230. その所以


「おいおい……一分足らずで瞬殺かよ」

「俺らあんな化け物と試合やってたんだな……」

「めちゃくちゃイキってたよな、駿介シュンスケ

「うっせえな……ケンも馬鹿にしてただろ?」

「俺だって知らなかったんだよ。途中まで」


 サッカー部キャプテン林賢太郎ハヤシケンタロウ、エースの菊池駿介キクチシュンスケが、教室の窓ガラスを隔てグラウンドの様子を観戦している。半開きの口から、諦めにも似た愚痴が次々に飛び交った。


 単位制高校である山嵜において、この時期の三年生は受験対策を除き、ほとんどやることが無い。

 既に推薦での大学合格が決まっており、必要な授業も取り終えた同じクラスの二人は、まだ暫く先の定期試験に向けて勉強をする気にもならず。


 今日から始まるという二年生たちのサッカーの授業を、文化祭の準備の手伝いもそこそこにボンヤリと眺めていた。



「俺、谷口に一対一で勝つ自信ねえわ」

「お前も別にドリブラーってわけじゃねえだろ」

「そうだけどさぁ……」

「……でも、マジで別格だわ。全然衰えてねえ」


 コート中央でボールを受けた陽翔が、二人掛かりのディフェンスを軽々と交わし、右サイドへ展開。守備に回ったその二人も、サッカー部の二年生、Aチームの主力だ。


 まるで相手にならないと無言で訴えんばかりの陽翔のプレーぶりに、ビブス組は俄かに活気付く。サッカー部が大半を占めた相手チームが、彼一人に子ども扱いされていた。



「つうかさぁ。俺、こないだ気付いたんだけど」

「おう」

「二年前のワールドユースって、春にミーティングで映像見たよな、俺ら。あれってケンが用意したんだろ? あり得ねえよな、同世代でもこんだけ活躍してる奴がいるって参考例で見せたのが、ウチの学校にいんだからよ」

「それもサッカー部じゃないっていうな」

「マジで納得いかねえッつうか、ムカつくわ。俺アイツ嫌いだけど、一緒にプレーしてえもん」


 なんとも複雑な笑みを浮かべ頭をボリボリと掻く菊池を横目に、サッカー部キャプテン林はグラウンドで躍動する陽翔を一心に捉え、思いを馳せる。



 一つ下の世代に、とんでもない天才がいる。

 彼がそんな噂を聞いたのは、中学に上がった頃。


 中一になったばかりだというのに、既にジュニアユースの一軍に召集されていて、主力級の活躍を見せている。何度かユースの練習にも参加しているとも聞いた。


 技術だけならまだしも、体格面での差が激しい中高生のプレー事情において、あまりにも異常な経歴だ。どれだけ上手くても、普通ならフィジカルで潰されてしまう。



 そして、林が中学二年の頃。その天才が籍を置いている、セレゾン大阪のジュニアユースと全国大会で対戦した。


 林自身も、育成年代の名門として知られる横浜ブランコスに所属しており、自身の実力にはそれなりに自信があった。

 彼らのチームも関東レベルでは有数の強豪であったし、関西で敵無しの黄金世代が相手とは言えども、試合にならないことは無いだろうと。


 事実、前半までは彼らが勝っていたのだ。なんだ、俺たちも出来るじゃないか。そう思った。



 だが後半。

 曰くつきの天才が登場し、事態は一変する。


 後から聞いた話では、その天才は翌週から世代別代表に召集され海外遠征へ赴く予定であったため、コンディション調整のため一時的に元の年代別チームに顔を出していたのだという。



(手が届かないって、ああいうことなんだろうな)


 それは比喩表現でも何でもない。林は後半の30分間。陽翔からボールを奪うどころか、その身体に一度たりとも触れることが出来なかったのだ。


 最終的に僅か一点差のリードを保っていた試合は、彼一人の登場により完全にひっくり返されるどころか、圧倒的な差を付けられ終焉を迎えた。


 

「で、あんとき何点差だったんだっけ?」

「2-8だよ。何度も言わせんな。黒歴史なんだよ」

「しかも一人で5点取ったんだろ? イカレてるわ」


 何故、天才が天才たるか。

 彼はその所以を身をもって知ることとなった。


 爆発的なスピードや、パワーを持っているわけではない。育成年代なら、フィジカルの差を理由に圧倒的な差を付けられるというのはよくある話で。それならまだ納得も出来るのだが。


 単純に、技術で追いつけない。


 どれだけ力でボールを奪おうとしても、ファールにすらならない。既にボールは無く、彼自身もそこに留まっていないのだから。


 廣瀬陽翔というプレーヤーが有り体に「速い」と評されるのは、脚力についてではない。プレーのスピードと、思考速度の速さを指しているものである。


 あらかじめ決められていたかのようなゴールへの道筋を、後からなぞるだけ。そして、その道のりは彼自身にしか見えていない。

 

 一つ道を塞いだとしても、抗力にすらならない。残されたコースを嘲笑いながら易々と通過していく。



「おっ、チャンスだ」


 菊池の呟きに我へ帰った林。

 再びグラウンドを注視する。


 左サイドでボールを受けた茂木がドリブルを仕掛ける。一度は引っ掛かってしまうも、セカンドボールを陽翔が回収する。正確には、ダイレクトでロングパスを送り込んだ。


 走り込んでいた葛西へパスが通る。あまりに完璧なタイミングでの、裏への抜け出しだ。

 サッカー部のディフェンスリーダーであるはずの谷口が、全く反応できず棒立ちになっていた。


 キーパーとの一対一を制し、ゴールネットが揺れる。ビブス組、サッカー部の上手い奴らじゃない勢の、まさかの追加点だ。



「いや、意味分っかんねえ」

「谷口が反応も出来ないってなんだよ……」

「つうか、葛西も良く反応したな」


 同じFW畑の葛西を褒める菊池であったが、内心だいぶ焦っていた。もし、自分があの試合に出ていたら、今のパスを滞りなく受けることが出来ただろうか。


 何せ、ゴール前の状況を全く確認していないにも拘わらず、ノータイムでドンピシャのスルーパスを飛ばして来たのだから。


 よほど丹念に抜け出しの準備をしていないと、まず間に合わない代物である。



「やっぱ欲しいわウチに。マジムカつくけど」

「それは同意見だけど、ちょっとギャンブルだな。廣瀬仕様のチームに一から作り替えなきゃいけねえし。何より、監督が我慢できねえだろ」

「あーいうファンタジスタ大っ嫌いだからなぁ、ハンチョウ。ケンのコンバートも反対してただろ。自分が全部作ったチームじゃねえと満足出来ねえ性質なんだよ」

「選手の俺らが文句言えた立場じゃねえけどな」


 だが、二人の思いは共通である。


 もし、あの天才と同じピッチに立てたら。

 サッカー部の一員として才能を発揮したら。


 自分たちは、いったいどこまで勝ち進むことが出来るのだろうか。そして、自らもどれほど輝くことが出来るのか。間近に迫った高校選手権の予選が、どれほど楽になるか。


 もしかしたら、全国くらい優勝できるのでは。

 そんな風に思わされるほど、陽翔の存在は異質であった。



「あっ、また入った」

「今度は茂木か。アピールしてんな」

「ハンチョウそろそろキレるんじゃね?」


 まるで思い通りに事が運ばない、顧問のメンタル面を大いに心配しながら、二人はグラウンドの様子をもう暫く眺めていたのであった。



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