285. エエン?


 身支度を終え見慣れた制服姿に着替えた五人が、真琴を囲い停留所から駅までの短い道のりを意気揚々と突き進む。


 姉含めとはいえ、美少女に囲まれた真琴は普段のクールな素振りを貫き通してはいたが、誰から見ても分かる程度にはヘラヘラしていた。必死に口元のむず痒さを抑えようとしているが、ちっとも隠せていない。


 そんな彼の姿を、俺は少し後ろから眺めていた。集団に混ざるならいざ知らず、こうして背後から見ている分には不審者の極みでしか無いのも十二分に理解していたが、この帰りの道中に限ってはあの輪の中に入る勇気が持てずにいたのだ。



「あれ? 陽翔くんも電車乗るの?」

「ん。まぁちょっとな」


 比奈の問い掛けに曖昧な返事をする。

 実際のところ、これという用事は無かった。


 駅から徒歩5分の家へ帰るのに、交通機関を使う必要は無い。おおよその原因は、前で楽しそうにお喋りを弾ませる長瀬姉弟の要望によるものである。


 俺は頑なに固辞したのだが、愛莉が「何だかんだ世話になったし、ご飯くらい食べて行けば?」とさも当然の流れのように宣い、真琴もそれに同意するものだから、無碍に扱うのも憚れるという、本当にそれだけの理由である。


 タダ飯を食らえるのは有難い。が、いま現時点で真琴や連中に抱いているモヤモヤとした感情を一向に無視するにも労力を要する手前、乗り気でないことは確かであった。



 方面の違う瑞希とノノを強引に引き離し、電車に揺られること15分。上大塚の一つ手前の駅で降り、比奈と琴音にも別れを告げる。


 俺がここで電車を降りたことに、二人は何も言わなかった。彼女たちもだいたいの見当は付いているのだろう。言うて琴音はちょっとだけ不機嫌だったけど。顔に出過ぎなんだアイツは。



「買い物済ませるから、二人とも先に向かってて」

「分かった。今日はどうするの?」

「豪勢に……と言いたいけど、多分、パスタ」

「うん、それでいい。いつも通りで良いよ」


 割入る隙も無い姉弟会話をボンヤリと聞いていると、奥から見慣れない中学の制服を着た、見慣れた顔が段々と近付いてくる。有希だ。



「廣瀬さんっ、こんなところで偶然……って、マコくんっ!」

「有希。土曜日に制服でどうしたの?」

「三者面談で、いま帰りだったの!」


 駆け寄り、彼の手を取る有希。

 真琴も自然とその手を握り返す。



(……距離近いな……)


 だから何だという話だが。

 腑に落ちない点は幾つかある。


 有希が真琴に対し一定の信頼を置いていることは、以前の会話からも知るところだが……それにしても、クラスメイトの男女というには仲が良い。良過ぎると言ってもいい。


 同い年相手にタメ口を使う有希の姿が新鮮だったというのもあるが、普通に名前で呼び合っている辺り、相当である。


 つうか、なに手ェ握っとんねん貴様。



「セレクション、上手く行ったんだね」

「うんっ。ごめんね、有希にも迷惑掛けて」

「ううんっ! でもっ、本当に心配したんだからっ」


 有希も大概だ。自分で言うのもなんだけど、お前、一応にも俺のこと好きなんだろ。当人目の前にして、他の男にデレデレしてんじゃねえよ。浮気だぞ浮気。


 いや付き合っても無いのに浮気もなんも無いけど。俺が言えた口じゃないのは百も承知だけど。納得いかん。猛烈に。


 なんだその甘々とした雰囲気と態度は。エエン?



「じゃあ、フットサル部に入るんだねっ!」

「うん。来年も有希と一緒だよ。合格できればね」

「私より頭良いんだもんっ、絶対に大丈夫だよ!」

「最近微妙だからなぁ……ちょっと不安かも」

「なら私が…………あれ、廣瀬さん? どうかしたんですか?」


 っと、いけないいけない。また機嫌悪い顔をしていたか。不思議そうにこちらを覗き込む有希に、つい視線を逸らす。



「いや、別に。仲良いんだな」

「はいっ。私の、一番のお友達ですっ」


 お友達、ねえ。

 怪しいな。実に怪しい。


 いや、まぁ、別に良いんだけどな。有希も俺だけに構うよりかは、比較対象となる人間が近くに居た方が今後のためにもなるだろうし。


 性格はまだしも、そもそもの顔立ちは真琴のソレには全く及ばない俺である。当人が幸せでいるなら、俺がどうこう言える権利は無い筈だ。



 だからこそ、かもしれないけど。

 クソ。これだからイケメンは嫌いだ。


 学校でしか見せない有希の知らないところとか、コイツも沢山知ってるんだろうなぁ。フットサル部の連中にしたって逆説的に同じことが言えるが。


 これから似たような感情に度々晒されると思うと、何故か左胸の辺りがキツく縛られるような、身に覚えの無い騒がしさを通告されるようで。


 正直に告白しよう。

 死ぬほどイライラしている。死ぬほど。



「……なに? 本当にどうしたのよハルト」

「なんでもない言うとるやろ。気にすんな」

「いや、でも、めっちゃ貧乏揺すりしてるけど」

「ええから、はよ買い物行け。もう遅いんやから」

「う、うん……」


 愛莉にまで余計な心配を掛けてしまう。


 唯一、馬鹿みたいな心配をしなくても良いのが愛莉だと思うと、少しだけ心が安らぐような気がしないでも無かったり。でも、相対的に一番彼女と距離が近いのは真琴で。


 おかしい。なんだこの悔しさは。

 試合に負けたときのそれとは比較にならない。



「せっかくだし、有希もご飯食べていきなよ」

「わぁっ、やった! 廣瀬さんもですよねっ!?」

「ん、まぁ……」

「愛莉さん、お邪魔しても良いですかっ?」

「もちろん。じゃあ、急いで買ってくるわね」


 三人を残し、すぐ近くのスーパーへと赴く愛莉。

 珍しい面子になったな。まぁ、それはともかく。



「じゃ、行こっか」

「うんっ! 廣瀬さんもっ、行きましょう!」


 二人ピッタリ肩を並べて歩く姿を、先ほどと似たような形で追い掛ける。笑顔を綻ばせる有希と、彼女の話を穏やかな笑みを浮かべ聞いている真琴。なんともお似合いの光景だ。


 俺が居なければ、ただの仲睦まじいカップル。

 あぁ、消えたい。この場から今すぐに。


 理由さえ馬鹿らしくて、尚更情けない。

 なんなん本当に。馬鹿なんじゃないの。




*     *     *     *




 そう遠くは無い筈の長瀬家への道のりが、嫌に長く感じたのも嘘ではあるまい。地獄のような帰路を練り歩き、目的地に到着する。


 有希も長瀬家へ足を踏み入れるのは初めてだったそうで、興味津々といった感じにリビングをグルリと眺めている。ええ経験やろ。良かったな。


 ああ、いちいち苛付いててどうすんねん。

 有希は有希だ。俺の物でも何でもないのに。



「二人とも、テレビでも見てゆっくりしてて。すぐ戻るから」

「マコくんは?」

「流石に汗かいたし、シャワー浴びようかなって」


 荷物を部屋に置いてリビングに戻って来た真琴は、声を掛けるや否やすぐに風呂場へと向かう。残された俺と有希は、ちょっとばかし暇になってしまった。



「どうしましょっか」

「人ん家のモン漁るのもな」

「そうですよねぇ……えへへ、なんだか緊張しちゃいますっ」

「そりゃそうだろうな」


 つい飛び出て来てしまう無粋な悪態に、有希は不思議そうに首を傾げる。いけない、すぐ態度に出てしまう。この状況でイライラしてるのは俺だけだってのに。もっと上手く生きろ。



「廣瀬さん、ちょっとご機嫌斜め……ですか?」

「あん。そう見えるか?」

「だって、いつもはただただ無表情って感じなのに……今日はちょっと怒ってるみたいに見えちゃいます。マコくんと、何かあったんですか? それともまだ仲直りして……でも、それならマコくんももうちょっと態度に出ると思いますし……よく分からないですっ」


 相変わらず余計なところで勘を働かせる。

 ここまで分かっているなら、まぁいいか。



「……半分くらいお前のせいやけどな」

「えぇっ!? わたしですかっ!?」

「仲良過ぎだろ、どう考えても」

「へっ…………まっ、マコくんとですか?」

「別にええけどな。今からでも取り下げたって」

「……ほえ?」


 今一つピンと来ていない様子の有希である。

 本当に分かっていないのか。余計に問題だ。


 これも、真琴が自然と醸し出すイケメン力によるものなのか。それとも女っぽい中世的な顔立ちによるものなのか。知らず知らずのうちに大変なものを盗んで行くタイプか。気に食わぬ。


 そして、不用意に芽生える大人げない嗜虐心。

 悪戯にしても悪趣味なのは、とっくに自覚済み。



「有希。ちょっとおつかい。コンビニでええ」

「おつかい? なにですか?」

「適当にお菓子と、カードゲームとか。暇つぶしにな。小遣いやるから、余ったのは好きに使え。ほら、行った行った」

「はっ、はいっ。分かりました……?」


 財布から1,000円札を引っこ抜き有希に手渡す。釈然としない様子の彼女であったが、素直に受け取る。



 彼女が家から出て行ったのを確認し、長瀬家を歩き回る。流れ出る水の音を頼りに辿り着いたのは、自宅とは比べ物にもならないプライベートの最高峰。シャワールーム。


 まぁ、良いだろこんな日くらい。

 男同士、積もる話もある。なぁ真琴くんよ。


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