229. 可哀そうに
アップの時間もそこそこに試合が始まろうとしている。一応こちらビブス組も、形だけでもフォーメーションを作ることにした。オーソドックスな4-5-1のシステム。とは言いつつも、始まったら自由に動くのだろうが。
「……で、廣瀬がトップ下なのか?」
「アァ? 文句あんの?」
「……えっ、廣瀬って普段からそんなオラオラ系なん? なんかイメージ違くね?」
「知るかんなもん」
あからさまに困惑中のクラスメイト(サッカー部)である。
そりゃそうだ。そもそも俺、クラスでほとんど発言しないんだから。それこそ愛莉や比奈と偶に喋るくらいで、日常生活における発声の9割はフットサル部に注ぎ込まれている。
「お前、FW志望なんやろ。じゃあワントップな」
「わ、分かった……あとオレ、葛西な。
「カワイな。覚えた覚えた」
「……オレ怒ってもいいよな?」
「えー、俺に聞くん?」
半笑いのカワイに似たような反応を返す、同じくサッカー部だという知らん奴。
コイツは左サイドが主戦場らしい。丁度トライアングルだな。都合は良い。
「あ、オレは茂木哲哉(モギテツヤ)な。よろしくハーレム野郎」
「で、谷口のポジションってどこや。教えろ」
「えーメッチャ無視されてるー」
ハーレム野郎呼ばわりを撤回しない限り、貴様とは会話しない。いま決めた。意地でもそう決めたんだ。
「谷口は、センターバックだよ。つうか、廣瀬もちょっとは知ってんじゃねえか? アイツ、関東トレセンの常連だったらしいし」
「普通にキャプテンと菊池さんより逸材だよな」
葛西が答える。
キャプテンの林は、プロからも注目されている逸材だと、その菊池が話していたな。その二人の上を行くということは、中々の好選手なのだろう。
しかし……タニグチ、ねぇ。
ぶっちゃけ、聞いたことねえな。
「フルネームは?」
「聞いてどうすんだよそれ」
「良いから。言うてみいや」
「
「はい、おっけ。要らんわ、対策とか」
「……なんで名前聞いただけでそうなるわけ?」
顔を顰める葛西、茂木の両名。
申し訳ないけど。
本当に、それで十分なのだ。
俺が、名前を知らない。
それはもう、根拠である。
「一応、Aチームでレギュラーの牧野って奴も……」
「あー、良い、良い。要らん要らん」
「……流石にそれは、調子乗り過ぎじゃね?」
茂木の提案をあっさり退けたことで、痺れを切らしたのか。葛西は分かりやすく怒りのゲージを溜め込んで強い口振りで当たって来る。
悪い。別にお前らと仲良くする気は無いんだ。ただ、なんとなくハンチョウが気に入らないから。あと愛莉たちとやれると思ってたのに出来ないから。
つまるところ憂さ晴らしなんだ。分かれ。
「逆に聞きたいんやけど。なんでお前ら、こうも俺の名前知らんかね。こっち来て素性バレたん、峯岸しかおらへんぞ。ちっとは勉強しいや」
「……はっ? なに、お前、有名なの?」
「まぁ、ええけどな。今や落ちぶれた一学生よ」
「なに一人で語ってるんコイツ……」
なんだ茂木、その可哀そうな人を見る目は。黙ってろ。ボールに触れてる間は厨二抜けねえんだよ。
「よし、そろそろ試合始めるぞっ!」
ハンチョウの一声で、総勢ピッタリ22人。
グラウンドに散らばり、即席の紅白戦が始まる。
たかが体育の授業で、なにやってんだかな。
俺も何だかんだでヤル気になってるし。
(……そういや、久々やな)
普通に、サッカーするの。
思えばこっちに来てから、意識的も、無意識のうちにも、ずっと避けて来た筈だ。だからこそ「フットサルなら」というあやふやな気持ちから始まって、ああなったわけだけれども。
しかし今。たかが「ウザいからブチのめしてやろう」なんて単純も良いところな理由で。実に一年振りとなるプレーを始めようとしている。どうやら、気付かぬ間にアレルギーも消え失せたか。
いや、どうだろう。あの頃のようには、な。自信満々に言っといて、全然ダメだったらどうしようとか。ちょっとは悪い未来予測も考慮した方が良いに決まっている。
間違っても、俺はフットサル部の廣瀬陽翔。
元世代別代表の10番。
セレゾン大阪の最高傑作。
世界が称賛する、未来のバロンドーラ―。
そんな奴は、もうどこにも居ないのである。
ただただ等身大の、冴えない男子高校生。
しかし、どうしてだろう。
あの頃よりも、ずっと身体がキレている気がする。確かに夏の間、それなりにトレーニングは積んで来たが。
不思議なことに、負ける気がしない。
すげえな。俺。
こんな気持ちでピッチに立てるのか。
どうしよう。
幸せ過ぎて、笑えて来る。
「30分一本っ! 始めるぞっ!」
審判役のハンチョウがホイッスルを吹き鳴らす。最前線、センターライン上の葛西からボールがやって来た。
(…………ヤバ。広すぎんこれ)
フットサルの狭いコートに見慣れてしまったからか。推定100×50メートルの広大なグラウンドが、輝いてさえ見える。
確かに、ゴールは遠いけど。
こんなに、スペースがあるのか。
うわぁ。不味いなあ。
これ、なんでも出来るわ。
「――――可哀そうに。俺が相手だなんてな」
ハンドルを握ると性格が変わる人間がいる。
俺の場合、これはサッカーボールであった。
* * * *
パスを受け真っ直ぐ敵陣へドリブル。すぐに相手ディフェンスが距離を詰めて来たが、どうやら経験者というわけでもないらしい。不慣れな足取りで、隙も多い。
左足アウトサイドでボール一つ分ズラし、簡単にいなす。左サイドから中へ絞って来ていた茂木へグラウンダーのパス。
「うおっ!?」
なんてことない普通のパスにも拘らず、茂木のトラップは覚束ない。少し速過ぎたか。いや、たかが横パスで文句言われてもな。
もしかしなくても、感覚に相違があるかもしれない。何せ、すっかり扱い慣れたフットサルボールは、サッカーボールよりもだいぶ重いのだ。バウンドもしにくいし、脚への負荷も掛かる。
茂木のドリブルを合図に、ビブス組はゆったりと敵陣へ雪崩れ込んで行く。同時に相手のサッカー部組が、プレッシャーを掛けに詰め寄るのだが。
遅い。遅すぎる。
なんだその、亀にも満たぬスピードは。
蠅が止まるわ。まったく、見ていられない。
「頼むわっ!」
何本かパスが繋がれたところで、サイドの茂木から再びボールが返って来る。ゴールまでは、35メートルほどか。
相手の陣形を崩せているわけでもない。
フィニッシュまでは、まだまだ遠いな。
――――まっ、もう終わるけど。
「エッ!? 速ッ!?」
「佐々木が抜かれたぞッ!!」
「マジかよッ!」
なんて口々に叫ぶ、味方とも相手とも分からぬ声を掻き消すよう、更にギアを上げる。ペナルティーエリアに向かって斜め前方へドリブル。
どうということはない。身体を寄せるとも言えない、甘ったるい距離感だったものだから、スピードを上げて一気に抜き去ったまでだ。特別なことは何もしていない。佐々木って誰だよ。
慌てて捕まえに来たのは、葛西と茂木の話にもあった牧野というサッカー部の男。しっかりと半身の状態で、ゴールへのコースを切っている。
この開始数十秒で、俺の危険性を大いに察知したか。DFラインも揃っているし、たかが授業の一環でも、しっかりリスク管理は施されている。
偶にいるよな。経験者でもないのに、妙に上手い奴。そういう類だとでも、思っているんだろ。話に聞けばこの牧野も、フットサル部とサッカー部の試合は見ていないようだし。全くもって不本意ながら、俺の名前なんて知らないのだろう。
まぁ、意味無いんだけどな。
駄目なときは、どうしたって駄目なんだよ。
証拠は今からお見せしよう。
間違っても、これは試合でも余興でもない。
始まらずとも既に終わった、一方的な虐殺だ。
「うわっ、突っ込んだ!?」
「流石に無理だろッ!!」
縦への強引な突破。牧野も食らい付く。
中には切り込めないよう、身体を当てて来た。
だが、力が入り過ぎている。
そんなんじゃ……取れるわけねえだろ。
「ハァァァァぁァァッッ!!??」
最前線で構える葛西の、切り裂くような絶叫。
足裏でボールを捕まえスピードを落とし、後ろへ戻すと見せ掛けて時間を作る。同時に二人目のディフェンスが中から当たりに来たから、右足に持ち替えて二人の丁度合間を縫うように蹴り出す。
特別なフェイントは何も使っていない。ただ、抜け道を探して、そこに蹴って、もっかい走り込む。それだけのプレー。
だがグラウンドは大いに沸き上がった。
そりゃそうか。もう、ディフェンス一人と、キーパーしか残ってないからな!
「谷口ッ、マジで潰せッ! ヤバイってソイツッ!」
相手チームの祈るような声に反応するまでもなく、最後方の谷口というサッカー部が一気に距離を詰めて来る。コイツが、学年で一番上手いっていう奴か。
確かに、背は俺より少し高く、威圧感がある。何気ない拍子にボールを奪ってしまいそうな雰囲気もあるな。こういう飄々としたタイプのディフェンダーは、案外侮れない。
まだゴールまで若干距離はあるが、狙えないことも無い。足が伸びて来る前に、さっさと撃ち込むのも悪い判断では無かったが。
せっかくなら、ボッキボキに折ってやるか。
どこまで着いて来れるかな、期待の逸材さんよ。
「――――ッッ!?」
「ハッ、そんなもんかよッ!」
右足アウトサイドで中へ切り替えす。分かりやすいカットインの動きだが、谷口は着いて来れない。そのまま撃っても良いし、もう一度切り替えしても面白い。
勿論、後者だろう。
もうちょっと楽しませろよ。
「うわっ!? マジかよッ!?」
「はっや!!!!」
スライディングで強引に止めようと、身体を横に倒して来たことを逆手に取り、もう一度切り替えす。それでも反対の足を伸ばしてストップを試みる谷口だったが。
ごめん。色々と。
そんな分かりやすい守備、想定内だから。
僅か数秒の間に、三度目の切り返し。再びアウトサイドでボールを突っつき、中へ。完全にバランスを崩した谷口は、誰に身体をぶつけられたわけでもなく、派手に転倒した。
痺れを切らしたキーパーも前へ飛び出て来たが。
間に合うわけねえだろ、なぁ。
そんなに出て来たら、がら空きだよ。背中。
右足つま先を地面に滑り込ませ、僅かに浮かび上がらせる。ボールはキーパーの鼻先を掠め、弧を描くように宙を舞い。
やがて、音も無くネットを揺らすのであった。
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