234. 色付くには早い
「いよいよ来週だね」
「な」
「女の子とのトークにその返答は如何ですかな?」
「比奈やし、言うて」
「ふーんだ。そんなこと言って、嫌い陽翔くん」
「んだよ。いじけても可愛いだけやで」
「知らないもーん」
最寄り駅のすぐ傍にある大型スーパー。その三階に入っている百均ショップに用事があると言い、比奈の後を着いて行く。
飾り付け用のティッシュフラワーと養生テープが無くなりそうだから、追加で買いたいのだそうだ。いつもは買い出し担当が居るのだけれど、今日ばかりは彼女がその役を買って出たようで。
クラスで見せる笑顔と、俺一人を前にして綻ばせるえくぼに、それほどの違いがあるとはぱっと見思えないが。優等生を気取る彼女にしては軽い口振りも、きっと俺しか知らない姿。
彼女がすっかりB組の中心人物になってしまった今だからこそ、妙に気恥ずかしさのようなものも優先されてしまい、どうにも口が減らないこの頃であった。
「でも本当に良かった。何があったかそんなに詳しくないけど、クラスの男子とも仲良くなれたんだね。葛西くんたちと話してるとこ見て安心しちゃった」
「なんや安心って、誰目線やねん」
「んふふ、じゃあお母さんかな?」
ピンクの可愛らしいカーディガンに包まれ、少し照れたように笑う比奈を見て、なんとも口にし難い複雑な気分になった。それは決して、彼女の献身ぶりを否定するような、卑劣な感情ではなく。
「……親、ね」
「そう言えば陽翔くん、一人暮らしなんだもんね。偶には実家に帰りたいとか、思ったこと無いの?」
「……別に、帰ってもしゃあないし」
「…………そっか」
彼女は知らない。俺がチームメイトやフロントに限らず、両親さえも揉めた結果、この街にやって来たことを。
だから、その言葉に悪意の一つも混ざっていないことは勿論分かっていたのだけれど。意図せず乱雑に答えを返してしまう自分がいて、少しばかり戸惑う様子の比奈に、一抹の申し訳なさを覚える。
「ごめんね……ちょっと軽率だったかな」
「いやっ……気にせんわ、んなこと。謝んな」
「……確かに陽翔くん、家族の話とかしないよね」
「言うて比奈の話もそこまで聞かんけどな」
「別に面白い話も無いし、普通の家族だから」
そこまで言うのなら、むしろ聞いてみたいものだけどな。普通の家族なんて、一番縁が遠い。
「姉弟とかおらんの」
「いるよー。20歳上のお兄ちゃん」
「…………え、ホンマに?」
「甲太郎くんっていうの。可愛いんだよ」
「……亀?」
「あれ、よく分かったね」
「勘が働いたもんで……」
ビックリして損した。良かった、30代の兄を可愛いとか宣う比奈が現存してなくて。比奈も一人っ子なんだな。姉弟がいるのってもしかして愛莉だけなのか。
「うん、これくらいで大丈夫かな」
「言うて一週間やろ、十分足りるんちゃう」
「そうだねえ」
必要な備品を持ってレジ列に並ぶ比奈を待つこと数分。買い物袋を引っ提げ戻って来た彼女とエスカレーターを降り、駅へと向かう。
そろそろもう1枚羽織らないと、いい加減寒い。建物の隙間から突き抜ける風が、二の腕を優しくない強さで引っ叩いて、肩を細やかに震わせた。もう10月になるのか。早いもんだな。
赤信号の移ろいを待ち尽くす僅かな静寂。
先に均衡を破ったのは、俺の方だった。
「……で、秘密の話ってなんや」
「えー? ここまで来てわたしに言わせるの?」
「じゃ、分かってもぜってえ言わん」
男らしくないなぁ、とポツリと呟く。俺にそんなもの求めるな、と口を挟むまでもなく。
「日曜日、暇になっちゃったでしょ陽翔くん」
「あぁ、オミが代わってくれるからな」
「わたしと出店とか回らない?」
「……二人で、ってことか」
「うーん……まぁ、なんて言うのかな。たぶん、みんな同じこと言い出すと思うから、保険みたいなものなんだけどね。先に話しておけば、時間の融通も利くでしょ?」
コンクリートの地面をジッと見つめている。目線を合わせる気も無いようで、その真意を掴み取るに酷く困った。
意外と言えば意外だが、想定外でもない。
どうせフットサル部全員で遊び回るものだと勝手に思い込んでいた。若しくは、そうなると最初から決め込んでいたものだから、どうしても理由を聞かないわけにはいかなくて。
それがいの一番に、比奈だというのだから。
尚更、折り合いが必要なのだ。
「……全員じゃ、駄目なんだな」
「んー。そんなことないけど……単純に、わたしのエゴだよ? 陽翔くんと二人で楽しむ時間も欲しいなぁって、それだけ。土曜日だって暇な時間はあるし、みんなと回るのはそっちでも良いしね」
「…………そか」
「デートの申し込みってことで、いいよ」
デート、か。
夏休みに四人それぞれと出掛けたときは、各々「これってもしかして」なんて思っていただろうし、俺自身もそれに近しいものであると自覚はしていたが。こうして口に出されると。
「……それとも、わたしと二人は、イヤ?」
「んなわけねえだろ」
「良かった」
安心したようにハーっと深く息を吐く。色付くには早いが、冷ややかな風が頬を通り抜けた。
「まぁ、なんつうか、あれや。何だかんだ文化祭に向けて一番頑張っとったの比奈やし、それくらいの我が儘ならいくらでもって感じ」
「えぇー。我が儘なんだ、これって」
「俺の貴重な時間を奪うんやぞ、丁重に扱え」
「もぉー、そんなことばっかり言うんだから」
でも、それもそうかもね。
なんて呟いて、穏やかに笑う。
「陽翔くんだって一緒だよ? わたしの、たった一度しかない高校二年生の文化祭を、陽翔くんに任せるんだから。その辺、ちゃんと覚悟しててね」
「重いな、そう考えると」
「……わたしの我が儘、こんなもんじゃないよ」
「…………比奈?」
「夏休みのこととか、ノノちゃんのこともあって、色々考えてみたんだけどね。やっぱり、わたしって結構嫌な女なんだよ。だから、まぁ、うん。自分に思うところもあるんだけど。でも、もう止まらない。止められない、って言った方が、そうかもねっ」
青に変わった信号を、軽快なステップで進む。
スタートを切ったのは並走する車だけではない。
まるで、そう言いたげに。
「ちょっとだけ、覚悟しててね」
「…………おぉ。分かった」
「そしたら、わたしも勇気、出せると思うから」
「……ん」
「ここまでで良いよ。家、あっちなんでしょ?」
また来週、学校でね。
そんな一言を残して、彼女は学生鞄を揺らし横断歩道を駆け抜けていく。
軽やかな後姿をジッと見つめながら、暫くの間、人の迷惑も顧みず、その場に立ち尽くしていた俺に、彼女が気付くことは無い。
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