233. きゃー、こわーい
教室での日常が、少しずつ変わり始めていた。
まず何よりも大きな変化だったのは、朝、教室に顔を出しても愛莉と比奈以外からとことん無視を決め込まれていた俺が、男子のクラスメイトから声を掛けられるようになったことだ。
いきなり仲の良い友人面されてもそれはそれで困るのだが、開口一番「ようエロ瀬」と声を掛けられ。
それに適当に返すという一連の流れだけでも、今までとは全く違う世界に飛び込んでしまったようで。
結局訂正し切れなかった不名誉なあだ名に、思うところが無いわけでないが。分かりやすい話、ちょっとばかり嬉しかったのだ。人生初の男から貰ったあだ名が。
瑞希が「ハル」と呼ぶそれとはまた少し違う。
むず痒くも心地よい、謎の高揚感。
「エロ瀬ー! そこの養生取ってくれー!」
「だからっ、デケえ声で呼ぶなッ。殺すぞ!」
文化祭当日を一週間後に控え、どのクラスも仕上げの準備で忙しそうにしていた。2年B組も例外では無く、教室の飾りつけやプラカードの製作に追われ、放課後もほとんどの生徒が居残りをしている。
結局、B組男子の間ではエロ瀬というあだ名がすっかり定着してしまった。それに伴って女子生徒から妙に距離を置かれてるようになったのも、もはや致し方ないことである。
具体的に俺がどうエロいのか説明するわけにもいかず……というか、そもそもの前提からして間違ってるんだけど。こんな風に教室のど真ん中で叫ばれるわけだから、どうしようもない現実であった。
「陽翔くんっ、そっちの調子どう?」
「ん。だいたい飾り付け終わった」
「おっけー。ありがと、エロ瀬くんっ」
「おい、辞めろって比奈まで」
「えー? 良いあだ名だと思うけどなあ」
「シバき倒すぞオラ」
「きゃー、こわーい♪」
逃げるように女子のグループへと合流する比奈。こういうときだけ悪ノリしやがって。可愛い奴め。
比奈を囲むパリピ女子たちが、怖かったねーなんて撫で声で嘯きながら、こちらを眺めおかしそうに笑っている。男女問わず、すっかり連中の玩具扱いだ。
しかし、春先のぼっちぶりが嘘のように会話量が増えている。とは言っても、俺から話を振ることは滅多に無いのだが。
これが良い傾向なのかは、正直分からない。
けれど、嫌いじゃない。こんな空間も。
「長瀬さーん! ボタン取れちゃったーっ!」
「またぁ!? もっと大事に扱いなさいよっ!」
「愛莉のおっぱいが大きすぎるからだよー!」
「んなわけないでしょッッ!!」
若干キレ気味で衣装作りグループの元へと赴く愛莉。プンスカ音を立てて不機嫌さを演出してはいるものの、満更でもない様子の彼女であった。
元々クラス内である程度の交友があった比奈はともかく、B組随一の異分子であった俺と愛莉が、ここまで皆に受け入れられ始めている。まさか、たかが文化祭でこうも変わってしまうとは。
「いやぁ、ホント見違えたよな」
「……あん。なんやオミ」
「だってさ、春先こんな仲良くなかったぜみんな。男子は男子で、女子は女子で固まってたしよ。廣瀬みたいに授業出ない奴もちょこちょこ居たし。まぁこんなもんかぁって思ってたんだけどさ」
ぎこちない手付きでペーパーを広げ花を作っているオミが近付いてきて、そんなことを言う。
「マジで、イベントでみんな仲良くなるって本当なんだな。俺もぶっちゃけ文化祭とかどうでも良かったけど……こういうのも結構楽しいしよ」
「まぁな」
「ただ、俺もマネキンは納得いかねえ」
「それは諦めろ。俺にはどうも出来ん」
写真を撮る相手役として俺と愛莉が抜擢されていたのは周知の通りだが、先日、それについて物言いがあった。
文化祭は土日の二日間行われるのだが、その両日ともクラスの仕事に引っ張り出されるのは、俺と愛莉が可哀そうということで。男子も俺以外のマネキン役が必要だという話になり。
壮絶なじゃんけん大会の末、オミが日曜日のマネキン担当になった。クラスの女子は結構喜んでいたな。何だかんだサッカー部として目立つ存在で、清涼感のある奴だ。人気も高いらしい。
「百歩譲って仕事が増えたのは良いんだけどよ。日曜日ってのがなぁ……後夜祭に間に合うか分かんねえのが痛いわ」
「…………後夜祭?」
「知らねえの? あ、そっか。廣瀬って今年から転入したんだっけ。ほら、全部終わった後に生徒だけで出し物とか、色々やるんだよ。前の学校に無かったのかそういうの?」
「そういうのサボって来たし」
「あー……確かに柄じゃねえよなぁ」
本番の後にも何やら出し物があるらしい。
学生ノリの頂点みたいなイベントだな。
「そんなおもろいモンでもあんの」
「いや、後夜祭はあくまでついでな。その裏で、毎年馬鹿みたいにカップルが出来るんだよ。つまり、後夜祭に顔出さない奴は彼女が出来たっつうレッテルを張られるわけ」
「……だから間に合わないとってわけか」
「いやぁ、俺も彼女欲しいっちゃ欲しいんだけどさ。ぶっちゃけサッカー部で手一杯だし、特に気になってる子も居ねえし。それに出来たら出来たで、部でめっちゃ茶化されるんだよ」
なるほど。彼女が欲しい欲より部内での平穏を優先したというわけか。まぁ、そういう話題は男女問わず周りも煩いからな。
「…………で、廣瀬はどうなんだよ?」
「あ。なにが」
「惚けんなって。つうか、もうフットサル部の誰かとデキてんだろ? そもそも女子が気を回してくれたのだって、長瀬ちゃんと倉畑ちゃんのためなんだからさ」
……言っている意味が良く分からないのだけれど。俺がその後夜祭含めたアレコレと何か関係あるのか?
「誰と付き合ってんだって聞いてんだよっ」
顔をグッと寄せ、周囲に感づかれないよう小声で尋ねるオミ。言うてコイツも顔が必死なんだよな。手一杯とかやっぱ嘘だろ。だいたい分かるわ。
「…………別に、なんも無いけど」
「一人くらい気になってる子いるんだろ?」
そう言われても。
彼女が欲しいとか考えたこと無いし。
もう何度目かっていう議題だけど、フットサル部の連中は恋愛対象というより、大前提としてチームというか、仲間意識が強すぎる。一人に熱を入れるという姿が、一向に想像出来ないのだ。
勿論、ノノ含め5人それぞれがオレへどのような感情を抱いているか、全く予想できないわけでは無いのだが…………文化祭というイベントの効力を借りるのも、また少し違う気がする。
だいたい、有希の告白だって結論を先延ばしにして、なぁなぁな状態を保っているのだ。そんな俺が、今の状況で誰か一人と付き合うなんて……。
「…………まぁ、検討しとくわ」
「出来たら言えよ。余った子俺が狙うから」
「出来たら面倒なんじゃなかったのかよ」
「馬鹿言え。バレなきゃいいんだよ」
「あっそ……」
アイツらの関係性を考慮するに、誰か一人が抜け出たところで「余る」なんてことはまず無いと思うけど。まぁそんなことまでオミに伝える必要は無いか。
でも、実際どうなんだろう。
彼女たちへ女性的な魅力を感じていないと言えば、それはどうしたって嘘になる。皆、それぞれ違った魅力があって、俺にとって必要な人間であることは、確かなことだ。
だが、それを恋愛という言葉で括られると。
どうにも違和感が残る。
アイツらが俺のことを……イメージ出来ねえ。有希はまだしも、アイツらはちょっと、違うよなぁ。
「はーい、今日はここまでにしまーす。土日挟むから、みんなしっかり休んで来てねー。あと一週間、頑張りましょーっ」
比奈の温度を皮切りに、気の抜けた返事が教室へ響き渡る。もう陽も暮れ始めているし、作業もここまでが限界だろう。皆手を離して帰りの支度を始める。
鞄を肩に引っ提げ、挨拶もそこそこに教室を後にする。すると、背後から俺の名を妙なあだ名でなく、いつも通りに呼ぶ声が聞こえたもので。
「陽翔くんっ。一緒に帰ろっ」
「ん、おぉ。愛莉は待たなくてええんか?」
「……愛莉ちゃんは、居ない方がいいかも?」
居ない方が良い?
珍しいな、比奈がそんなことを言うなんて。
「……秘密の話もあるから。ねっ?」
夕陽交じりに赤く染まった頬。
この顔を、前にも二度ほど見たことがある。
一度目は、夏合宿の夜に交わした短い会話。
そして二度目は、二人で出掛けたあの日のこと。
オミとの一連の会話が、何故か脳裏を過ぎった。
その違和感の正体に気付くまで、まだ時間が掛かる。或いは、気付かないようにしていたのかもしれないけれど、やはり気付かないようにしていた。
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