304. たまーにキザなこと言うよねえ


「すいませーん一緒に撮りましょー!」

「は~~い、陽翔くんよろしくー」


 ……これで何人目か。名も知らぬコスプレ集団と共にフィルムへ収まる比奈をスマートフォンで写し続け、もう結構な時間が経っている。



 混沌を極める夕方の繁華街へ現れた黒猫美少女は、派手な喧騒のなかにおいても瞬く間に人気者となってしまった。三歩進めば似たような格好の女性たちに写真を強請れている。


 声を掛ける連中も連中だが、気軽に応じる比奈も相当だ。男集団のレスポンスだけ華麗に避けている辺り達者なものである。初対面にも物おじしないその度胸は、ちょっとだけ羨ましい。



 で、すっかり写真班に落ち着いた俺である。


 人混みに晒されながら比奈を中心に女の子ばっかり撮るという、状況が状況ならまぁまぁヤバイ奴であろう。それでもそこまで気疲れしていないのは、相手が相手だからというのも、若干ある。



「段々板に着いて来たねえ」

「なにが?」

「写真。最近、よく撮ってるよね」

「……そうか?」


 言われてみれば、そんな気がしないことも。


 きっかけは文化祭で、瑞希から写真投稿アプリについて教えてもらったのと……あとは、そうか。比奈に教えられた、あの言葉かもな。



「……今日だけなんやろ。黒猫になってくれんの」

「うーん。まぁ、そうだね」

「なら、残しておいた方がええなって、そんだけ」

「忘れられたらちょっとショックだなぁ」

「お前の顔は右脳に張り付いてっから、安心しろ」

「たまーにキザなこと言うよねえ。いっつもかな」

「どこがだよ」


 くすくすと悪戯に笑う比奈。

 可愛い顔が可愛い格好して、可愛く笑うな。


 けれど、比奈の言う通りこれまでの俺には無かった行動だ。写真を撮るというのは。夏祭りでフォルダの枚数に絶望していたくらいなんだから。


 新しい趣味なんて、大したものじゃないだろうけど。ただ、こうして皆の顔を写真に収めているときは、結構楽しんでいる自分が居る。



「一眼レフとか買ってみたら? 本格的に」

「金に余裕があったら考えるわ」

「おーっ。意外とノリノリだっ」

「被写体がおらな始まらんけどな」

「じゃあ、次は白猫にするね?」

「コスプレすんのは決定かよ」

「だって、普通のわたしじゃ面白くないもん」


 実に自然な流れで飛び出た一言のように思えたのだが、どこか影のようなものを感じ取ってしまったのは、気のせいだろうか。感性そのままに信じるのなら、思い違いというわけでもない。


 

 文化祭で吐露された彼女の思いを、今一度脳裏で整理し直していた。

 この倉畑比奈という人間は、見てくれの魅力に対して、どうにも自信というものが欠けている。


 悪ノリしがちで策略家な一面も否定は出来ないが、基本的には誰かの後ろや横に立って、他人を立てる側だ。それはそれで彼女も楽しんでいる節はあるだろうけど。


 こうやって見慣れないコスプレで惑わそうとして来るのは、彼女が彼女たる典型だ。俺との関係性や、フットサル部のなかでの自身の在り方に拘りを見せる姿も、その一片である。


 要するに、彼女はまだ縛られている。

 自分のようで自分でない。

 対外的な倉畑比奈という人間に。



 だからこそ、ここ最近の比奈は変わった。

 いや、変わろうとしている。そんな風に思う。


 ある種の諦めというか、吹っ切れた何かがあるのかもしれない。それが具体的にどんなもので、どのような意図を孕んでいるのか、すべてを解き明かすにはまだまだ脳が足りないが。


 それでも、分かるものはある。

 俺だけは分かってやらなきゃ、居た堪れない。



「あっ、あれ見て」

「……フリーハグ?」

「かわいいーっ! うさぎさんっ!」


 真っ白なうさぎの着ぐるみを着た物体が「FREEHUGS」と書いたプラカードを持って突っ立っている。酔っぱらった集団がソレへ突撃している最中であった。


 顔色が窺えないから、あれだけ持って立っていると妙に気色悪いな……大方、女性からのハグを狙った冴えない男がこの日のために準備してきたとか、そんなところだろう。



「行ってみようかなー」

「セクハラでもされたらどうすんねん」

「大丈夫、だいじょーぶ!」

「おいっ、比奈っ!」


 非日常な空間に囲まれて、彼女も少し浮かれているのか。少し駆け足でうさぎの着ぐるみへ突撃していく。


 なんとなく。なんとなくだけど、二人の間に漂っていた微妙な沈黙を嫌ったようで、ほんのちょっとだけ心が痛くなった。



「もふもふー♪」


 遠慮なくうさぎに抱き着く比奈は、割かし真っ当に楽しそうで勘違いしてしまいそうになるが。まぁでも、嘘ってわけでもないんだろうな。なんてったって、あの比奈だし。


 うさぎと黒猫のコントラストは、外から見ている分には何の問題も無い、至って健全な光景である。なんなら映えってやつか。瑞希曰く。



 表しようのない諦めに苛まれ、これも一興かと再びスマートフォンを取り出し、写真アプリを起動する…………が、どうにも違和感が。



(めっちゃ擦り寄るやんアイツ)



 勘違いだったら悪いんだけど。


 なんか、うさぎの手付きがぎこちないというか。さっきまでパリピ集団相手にノーリアクションだったのに、いきなり挙動不審になっている。妙に怪しい。


 ……いや、待て。

 その右手の動き、なんだよ。



「オイッ、調子乗んなッ!」


 慌てて比奈とうさぎの間に割って入り、明らかに臀部へと伸び掛けていた右手を払い除ける。まさかとは思っていたが、本当にそういう目的か。


 突然現れた俺にうさぎの着ぐるみ、もとい発情期セクハラ野郎は大いにたじろいでいた。少しにらみを利かせると、奴は足早にどこかへと走り去ってしまう。


 今回ばかりは、無駄に伸びた身長と生まれ持った目つきの悪さを称えるしかない。大事にならなくて良かった。



「チッ。火事場泥棒狙ってんじゃねえぞ……」

「……陽翔くん?」

「比奈。お前、ケツ狙われてたぞ」

「…………へっ? お尻?」

「気付いてもねえのかよ。ちょっとは警戒しろ」


 事の顛末をポカンとした表情で眺めていた比奈だったが。明らかに機嫌を損ねているよう見えるであろう俺の様子を暫く伺い、何が起ころうとしていたかようやく気付いたようだ。



「……ご、ごめんねっ……」

「比奈は悪くねえけどよ。あんま浮かれんなよ」

「う、うんっ……気を付ける……」

「ただでさえ露出多いんやから、ええな」


 せっかく楽しい雰囲気だったのに。興醒めだ。最も、俺自身の油断が招いたものと言えば、そういう側面も無いこたないだろうが。


 あまり自由にやらせるのも心配だ。

 悪いけど、手綱は握らせて貰おう。



「どっか行きたいところとかねえのか。もう十分楽しんだやろ、これ以上その恰好外に晒すのも、俺が気分悪いんだよ」

「…………う、うーん。そうだなぁ……っ」


 少し頭を抱え込み考える比奈。ホントにノープランで来たのか。他の部員に違わず、お前も大概やな。まぁ、そっちの方が俺も気が楽ってモンだけど。



「じゃあ、ここから近いし、コスモパークとか?」

「コスモパーク?」

「隣の駅のところにある、遊園地なんだけど……」


 少しだけ耳馴染みがあった。なんでも市内随一の観光地のなかに立ち並ぶ都市型遊園地で、この辺りじゃ最大級の規模を誇る観覧車が有名なんだとか。テレビで特集を見た。


 デートスポットとしても知られているらしいが、行ったことがあるというクラスメイトの話によると、肝心のアトラクションがあんまり面白くないとか、海沿いだから冬は死ぬほど寒いとか、そんな感じの噂を聞いたことがある。



「……まぁ、丁度ええ落とし処やな」

「えー。わたしに提案させてそんなこと言う?」

「うるせえな。ここに居るよりかマシや」

「はいはい。分かったって」


 強引に手を取って、駅の方へと歩いて行く。


 彼女に伝えた理由は、半分嘘が混ざっている。ここに長居する理由が無いのも本当っちゃ本当だけど。



 先の出来事からも分かるように、どうしたって注目を浴びる存在なのだ、比奈という奴は。本人がどう思っていたようが、どんな格好をしていようが、そんなことは関係ない。


 柄でもないということは自覚している。


 こんな彼女を、他の人間の目に触れさせるのも勿体ないという、ただそれだけの感情でこうして手を引いている。それが恐らく「嫉妬」というモノであることも。


 分かっている。んなこと昔から分かっている。

 だから、俺はこれ以上、なにも言わない。


 察しろ。複雑な男心を。

 お前なら出来んだろ、比奈。



「早く行くぞ。ここら一帯酒臭くてアカンわ」

「もう、急かさないの。ちゃんと着いてくからっ」


 僅かに明るさを取り戻した声色が、答え合わせのように聞こえた。わざわざ顔を突き合わさなくたって、俺とお前の間柄なら、それで十分だろう。


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