282. 最高かよ
真琴がボールを手放すに至るまで、そう時間は掛からなかった。愛莉の素早いチャージから辛々逃れ、パスを送ると同時にクルリと反転。
寄せ処を失った愛莉は、ハッとした様子で後方へ流れるボールを見送っている。完璧なタイミングだ。これでは追い付けない。
少し浮いたパスはラインギリギリのところまで流れて行ってしまったが、どうということはない。最高のお膳立てだ。目の前には、再び態勢を取り戻しシュートを待ち構える琴音の姿が。
悪くない。理想的なポジショニング。
しっかりニアのスペースを埋めている。
この辺りの何気ないプレーからも、普段の練習で培ったモノがしっかり現れている。まだまだゴレイロとして半人前の琴音が、決定的なピンチを防ぐための方法。
チーム全体としてシュートコースを制限しに掛かるディフェンスは当然として、琴音自身もまた、相手の理想とするコースへシュートを撃たせないようにするための、徹底した位置取りが求められる。
コートの狭いフットサルでは、ゴール目前で流暢にパスを回している余裕が与えられない。
ただでさえゴールマウスも小さいのだから、しっかりボールとゴール、その中間にあたるポジションに立っていれさえすれば、れだけ大きな障壁となり得るのだ。
事実、シュートコースはほとんど無かった。
辛うじて股下を狙えるかどうかというほど。
いつもなら撃っているだろうな。この状況なら。思い切りダイレクトで叩くにしても、ファーへ流し込むにしても、選択肢は一つしかない。
いつも、なら。
しかし、今日は違う。
言ったろ。主役がお前らじゃ駄目なんだよ。
それに、自分で決めに行くよりも、よっぽど確率の高い選択肢が他にあるんだから、それを選ばない理由こそ。
「――――決めろ、真琴っ!!」
右足インサイドから放たれたロブパスは、琴音の頭上を越えてほぼ真横へと飛んで行く。これなら取って付けたようなオフサイドにも引っ掛からない。
琴音も今できることを全力でこなしている。
けれど、もうワンランク上を目指す時期だ。
ボールホルダー。つまり、俺ばかり見過ぎだ。いくらゴールへの距離がほとんどないとは言え、ここから更にラストパスを狙って来る可能性だって、ゼロじゃないんだぜ。
まっ、琴音ほど賢い人間なら、この辺りの駆け引きもすぐに覚えていくだろうけどな。ただ今日この試合に限っては、経験値の低さを利用させて貰うけど。
散々好き勝手やってくれたんだから。
偶には好き放題やられる悔しさを味わってみろ。
「やっ…………やったああああっっ!!」
「おっしゃああああーーーーっっ!!」
「長瀬ッ、ナイッシューっ!!」
チームメイトたちからの祝福の声と共に、場外からも歓声が飛び交った。
ゴールネットが力無く揺れ、真琴の元へと駆け寄るビブス姿の三人。
身体を懸命に伸ばし、頭の先でどうにか合わせてみせた。ほとんど同じタイミングで愛莉も突っ込んで来たから、自分で決めたのか、オウンゴールかは判断が付き難いが。
それでも、ゴールはゴール。
先制点は…………セレクションD組だ。
「いってて……もうっ、無理に飛び込まないでよ」
「ごめんごめん……衝動的にっていうか……っ」
「重いんだから、早く退いてよ」
「お姉ちゃんに向かって重いとか言うなっ!」
先に起き上がった愛莉が、真琴の手を掴み引っ張り上げる。
喜びと悔しさ半分ずつ。そのどちらも50パーセントでは事足りないという、なんとも表現に困る顔をしていた。けれど、嬉しそうなのは間違いないな。
駆け寄って来たチームメイトたちのもとへ出向き、歓喜の輪を作る。そんな弟の様子を眺めながら、愛莉はこちらへ視線を寄越し悔しそうに半笑いで呟く。
「……最後の、よく見えてたわね」
「言うて分かってたろ、あそこに出るって」
そうでなきゃ、最後の最後にライン上まで戻って来れるはずがない。タイミング的に遅れはしたが、あの飛び込み方は本気で真琴を潰しに掛かったそれだ。
「アンタがサッカー部じゃなくて安心したわ」
「味方で良かっただろ、なぁ?」
「ふんっ……絶対追い付くから、見てなさいっ」
「逆転までは考えられねえって?」
「もちろんっ、最後はそうなる予定だけどっ!」
恨めしそうにユニフォームの砂を払いながら啖呵を切り、持ち場へと戻っていく。そう来なくっちゃな。たかが一点で折れるほど、生易しいチームじゃないのは良く知っている。
ただ……愛莉ももう一つ、宿題がありそうだ。
フットサル部の現状として、愛莉を最前線のピヴォに置く戦術は理に適っているが……この失点のように、どうしても守勢に回らなければならない時間も、これから増えて来るだろう。
チャンスの場面でこそ、圧倒的なフィジカルとシュートアイデアで俺を驚かせて来る愛莉だが。反対にピンチを迎えると、どうにも細かいディティールに頭が回っていないよう思える。
今の真琴の動き出しにしたって、全く想定できなかったものではないはずだ。
それでも異なる進路を描いた真琴とボールの動きに、彼女は一瞬だけ足を止めてしまった。
(最高かよ、お前ら)
別に良いんだけどな。
今日は公式戦でもあるまいし。
むしろ有難いくらいだ。
――――このチームは、まだまだ強くなる。
俺が想像していたよりも、ずっとずっと。
「あのっ、先輩。ありがとうございます……っ」
「んっ。ええ動きやったな」
「はいっ……でも、どうしてですか?」
自陣へと戻る最中、真琴が声を掛けて来る。
「自分で撃っても……というか、撃てましたよね?」
「まぁな。決める自信はあった」
「なら、どうして……」
最後の最後にプレゼントパスを送られたのが、どうにも納得行かないのか。確かに、真琴のようにスタイリッシュなプレーモデルの選手にしちゃ、少々泥臭い一点だったけど。
「信じとったからな。お前なら、あそこに走るって」
「…………へっ……?」
「もっと喜べよ。愛莉を出し抜いて決めたんやで」
「それは、その……まぁ、そうですけど」
虚を突かれたように目をギョッと見開いた真琴は、どこか照れくさそうに頬を力無く引っ掻く。
ここまで素直に褒められると思っていなかったのか、居心地はだいぶ悪そうに見えた。
悪かったって。もうあんな風に言わないから。
お前はもう、一流のフットボーラーだよ。
「安心せえ。合格点くれてやる。95点な」
「……あとの5点は、どうすれば手に入りますか?」
「決まってんだろ。この試合に勝つだけや」
「…………はいっ! 絶対に勝ちますっ!」
突き抜けるような寒空でさえ抗えない汗が、乾いたハイタッチと共に地面へ滴り落ちる。試合再開の笛と共に、グラウンドへと消えた水滴が幾多もの足跡を作り出した。
数分後には、新しいもので掻き消されるだろう。
でも、それで良いじゃないか。
刻まれた足跡も、それを隠す新たな一歩も。全ては、お前が走り出したことで生まれるのだから。
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