226. 意外と面食いなんだね


(…………弟……?)


 それがひたすらに第一印象であった。


 愛莉を家に泊めた夜、写真で見せて貰った容姿とそれほど乖離があるわけではない。栗色のブラウンが色艶やかな愛莉と違い、髪色こそ純な漆黒で肩の辺りまで染まっているが。


 やや釣り気味な目頭と、真っ白な素肌。スラッとした体格にはやはり血を感じさせる。


 が、見覚えがあったとすればそれくらい。写真よりも、よっぽど整った顔立ちをしている。下手すれば愛莉よりも美形かもしれない。


 中学のジャージなのかは分からないが、恰好含めて愛莉よりもボーイッシュな印象こそあれど、美少年というよりは……普通に、女の子に見える。


 いや、どうだろう。俺の勘違いか。

 確かに美人顔だが、まぁ、弟だよな。


 愛莉とよく似ている気もするし、全く似ていない気もする。不思議な雰囲気を纏った子だ。



「あら、部活帰り?」

「そんなところ……で、この人ってもしかして」

「うんっ、フットサル部の」

「貴方が、廣瀬先輩ですね?」

「……初めまして?」

「あ、どうも。長瀬真琴ナガセマコトです」


 冷え込む時間帯ではあるが、要因は恐らくそれだけに留まらない。真琴弟は、俺の姿をバッチリと捉えるや否や、まるで品物を見定めるような細い目でジロジロと見つめて来る。


 なんだ、この悪意七割みたいな視線は……。



「ふーん。姉さん、意外と面食いなんだね」

「……ハッ!? なんでッ!?」

「だって、今までロクに男と絡んでこなかった姉さんがいきなり仲良くなるなんて、それくらいしか理由無いし。まぁ、なんていうか、女慣れしてそうな人だよね。へー。絆されちゃったんだ」

「なっ――――そんなんじゃにゃいわよっ!?」


 激しく狼狽する愛莉。

 どっちが年上なんだよ。


 しかし、中三だろ。随分とクールというか、本当に愛莉とは似つかないな。


 初対面の人間相手に女慣れしてそうとか、ナチュラルに失礼ブッ込む辺りやっぱ似てるかも分からんが。コイツも最初そんな感じやったし。


 ただ……歓迎ムードというわけではなさそうだ。

 舐めている、ともまた違うだろうが。

 明らかに俺への信頼が無いことは透けて見える。


 言い分も分からんことは無い。弟の知らぬ合間に、同じ部活で仲良くなるばかりか寝泊まりまで共にしているような男。諸々すっ飛ばして敵視されても文句は言えまい。



「姉さん顔の割に彼氏の一人も出来なかったから、浮かれるのもしょうがないけどね。高い指輪とか変な壺とか買わされないように気を付けてよ」

「いやっ、流石にそれは無いけどさっ……」

「買い物。もう遅いし、早くしよ」


 二人の合間に割って入るように、愛莉の手を掴む長瀬弟。


 そして俺の様子を一瞥して、睨むとも見つめるとも評し難い冷めた視線を寄越し、そっぽを向く。


 あぁ、うん。あれだ。

 普通にシスコンだ。この子。



「早くしないとタイムセール終わるよ。ほらっ」

「分かったからっ! じゃあねハルトっ!」

「ん、おぉー……またな」

「姉さんっ、早くっ」


 愛莉が腕を引っ張られる形で、スーパーの方角へと消えて行く長瀬ブラザーズ。そんな二人の様子を、ボンヤリと眺めていた。


 俺から距離を置くと、長瀬弟はこっちのことなんてすっかり忘れてしまったかのように、そのクールな佇まいからは想像も出来ぬ穏やかな笑みを浮かべ、会話を弾ませる。



 なんだ。弟との距離感が良くないなんて言っていたけれど、普通に仲の良い姉弟じゃないか。心配して損したわ。


 なんだったら、俺が少し妬くほどには。


 一人っ子だから兄弟のいる喜びとか、悩みとか、そういうのはとことん無縁な俺。だから、ああいう年齢を気にしなくていい関係性って、ちょっとだけ羨ましかったりも。


 一方で一人っ子の俺を羨ましがる愛莉も居そうで、甲乙は付け難いが。ただ、俺の知らない愛莉が、まだまだ沢山ありそうだなと。ふと、そんなことを思った。



「…………家族、か」



 すぐ隣にいるだけ、マシやろ、まだ。

 居ないも同然のような家族もおるんやで。


 なんて、本当は思っただけでも罪だろうが。


 どうしようもない。

 そう思ったからには、俺の本心でしかないのだから。




*     *     *     * 




「で、あの人のどこが良いの?」

「…………へっ?」

「いいよ、そういうの。分かってるから」


 買い物袋を引っ提げ愛莉の隣を歩く真琴は、少しぶっきらぼうなくらい平坦な声色でそう尋ねた。瞬く間に思考をフリーズさせる姉の代わりに、話を続ける。



「だって姉さん、ああいう不良っぽい人とか嫌いでしょ。姿勢も悪いし、目つきも良くないし。顔は、悪くないけどさ。遠くから見てたら、なんだか売れないバンドマンが姉さんのヒモやってるみたいっていうか、そんな風に見えたよ」

「……ハルトは、そんなんじゃないわよ」

「どうかなぁ。男に関しては節穴だからね」

「真琴だって、まぁまぁな趣味してるでしょ」

「姉さんよりかマシだよ」


 思いのほか低い陽翔への評価に、愛莉は複雑そうに口を尖らせた。まぁ、確かに、実際に言葉を交わさないことには、色々と誤解されそうな見た目と性格だけど。


 なんて、口に出すことも無く弁明していることも、二つ年下のやけに大人びた姉弟に届くはずも無いのだが。



「……ハルトは、優しいよ。すっごく」

「それって、あれじゃないの? 不良が捨て猫を助けたからギャップで惚れちゃったとかそういうのじゃないの?」

「だから、不良じゃないって」

「なら、どこが良いのさ」

「…………私と、同じだから、かな」


 消え入るような声で呟いた愛莉は、街灯の先に伸びる二つの影を、心非ずとも言い表せる薄い目で、ボンヤリと眺めている。


 ハッキリしない回答に、真琴はますます角度の付いた眉を大袈裟に顰め、不満そうにため息を漏らす。


 この数ヶ月で、随分と変わったな。

 真琴はそんなことを考えていた。


 少なくとも、常盤森トキワモリ学園から帰ってきてこの一年、姉は自分が思っていたよりもずっと姉らしく成長していると、真琴はそう思っていた。


 少し人見知りなところはあるけれど、しっかり者で、物事の損得を弁えている、整った外見含め、自慢の姉。そんな彼女が近くへ戻って来たことを、真琴は心から喜んでいた。



 けれど、ここ数ヶ月の姉は、どうにもおかしい。

 口を開く度に、陽翔。はると、ハルト。


 幼い頃から共にサッカーをやって来て、他のものに真っ当な興味を示したことさえ無かった姉が。


 ここに来て、たった一人。それこそ外見以外、ロクに取り柄の無さそうな男に夢中になっている。そして自分は、そんな姉の心境の変化を垣間見ることが出来ていない。


 早い話、真琴は大いに嫉妬していた。


 似たような存在に信頼を寄せるのであれば、それこそその相手は自分だけで十分だというのに。


 自分にはない、何か特別なものを持っているのか。そう考えれば考えるほど、真琴の不満は溜まる一方であった。



 そして、ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ、羨ましかったりもする。


 自分は進学先も、身の回りの環境も、あれだけ苦労しているというのに。この夏の間、一つの悩みも無さそうに人生を謳歌せんとばかりの幸せそうな姉が、どうにも歯痒く映った。


 そんな風に考える自分も、どうしようもなく愚かに思えて。


 たった一人の姉の幸せを素直に喜べない、輪に掛けて不出来な自分が、憎たらしかったのだ。



「やだなぁ。人って恋するとこうも変わるのか」

「恋ッ!? ちょっ、そんなんじゃないって!?」

「あぁー。分かったってば……いや、別に良いんだけどね。姉さんがどう思ってたって、自分には関係無いし。ただ、長瀬家のカラーに恋愛沙汰は似合わないなって、思っただけ」

「……そういう真琴はどうなのよ?」

「あるわけないだろ、そんなの」

「アンタだって、そのぶっきらぼうな性格直せばもうちょっとモテるんじゃないの? 言葉遣いももっと女らしく……」

「見た目に沿ってるんだから、直す必要無いよ」


 それこそ、余計な気遣いだ。

 風で揺らめいた栗色の長髪に、ため息も重なる。


 これだけ美人な姉を持った日には、いくらそれらしい努力を重ねたところで、実りなど期待はできない。いつ、どこまで行っても、比較される運命なのだから。


 母の髪色が、自分に遺伝しないで良かった。

 真琴は心からそう思っている。


 この味気ない黒髪が。着飾るにも飾るものが無い容姿では、どうしたって姉とは別路線に行かざるを得ないのだから。まぁ、真琴にしろそこで何を求めているわけでもないけれど。



「あんまり妹を困らせないでよね、姉さん」

「別にっ、困らせてるつもりないし……っ」

「なら、別に良いけど」



 傍からは似ても似つかない姉妹は、不自然に開いた距離間を正すことも無く。家への短い道のりを、暫く無言のまま歩いていた。


 きっと、これからも自分たちは、こんな関係だ。

 どうしようもないことだと、真琴も諦めている。

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