287. 確実に潰す
「…………痛過ぎるゥゥ……ッ!!」
「喋んなゴミ」
「すんません、すんません……っ!!」
「あああああああぁぁぁぁぁぁ……さわられた……さわられた……っ! おっ、男の人にっ、あ、あぁぁぁぁぁっ……!!」
「よしよーし。大丈夫だよマコくーん」
シャワールームを後にしてから結構な時間が経過しているが、状況は一向に変わらない。
リビングの冷たいフローリングに頭を擦り付け。いや、減り込ませる俺。そんな姿を、一切の感情を突き放したような冷たい瞳で見下ろす愛莉。
好き好んで土下座をしているわけではない。
ただ浴室で食らった下半身を襲う強烈なキックの後遺症が未だに尾を引いていて、単純に動けなくなっているというだけである。
マジで生殖機能逝った気がする。
もう痛覚通り越して寒気する。
一方、シンプルに性犯罪の被害者となってしまった真琴は、部屋の片隅で体育座りをしながら身体をガタガタと震わせ、その場から動こうともしない。
愛莉と同じタイミングで帰って来た有希が必死に慰めているが、効果は今一つのようであった。カオスという表現すら物足りない謎の空間が、もう何十分も長瀬家のリビングを支配し続いている。
「はぁー…………あのさ。普通、気付かない?」
「……一瞬たりとも思いませんでした……ッ!」
「確かに私も、ちゃんと妹だって言ったこと無かったかもしれないけど……普通に考えて、こんな華奢で可愛い子が男なわけないでしょ。ねぇ。ねえ! 仮に男相手でも犯罪だと思うんですけどぉ!?」
「反論の余地もございませぬ……ッ!!」
怒りと呆れが半分ずつ譲渡し合って、結局どちらも譲れない、といったところか。最も視界は床塗れな手前、声色で判断するしかない現状である。
そりゃ言いたいことの一つや二つあるけど。
叶わない。
ずーっとスマホ持って110番の準備してる。
それから更に膠着は5分ほど続き、なんの慰めにもならない空虚な時間が流れる。沈黙を打ち破ったのは、意外にも。
「姉さん……もう良いから……っ」
「アァ!? アンタはそれでいいわけ!? 一歩間違えたらそのまま、おっ、襲われるところだったのよっ!? ていうか、現に襲ってるのコイツは!!」
「痛い痛い゛痛い無理無゛理ムリッ゛!!」
「うっさい馬鹿喋んなっ!!」
掌で背中をバシバシ叩き続けて来る。
逆に痛覚を思い出した。有難くはない。決して。
とにもかくにも、愛莉の怒りはそれはもう例を見ないレベルで強烈なものだった。サッカー部戦のアレコレで喧嘩したときも、ここまで感情的では無かっただろう。改めて真琴へ仕出かした罪の大きさを窺い知る。
「いや、本当にもう……紛らわしい自分も悪いし」
「……ふんっ!!」
「ブホ゛ェッ!!」
ようやく冷静さを取り戻した真琴のフォローのおかげで、どうにか自由の身を得ることに成功する。背骨を打ち砕かんとする全力のグーパンを代償に。
ヨレヨレと立ち上がり、少し心配そうに右手を差し出す
よくよく見てみれば、それも余計な配慮だったように思う。あれは手を取ろうとしているんじゃない。俺との距離感を縮め過ぎないようバランスを取っているだけだ。うん。
「その……ホンマ悪かった……っ」
「もう過ぎたことなんで……」
互いに視線も合わさぬ、ぎこちない和解。
すぐさま訪れる気まずい沈黙。
というわけで、真琴くんは真琴ちゃんでした。
ドッキリ大成功。てってれー。
ああ。死にてえ。
「あのっ、愛莉さんっ。廣瀬さんのこと、あんまり責めないであげてください……廣瀬さん、男の子のお友達が全然いないので、マコくんみたいな距離の近い子が出来て、嬉しかったんだと思います……それに、マコくんカッコいいから……勘違いするのも、仕方ないと思うんですっ」
「……うん。まぁ、それは……」
思わぬ角度から有希の助け舟。愛莉も思い当たる節が無いわけでもないのか、神妙な顔つきで腕を組む。
ギリギリフォローになってないというか、追い打ちな気がしないでもないが。すっげえナチュラルに友達いない言われてるオレ。中学生に。辛過ぎる。
ただ、一つだけお前にも文句を言いたい。同性同士で仲良くしているのはよく分かった。よく分かったが、なんであだ名がマコくんなんだよ。
一応にも出会った頃は男か女か微妙なところだと、思ってないことも無かったのに。お前がそんな風に呼んでいるものだから、なんなら確定演出だったわ。八つ当たりにしては真っ当なぶつかり方だろ。
「……次は無いから。確実に潰す。いい? 分かった?」
「勘弁してくれって……」
「してくれ? なに? もう一回」
「勘弁してくださいッ、お願いします……ッ!!」
暫く愛莉には逆らえそうにもない。
フットサル部のパワーバランス崩壊も間近か。
変わらず不機嫌なままの愛莉であったが、いい加減にご飯作らないと、と半ば強引に話を打ち切りダイニングへと向かう。
無理にでも忘れようとしているのだろう。懸命な判断だ。
その間、俺たちは何をするわけでもなくテーブルの椅子に座り料理の完成をジッと待っていた。これが真琴と二人きりとなると中々に辛いが、有希が何かと場を繋ぎ緩和剤となってくれている。
「マコくんとは去年同じクラスになって、それで仲良くなったんですっ。一年の頃も、体育祭とか球技大会で活躍してるところを見てて、カッコいいなーって思ってて……そしたら、マコくんから話し掛けてくれたんだよね?」
「あー……うん、そうだね。たぶんそうだと思う」
「クラスでもずーっと一緒に居るんですっ。今年は特にいっぱい遊んでます。海にも行ったし、こないだの山嵜高校の文化祭も、途中から一緒に回ってたんですよっ!」
たまに会話に出て来る有希の友達って、真琴のことだったのか。それが偶然、愛莉の弟……じゃない、妹だったという。
世間って狭いな。
狭すぎたが故の現状であるが。
見た目ゆるふわ系の有希と、スポーティーな出で立ちの真琴では一見相反れないようにも思えるが。お互い持っていないものを補完し合えるような、ある意味で理想的な関係なんだろうな。
真琴が有希に声を掛けた理由は、分かる気がする。コイツ、フットサル部連中に囲まれてニヤニヤしてたし。シンプルに可愛い子が好きなだけだ。間違いない。
女子だけのファンクラブがある、なんてことを有希も話していたが、恐らくこれも狙って自らを印象付けていることで発生している。
肩まで掛かる髪の長さ。中性的な喋り方。クールぶった出で立ち然り。コイツもコイツで、自分をどう見せれば一番輝くのか、ちゃんと自覚しているのだ。
この辺りも愛莉の血を感じさせる、滲み出るスター性というか、そういう曖昧な何かを彷彿とさせる。
しかし、今回ばかりはやり過ぎだろう。ついぞ
俺の場合、ファーストコンタクトも良くなかっただろうけど。写真だけ見せられて、サッカーをやっていると聞かされて。
その時点でもう「判別付き難いけどまぁ男だろ」という固定観念が出来上がってしまっていたわけだから。
愛莉の言った通りだ。盲目になっていた。
こんな可愛らしい人間が男なわけあるか。
「なっ、なんですか……っ?」
「いや……節穴やったなぁ、と」
「い、いいですよっ……女っぽくないのは分かってますから。そのせいで得したこともいっぱいありますし、差し引きゼロです」
「揉めてた理由がやっと分かったわ」
「はい……女子が公式戦に出るのは、やっぱり」
中学で試合に出れていないのは、年度を跨いだ登録上の問題だけではなかったということだ。
小学生ならいざ知らず、中学年代で女性が男子チームに混じってプレーするのは体格の差を考慮すると非常に厳しい。
競技人口の問題で混合チームが出来たフットサルとは違い、サッカーの場合は男と女で明確に分けられてしまう。
加えて、性別上は女子であるにも拘らず大半のサッカー部員と比べても実力的には抜けている。これはギクシャクするのも当然だろう。
…………まぁ、裏返しみたいなところもあるか。
例の少年も、実際やり辛かったんだろうな。
思春期が同世代の女子とコンタクトプレーとか。
身体に毒だわ。俺でさえ未だに慣れんのに。
「……悪かったな、激しく当たり過ぎたわ」
「い、いえっ……あれは、あれで良いんです。むしろ、あんなに強度の高い練習できたの、初めてだったんで…………キツかったですけど、得るものも沢山ありましたから」
「いや、そういう話ちゃうねん。結果的にどうなったかも重要やけどな。あれはもう、男としての態度を見てたッつうか……性別で違いがあるわけでもねえけど、それならそれで、他にやり方もあったやろし」
仮にも年下の女の子を全力でブッ飛ばしていたということになる。どう考えてもやり過ぎだっただろう。伝えたいことに相違は無いが、過程の重要さもこのところ身に染みている所存であり。
「……あの、その件についてついてなんですケド」
「ん?」
「はーい、出来たわよー」
遮るように愛莉の声が響き、大皿が運ばれる。
宣言通り大量のパスタ。
山盛りのミートスパゲッティだ。
「わあぁっ! 美味しそうっ!」
「そう? メッチャ適当だけど、ごめんね?」
「いえいえっ! パスタって調理するの難しいじゃないですかっ! 流石は愛莉さんですっ!」
「……あー、うん。そうかも……」
忘れていた。有希って超料理音痴だった。
茹でるだけだろ。何に苦労してんだよいっつも。
ともかく、話の腰が折れてしまった。
まぁ続きは、食べてからでも良いか。
いい加減、そろそろ腹減ったし。
待ち焦がれていたのも本当だ。
「アンタも食べてくの? 帰っても良いわよ?」
「冷てえこと言うなよ。楽しみしとったんやから」
「…………まぁ、うん。べ、別に、帰れとか、そこまでは言わないけどっ。勝手にすれば? ふんっ」
お前もお前で、この程度で機嫌を直すな。
そんなこんなで、ようやく本来の光景を取り戻しつつある長瀬姉弟、もとい長瀬シスターズ。互いの親友同士も入り混じり、少し見慣れない四人での、遅めの夕食が始まるのであった。
いつの間にか隣に座っていた真琴が、隙を見てはこちらをチラチラ見ていたことに、勿論気付いているわけもない俺である。
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