くない。

 そんな台詞を期待しているのか。


 なら、言いたくはない。

 思ってもないことを口にするほど、落ちぶれちゃいない。



「比奈は比奈やろ。他のなんでもねえよ」

「……いっつも同じこと言うね。飽きちゃった」

「自分の顔ならそう思うかもな。でも俺は違うんだよ。似たように笑ってるかもしれねえけど、俺には全部違って見える。演技なら下手くそやし、隠せてる思っとんなら、とんだ道化やな」

「……………………ちょっと酷いよ。それ」

「なら、見た目に拘ってる場合かよ」


 物哀しげに俯く彼女を、ジッと見つめていた。



 なりたい自分と、そこにいる自分。

 理想と現実の間で、比奈は今も揺れ動いている。


 夏休みの一件で、おおよそを曝け出した後も。文化祭でのデートで、そんなどっちつかずの自分を受け入れたとしても。


 一概にそれが、迷いであるとも言い切れない。

 吹っ切れないのには、明確な理由がある。



 呪縛を解く魔法が存在するのならば。

 その言葉はあまりに短く。

 惨たらしいほど重い。


 懲りないものだ。

 またこうやって、曖昧さに頼るばかり。


 そんなもの、誰も求めていないのに。



「教室で会うお前も、フットサル部のなかにいるお前も、今こうやって、俺にだけ見せてくれるお前も。全部一緒なんだよ。どれだけ着飾っていようと、俺には等身大の比奈しか見えてねえ」

「お世辞くらい、言ってくれてもいいのに」

「そんな器用な人間じゃねえことくらい、とっくに知っとるやろ。ただ褒めて欲しいだけなら、俺やなくても相手は仰山おる。違うか?」

「……そうかもね」


 なら、どうして。

 どうして俺なんだ。


 分かり切った答えは、間もなく告げられた。



「…………陽翔くん、だからだよ。他の誰でもない、陽翔くんに、陽翔くんだけに言って欲しい。可愛いって、わたしが一番だって……みんなと一緒じゃない。わたしだけが特別だって…………ッ!」


「……ねえ、どうして? わたし、可愛くないよ。全然、全然可愛くない。こんな格好して、髪色まで変えて、別人みたいになって、それでわたしっ、やっと自信が持てたの。こんなわたしでも、認められるんだって。陽翔くんの気を惹けるくらい、可愛い女の子になれたって……!」


「こんなのズルいっ、ズルいよ……ッ! わたしっ、ほんとにダメになっちゃう……陽翔くんに甘えるだけの、ただ可愛いって言われるだけの、なにも出来ないダメな女の子になっちゃう……そんなの、イヤっ……絶対にイヤ……っ!!」



 頬を伝う涙が、胸元に浸り落ち。

 何も無かったように、やがて白へと混ざった。


 共に溢れ出した思いが、止まる気配は無い。

 止める必要があるのかも、分からなかった。



「…………ずっと我慢してたのに……わたしだけ先走ったりしたら、絶対にダメだって、わたし、我慢してたのにっ。我が儘じゃダメだって、分かってたのに……っ!」



 すべてを受け入れられる気はしない。

 足りないものが。理解し得ないものが多過ぎて。


 けれど、一つだけ言えること。


 これだけ辛い思いをして、耐え忍ぶくらいなら。

 もう、必要無いんじゃないか。そんな我慢は。



 少なくとも、比奈。

 お前がこうして、涙を流すのであれば。


 いま、この瞬間だけ。

 不出来な自分を、少しだけ甘やかしたい。



「なら、辞めるか。友達」

「……………………それで、いいの?」

「比奈がそうしたいなら」

「…………じゃあ、辞めちゃうよ?」



 そうすれば、ちょっとはマシになると思う。

 この湿っぽい空間も。煮え切らない関係も。



「…………チームメイトは?」

「それはもう少し、な」

「クラスメイトも?」

「それも変わらねえ」

「……なら、まだ大丈夫だよね。きっと」



 楽な方へ逃げている自覚はあった。


 でも、抗えるほど。

 俺はまだ、強くなかった。



「シェイクスピアの台詞に、こんなのがあるの。求めて得られる恋も、悪くないけど……与えられる恋は、もっと良い。今の陽翔くんに、ピッタリだと思わない?」

「教えてくれよ。どんなもんか」

「――――じゃあ、実地訓練だね」




 進み続けるゴンドラは、頂上へとたどり着いていた。時間通りに進むばかりで、止まってはくれない。


 勿論、この瞬間がピークだとも思わない。


 これよりも先に、美しい光景が広がるのか。

 同じような景色をなぞるだけか。



 それを決めるのは、俺と、お前次第。

 二人で一緒に、少しだけ勇気を出そう。


 きっと、新しい世界が見えて来る。

 そんな気がする。



 眩しい外の光に照らされた、二つの影。

 誰も見ていないような隙間を狙って。


 ゆっくりと。しかし、確実に重なった。











「好きだよ、陽翔くん」


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