272. 可愛いだけ


「もう真琴ったら……結局お風呂入らずに寝ちゃうんだから」

「疲れてたんだろ、あんだけ走れば」

「ああいうところが本当になぁ……」


 作戦会議にも満たぬ僅かな話し合いだったが、週末の予定について大まかな段取りが決まったところで、弟氏は眠気のピークが来てしまったらしく。着替えもそこそこにフラフラとした足取りで、自室へ戻って行ってしまった。


 特にやることが無くなり、俺とて長瀬家へいつまでも居座る理由も無くなったので、取りあえず例の公園のところまで送って貰うことになった。別に構わないと何度も言ったのだが、彼女は聞き入れてくれず。



 冷静に考えれば、クラスメイトやチームメイトがどういうという段階を超え、あの長瀬愛莉の住処へ深夜に足を踏み入れていたあの状況。普通ならもっと動揺していてもおかしくはなかったのだが。


 弟氏へのアレコレで色々と気が回らなかったというのもあるし、後は単純に「愛莉だから」というのも、まぁ理由としては割かし正当な部類に入るとは思う。



「……ほんと、色々ごめんね」

「謝んなよ。俺が勝手に先走っただけや」

「ううん。ハルトのおかげで、真琴もちょっとだけ冷静になれたと思う。あんなに本気でやり合うとは思ってなかったけど……」

「偶にはな。出来へんねん、フットサル部じゃ」


 あのチームが俺にとって居心地の良い場所になっているのは事実だが。一方で根本を辿れば「女子の界隈に男オレ一人」という状況に違いは無く。やはり随所でやり辛さのようなものも否めない。


 例えば、当たり前のように談話スペースのソファーでアイツらが寝転んでいる間、俺はずっとそちらを見ないように目を逸らさなければならないのだから。見たら見たで罵倒か鉄拳制裁の何れか。



 そんな環境に身を置いていれば、愛莉の弟という、立場を考えても比較的接しやすい人物が現れたのは、ちょっとだけ嬉しかったり。クラスメイトのオミやサッカー部の三年、その他連中ともまた違う何かがあって。


 だからまぁ、ちょっと調子に乗ってしまったというか、いつもなら必要としないエネルギーをぶつけてしまったことは、一応には反省しているのだ。辞める気はあんま無いけど。



「……あのさ。母親のこと、少し聞いてん」

「……うん。なんて言ってた?」

「身体が弱いんやってな」

「あぁー……でも、言うほど深刻な話でもないのよ? 確かに朝はちょっと弱いけど……でも、生活に支障があるってわけでも無いし。中々顔合わさないってだけで、うん」


 何の気なしに話を振ってみるのだが、言葉裏を探るまでもない、という印象は受けた。弟氏の話と統合するに、何か親子間で大きな問題があるわけではなさそうだ。



「まだ帰って来ねえのな」

「今日は中番らしいから、そろそろよ」


 今日、弟氏が起こした問題について母親が顔を出せなかったのも、単純に仕事中で気付くことが出来なかったからなのだという。


 なんなら明日は休みとのことだから、学校に出向くとの愛莉の話だったし。



「……さっき、真琴と何の話してたの?」

「あー……まぁ、色々とな……」

「なによ、色々って。気になるでしょ」

「プライバシーの問題もあるというか……」


 どこまで明かして良いものか、単純に分からなかった。そう不満そうに眉を顰められられても、的確な回答は見当たらない。しかし一度気になったからには、彼女も止まらない様子で。



「なによ。アンタはともかく、真琴の隠し事なんてどうせすぐ気付くんだから。話しなさいよ。それとも私の悪口?」

「そーいうの辞めてやれって……」

「いいからっ、教えてっ」


 妙にテンション高めで追及してくる。

 まぁ、別にええんやけども。

 


「…………気になってたんだとさ」

「……なにが?」

「俺と、お前の関係」

「…………私とハルトの?」

「目の前でイチャイチャすんなっつう話」

「いっ……!? い、いいっ、イチャイチャなんてしてないわよっッ!? なんでそうなるのおかしいでしょっ!!」

「知らんがな、アイツにはそう見えてんやから」


 自分から突っ込んでおいて自爆する、愛莉お得意のいつものパターンであった。思わず身体を仰け反らせバランスを崩し、涙目でプルプルしている。


 そんな可愛い顔で俺を睨むな。可愛いだけだ。



「違うっていっつも言ってるのにぃ……!」  

「いや、俺に言われても」

「アンタもっ、ちゃんと否定しなさいよっ!」

「だから、したって」

「ホントにっ!?」

「嘘つかねえよこんなところで」

「……そんなハッキリ言われてもムカつく」


 もうどうすりゃええねん。

 大体、満更でもなさそうなお前がなに言っても無駄や。



「まぁ、それは本題ちゃうねん」

「なっ、なによ……まだあるの?」

「…………味方になって欲しい、って」

「……味方? 真琴が、そんなこと言ったの……?」


 一転、驚いたように目を見開いてこちらを窺う愛莉。言われたことを、ただ丸々移し返しただけだ。差異は無い。



「さっきの続きになっけどよ。アイツには、味方が居らへんねん。お前と母親が唯一の頼りなんかもしれへんけど、それだけじゃ足りねえんだろ。敵が多過ぎるってのもあるかもしれねえけどな」

「…………そ、そっか。真琴が……っ」


 今度は俯いて思わせぶりにアスファルトを見つめる。そう言えば、こんなことも言っていたな。自分も真琴という人間がいまいち分かっていないし、距離感も掴めていないと。


 だとすれば、アイツからそのような言葉が出て来た理由を咀嚼するまでに、少し時間が掛かるのも仕方ないことだろう。最も、そこに至るまでのスピードは流石に姉らしいところだが。



「……たぶんさ。真琴も私のこと、どっかで信用し切れないところがあるんだと思う。真琴にも思うところはあるだろうけど……何だかんだで、家に一番苦労掛けてるのは私だから……っ」

「愛莉の問題じゃねえよ。アイツ自身が、お前の今の状況含め受け入れ切れてねえっつう、そんだけや。気にすることねえ」

「ううんっ……やっぱり、私にも問題あると思うんだ。真琴がちょっと捻くれた性格になっちゃったのも、私の影響受けてるからだろうし……」


 むしろお前の影響受けたら、もうちょっと可愛げのある素面になるだろ。


 とは、今だけは言えなかった。そんな茶化すような雰囲気出ないことは、数秒前にギリギリ悟ったからだ。


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