254. 尊い


 お目当ての品を一通り購入した比奈。どこか腰を下ろせる場所はないかと探した結果、ハンドボール部が出店している喫茶店擬きに落ち着くこととなった。


 これといって派手な服装でもなく真っ当なエプロンに身を包んだ部員たちが、忙しなく作業を進めている。

 が、装飾の施された教室内の様子は比較的穏やかなもので、本物さながらのゆったりとした時間が流れていた。


 運ばれて来た一杯は、実際の店舗にも劣らぬまぁまぁ高そうな陶器に彩られ、どことない旨味と多幸感を演出するに事足りる。



「…………おもろいんか、それ」

「待って。いま読んでるから」

「あ、はい」


 カップにも、ついでに注文した簡素なドーナツにも手も付けず、購入したばかりの「学園恋物語vol.18」を読み耽る比奈。手元の動きから見るに、俺がモデルになった作品の部分ばっかり繰り返し読んでいる。


 仮にも創作なわけだから、別に俺が恥ずかしがる必要も理由も無い筈なのだが。どことなく落ち着かないのは。

 間違いなく目の前で恍惚の面持ちを浮かべる彼女が、作品の登場人物と俺を重ね合わせていることが、尋ねるまでもなく分かってしまったからだ。



 ……おかしいなぁ。実感が沸かな過ぎる。


 数週間、身に覚えのないことばかり続いている。

 こういうの、縁が無いものとばかり思っていた。


 以前、有希にも似たようなことを聞かれたが……現役の頃でさえ、女性人気がどうとか、ほとんど意識したことさえ無かったのだ。そもそも人間から好かれないのに。


 プレーに惚れ込んだとかならまだしも、顔面オンリーでどうこう言われる筋合いが無さ過ぎる。

 いや、まぁ、自分のことを不細工とは思わんけど、別に整っているわけでも無いのは自覚しているし。



 それどころか、可視出来ない人気なんて足を引っ張るだけのものだと思っているし、それが事実であることをよく知っている。


 見せ掛けの人気に託けて、実力が伴わない人間がどのような仕打ちを受けるのか。グッズの売れ行きとは反対に、出場機会に恵まれず退団していったクラブの先輩を思い出した。


 そんな現実を間近で見て来たからこそ、自分自身を律することが出来ていたのかもしれないし、或いは免罪符にしてきたのかもしれない。


 今となっちゃ、どちらも大切な要素であると分かっているけれど。


 にしたってこれはどうなんだろう。

 こんなところで祭り上げられても嬉しくない。


 それよりも大事なものが出来たから、なのか。

 一応、そういうことにしておくか。精神衛生上。



「うん。イイっ。尊い」

「ジックリ時間掛けて読んだ感想がそれかよ」


 文字の羅列に頭を焼かれたのか、語彙力が一気に低下する比奈さんであった。文芸少女の見た目を殴り捨ててから、ドンドン方向性がブレている。



「陽翔くんも読んでみる?」

「いや、ええわ」

「じゃあ、内容だけ話してあげるね」

「聞きたくないって分からん?」

「だーめ。これくらい付き合って」


 要らん要らん要らん要らん。


「主人公の女の子は学級委員長で、ラクロス部のキャプテンなんだけど、いっつも屋上で授業をサボってる、不良の男の子……陽翔くんのモデルだね。この子のことがずっと気になってるの。でも、自分はクラスを纏める側で、その人は輪を乱す側。むしろ、普段は街中で喧嘩とかしてる、本物の不良さんなの。みんなから関わっちゃダメだよって言われるんだけど、それでもその人のことが気になってる」

「ほっとけよそんな奴」

「夏休み前の陽翔くんにそのまま聞かせたいね~」

「終いにゃ怒るぞ貴様」


 まんま俺と比奈の関係性じゃねえか。

 気になってるっていう部分除いたら。



「ある日、主人公の女の子は意を決して、屋上に行くの。それで、どうして授業に出ないのかって聞くんだけど……そしたら、その男の子、なんて答えたと思う?」

「面倒やから」

「違うっ! それじゃお話し広がらないでしょっ!」


 そう言われても、知らんモノは知らん。

 少なくとも俺が基準ならそれが正解。



「実はなんと、この主人公と男の子は、幼馴染なのでした! 昔は泣き虫だった主人公の手を引っ張る立場だったけど、すっかり変わってしまった関係……そんな彼女の迷惑にはなれない! だから毎日、屋上から主人公がラクロス部で頑張る姿を、コッソリ見ていたのです!」

「面倒な頭しとんな」

「もうっ、腰を折らないの!」

「はいはい」

「それでねっ。主人公の女の子は、あんなに優しい心を持ってるんだから、きっと今からでも昔の自分を取り戻せるよって、元気づけるの。それで、その人もちょっとずつクラスに馴染んで行って……最後は屋上でお互いに告白して、ハッピーエンド!」


 すっごいザックリ纏められているけど……まぁ、なんだ。割とありがちな感じの内容だな。

 これがプロの連載だったら、もうちょっと山あり谷ありな展開にもなりそうだが。文化祭で出すレベルならこんなものか。


 が、比奈はお気に召したようで。こういうThe・少女漫画みたいな展開、結構好きなんだろうな。実質モデルだから尚更。俺は納得していない。

 


「この14ページのやり取りがね、すっごい良いんだよ。「お前の幸せに、俺の姿が無い。それが一番理想的で、美しい未来だ」っていう男の子の台詞に「そんな未来が訪れるなら、私はきっと幸せじゃないと思うんだ」って主人公が返すの! もう、どっちもキザでカッコよくて、甘酸っぱくて……っ!」


 ……楽しそうだな。


 フットサル部でボール蹴ってる比奈も中々に良い顔してると思うけど、やっぱりこういう顔の方が自然で可愛らしくて。生命力に満ちているというか、そんな気がする。


 これだけ幸せな顔で語れる趣味を持っているのに、それを皆の前では明け透けに出来ないというのも、なんだかな。少なくとも、官能小説集めだけは秘密にしておくべきだろうけど。



「どうっ? 読んでみたくないっ?」

「…………そのうちな」

「あっ。それ、絶対に読まないやつ」

「んなことねえって……でも、そんなんでいいのかよ。あれやろ。エロシーン無いと満足出来ないんちゃうんか」

「えっ、えろっ……そ、それとこれは別の話っ!」


 一転、慌てた様子でしどろもどろにになる比奈。


 やはり分からない。普段からそういった類に親しんでいるのであれば、この程度の揺さぶり、なんでもないだろうに。愛莉みたいに手が出て来ないだけ十分か。



「…………あ、あれだよっ? 別に、その……えっちい小説だけが好きってわけじゃないんだから……その、なんていうか……恋することに精一杯で、その過程が魅力的っていうか、最終的にはそーゆーことになるだけで、あくまで結果論というか……っ」

「言い訳になってねえよ」

「とにかく、普通の小説も好きなのっ……!」


 興奮の末、妙に饒舌な彼女だったが、周囲の視線に気付いたのか、少しずつ語尾を弱めていく。


 理性的なのは結構だが、その一端でも俺の前で見せて欲しいところである。



 そうしなくてもいい、と言ったのは俺だけど。


 難しいところだ。彼女の新鮮な姿を見ることが出来るのは幸せかもしれないけれど、その分確実にこちらも消耗している。


 恋愛小説で収まっているだけまだマシなのか。そういうことにしておこう。



「……やっぱり陽翔くんは、分からない?」

「なにが」

「そのっ……恋愛の良さっていうか……」

「経験が無いことにはな」

「…………そっか。陽翔くんは、なんだね」


 どこか諦めにも似た口ぶりで、寂しそうに微笑む。


 その一言に込められた意味合いを全て察するには、良くも悪くも事足りない。無知なまではいられないが、知ることで気付いてしまう現実もある。


 怖がっているわけでは無い。事実、どのような未来が待っているのか、俺自身も見てみたいし、そうなることを期待しているのも。隠しはしない。


 ただ、どこかで「このまま」を願っているのも。

 どうしたって真実なのだ。



「……難しく考え過ぎなのかもしれないよ?」

「…………そんなもんか」

「わたしだって、これが恋愛なんだなって、よく分からないけどね。でも、そんなものじゃないかなって。特別でも、おかしなものでもないよ。ドキドキしたり、ワクワクしたり、安心したり……全部ひっくるめて、恋愛なんじゃないかな」


 カップに口を付け冷め始めたコーヒーを啜る。


 あまりにシンプルな答え合わせだと、言い切るにも烏滸がましい。彼女の考える恋愛を否定出来るほど、持ち合わせは無い。



「例えば、わたしはいま、凄くドキドキしてるんだけど」


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