261. 耳付いてんのか
フードの下から現れたのは、絶景の美貌の持ち主である姉に劣らぬ、透き通った白い肌。クリクリとした釣り気味の大きな瞳が特徴的な美少年。
確か名前は、
有希と同い年、愛莉の二つ下の弟。
(……だよな?)
改めて当人を前に向き合ってみると、その認識が果たして真実かどうか。
確かに中学のものと思われるジャージパンツと薄手のパーカーという組み合わせは、ボールを蹴るに相応しい男らしさで溢れているが……それにしたって華奢な身体つきだ。
愛莉と同じくサッカー経験者であるという事前情報が無ければ、女の子と勘違いしてもおかしくはない。いや、愛莉が愛莉なだけに、それだけで決めつけるのは早計だが。
ただ、面と向かって「男と女どっち?」と聞くのも憚れる。
ビビっているわけでも無いのだが、愛莉からの話を聞くに俺への評価が著しく低いのはなんとなく知っているし、余計なことを言って彼を怒らせたくなかったというのも、まぁ本当のことであった。
「姉さんに聞いたんです。公園で練習してるって」
「あ、あぁ」
「姉さんなんにしても大袈裟だから、イマイチ信用出来なかったんですけど……本当に上手いんですね。確か、世代別代表でしたっけ」
「一応な、一応……昔の話やけど」
やはり声色を窺うに、変声期を迎えたばかりの中学生というほかない。ハスキーで特徴的な声だ。
そもそもフットサル部の連中。特に愛莉や瑞希、ノノが異常なだけで、普通ここまで俺の動きに着いて来れる人間が早々女性なわけが無いか。
「…………で、俺に用事でもあるんか」
「いえ、別に。姉さんが馬鹿みたいに心酔してる人がどんなものか、見てみたかっただけです。まぁ、実力的には合格ですね。姉さんが自分より下手な男を褒めるわけ無いですし、なんとなく上手いんだろうなとは思ってましたけど」
肩で息をしている割に、どうにも上から目線の長瀬弟である。いや、そりゃ年齢差があるとはいえ、仮にも完敗した相手にその言い草はなんやねん。生意気やな。
取りあえず、俺のことを気に入っていないことはもう明らかだな。
そりゃ見るからにシスコン拗らせてる手前、姉を引っ張り歩く男が気に食わんのは分かるけど。
「確か、サッカー部なんだっけ?」
「それも話してるんですね……そうですよ。西中のサッカー部員です。控えですら無いですけど」
「へぇ。レベル高いんやな」
「全然。むしろ弱い方ですよこの辺りじゃ」
ぶっきらぼうに答える長瀬弟。
が、腑に落ちない。
この実力で、控えにも入れないのか?
そりゃ俺に勝とうなんぞ、自分で言うのもアレだが二万年早い所業だろうけれど。決して下手くそという印象は受けなかった。流石は愛莉の弟。ボールへの執着、諦めの悪さは中々のものである。
不意に生まれた疑念を解決しようと口を開こうとするが、先手を打ったのは長瀬弟の方であった。転がっていたボールを拾い、リフティングを始める。
これも上手い。安定感もあるし、ソツが無い。瑞希と比べるのは酷にしろ、技術には問題無いようにも思えるが。
「あの鉄棒に当てれば良いんですか?」
「えっ……あ、あぁ……」
先ほどまでの個人練習をなぞるように、長瀬弟は鉄棒のバーは狙いシュートを繰り出す。が、そう簡単には当たらない。むしろ一発で当てられたらこちらが凹む。
右足から繰り出される軽やかなインフロントシュート。愛莉の強烈な一撃を見慣れている手前、物足りなさは感じるが……姉にも劣らぬ美しいフォームだ。
しかし、中々鉄棒には当たらない。無論難しいチャレンジであることに違いは無いが、少しバラつきがあるな。
「糸が引けてねえ。それじゃ当たらへんわ」
「……糸?」
「蹴り上げた脚、つま先や。しっかり足首が固定されてねえから、あちこちブレるんだよ。あと、目線切るな。コース見ねえで決めるなん、エンドウヤスヒトにだけ任せとけきゃええんだよ」
「……わ、分かってますっ」
辛辣なアドバイスに応えるよう、不満げに言葉を返す長瀬弟。
普段レクチャーする相手が比奈や琴音なだけあって、久々に同性とボールを蹴れる機会に浮かれているのか。かつての刺々しさが顔を出すようで、なんとも不思議な心地だった。
何だかんだ真摯に耳を貸しているようで、段々とコースが安定してくる。15本目のトライで、ボールは見事、鉄棒に直撃した。
ふわりと跳ね返って来たボールを踵で拾い、そのままトラップ。なんてことはないプレーであったが、長瀬弟は成功の喜びもおざなりに、目を丸くして口を柔らかく開ける。
「うっ、上手い……っ」
「練習すりゃ誰でも出来るで、こんなん」
「だったら良いんですけどねっ……」
大袈裟にため息を付き腰に手を当てる。
どうやら、気分を害してしまったらしい。
この程度で驚いたら、瑞希に会ったら死ぬぞ。
「…………良いですよね、天才って」
「……あ?」
「才能があって、努力しただけ結果が着いて来るんですから。そりゃあ、楽しいですよね。自分とは違います。貴方も、姉さんも、そういう世界の人なんですよ、やっぱり」
自嘲気味の惚けた言葉。
苛付いた。
確かに、俺は天才だ。それは認める。同様に愛莉も、彼女にしか持ちえない天賦の才を持ち合わせている。これも本当のことだ。
だが、そんなことは理由にならない。
俺が一番嫌いな類の言い訳だ。
「最初から出来る奴なんおるか。調子乗んな」
「……その、それはっ……」
思いのほか強くなってしまった語尾と、長瀬弟の年相応な焦った顔付きに、後悔の念が生まれないわけではなかったが。それでも、こればかりは譲れない。続けざまに口を開く。
「お前がどんだけ努力重ねたとか、頑張ったとか、知らへんねん。んなもんどうでもええ。詳しい事情も興味ねえ。けどな、出来てねえモンは出来てねえんだよ。現状な。だったら、それを理由にすんな。納得いくまで努力せえや」
「それは……そうかもしれないですけど……っ」
「俺はともかく、愛莉に追いつきたいんやろ」
「下の名前で呼ぶの、辞めてください」
「えっ、あ、はい」
唐突にシスコン出すな。
調子狂うな。
「……本当に、関係無いと思いますか」
「あ? なにが」
「やっぱり、才能の壁ってあると思うんですよ」
「だから何遍も言わせんな。んなもん……」
「貴方には絶対に分からないですよ。持たざる者の悩みなんて、絶対に。自分には、想像できないです。今の年齢で、世界を舞台に活躍する姿なんて。あり得ない妄想なんですよ」
溢れんばかりの焦燥を滲ませる、長瀬弟の冷たい言葉。
ウザイ。なんなんコイツ。
ホンマに愛莉の弟なんか。嫌いだわ。
お前にだって分からないだろ。
持つ者の苦悩なんて。
そんな言葉はギリギリで飲み込んだが。
愛莉をもっとクールにしたタイプの性格かと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。年齢に違わない、ただの子ども。言ってしまえばクソガキ。
もっとも、コイツからしたら俺の方が、よっぽど子ども染みて見えているのかもしれない、とは思った。結局自分と違う人間はどうしたって受け入れられないもので。それは俺も良く分かっている。
本当なら、コイツの抱えている根の深さをしっかり見てやるべきなんだろう。仮にも先輩として。
けれど単純な話。
そこまで冷静でもいられない自分。
「なら、今の下手くそなまま居ればええわ。つまんなそうにボール蹴りやがって、辞めちまえサッカーなんて」
「なっ……! 何で貴方にそこまで……ッ!」
「目的が見えねえんだよ。上手くなりたいんか? 愛莉に追いつきてえのか? それとも俺に一発噛ましてやりてえのか? なんでもええけど、今のお前じゃ何一つ叶わねえよ」
「……貴方に、なにが分かるんですか……」
「耳付いてんのか。知らねえっつってんだよ」
みるみるうちに顔を真っ赤に染め、拳に力の入る長瀬弟。
よっぽど堪えたらしいが、別に、反論されてもな。今のお前を見た限り、それしか言えねえよ。俺には。
結構ガキっぽいというか、大人げないことを言っている自覚はある。けれど、こればかりは年齢差や経験の問題では無いのだ。俺自身のプライド、ポリシーに関わる重要なこと。
「……帰ります。何か得られると思って来てみましたけど、時間の無駄でした」
「奇遇やな。俺も同じこと思っとった」
「……こんな人のどこが良いんだか……ッ」
さながら捨て台詞。やるせない面持ちを一向に隠さず、長瀬弟は逃げるように公園から走り去っていく。そんな彼の後ろ姿を、ボンヤリと眺めていた。
受け入れ難い叱責ではあるだろう。
でも、これくらい言ってやらないと。
仮にも愛莉が「自分より才能がある」とまで言ってのけたプレーヤーなのだから。この程度で燻って貰われても困る。
が、それにしても。
やっぱり、ちょっとだけ残念な気はしている。
「……………才能ねぇ」
そんなものが本当にあったなら、俺はきっとこの街にやって来ることさえ無かった。けれど、それはそれで悪くない人生だと思っている。むしろ、あの頃よりずっとマシなくらい。
それに気付けたのは、ほんの最近のことだ。
なら、お前にも気付ける筈なんだけどな。
これ以上無い手本が、すぐ近くにいるってのに。
冬の訪れを感じさせる、肌寒い通り風。
冷え切っていたのは、身体のみに留まらない。
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