223. タイムオーバー
「えっと…………まず、その、ごめんなさいっ」
深々と頭を下げ、小さな影を二つに折り畳む。
夕陽が差し込む新館裏のテニスコート。謝罪という概念さえ似合わない少女の姿を、五人は思い思いの表情を持って素直に受け入れるばかりである。
フットサル部始動以降、最も真っ当な形で行われた紅白戦は、下校を促す長いチャイムを試合終了のホイッスル代わりに終焉を迎えた。
お互いの精力的なディフェンスを嘲笑うかのようなゴールラッシュは、もはや何点入ったか、何点決められたかもロクにカウントされず。練習として機能していたかは、実に疑わしい。
だが、そんなことはどうでも良かった。
もっと大事なものを、俺たちは手に入れた。
「正直に言いますっ…………舐めてました。フットサル部。あの試合に負けても尚、そうだったと思います。ノノも、自分のことを過大評価していたし、皆さんのことも、悪い意味でそうでした。ここなら、ノノを受け入れてくれるって。ノノの居場所があるって……勝手に思い込んでいたんです」
コートの片付けを全員で済ませ、着替えに戻ろうと新館内の更衣室へ足を運ぼうとすると。ノノのハッとしたような一声に、俺たちは引き留められた。
今更こんな形式ばったものが必要とは思えない。しかし、ノノにとっては重要なことなのだろう。それが彼女なりのけじめなら、甘んじて受け入れるまでだ。
「でも、違ったんです。ノノはノノで、全然大した人間じゃないしっ……すっごく強固で、深い絆で結ばれてるって思ってた皆さんも、本当はギリギリのところで手を取り合っているって……この数週間、傍にいるだけでしたけど……ノノがどれだけ皆さんを困らせていたか、よく分かりました」
「そんなことないよ、ノノちゃん」
「ノノがそう感じた以上、やはり一言でもなんでも、謝るべきだと思うんですっ。倉畑センパイ、ノノのお話いっつも困った顔で聞いてますから。尚更ですっ」
「そんなつもりは無かったけど……でも、それだけ不安にさせちゃったってことだよね……ごめんね、優しくない先輩だったよね……っ」
「良いんですっ! ノノの問題ですからっ!」
少し気落ちした様子で返す比奈。
言葉はともかく態度までは嘘を吐けない。何だかんだノノを気遣っているようで、複雑な思いを抱いていた比奈……でも、認めただけでも十分な進歩だ。
むしろそこからがスタートライン。
双方にとっても有難い話。
「…………私も正直に言うけどさ」
そして、最も居心地の悪そうにしていた愛莉も。
これがチャンスだとばかりに重い口を開いた。
「大会とか出るために、もっと部員も必要だって分かってた。こればっかりは気持ちの問題っていうか……市川さんだから駄目だとか、そういう問題でも無いの。本当に、ちっちゃなプライド……」
「……それだけじゃ駄目なのよ。殻に籠ってるだけじゃ、なにも変わらないし……私もさ、文化祭の準備とかで、クラスの子と話したりするの、正直キツイし……」
「でもそれを我慢してるって思うことが、一番駄目だって。ちょっと思ったの……それにアンタとなら、まぁまぁ上手くやってけるって、本気で思ってるわ。今日のゲームも、すっごい楽しかったし」
照れくさそうに頬を掻く愛莉。お前もボール一つ挟まないと素直になれない面倒な奴だ。こんなところまで俺に似なくても良いのに。まぁ、そういう単純な頭の造りの方が、よっぽど楽で助かるけどな。
「……ホント、琴音ちゃんの言った通りよね。結果的にどうなるかなんて、やってみないと分からないし……もしそうだったら、こうしていたらとか、無いわよ。辿り着いたところが、私にも、私たちにとっても一番良い結果に、どうしてもなっちゃうんだろうなって」
変化を恐れるなんて、当たり前のことだ。
誰だって居心地の良い空間を壊したくはない。
目的のためには必要なことだなんて、結局は自分自身を無理やり納得させるだけ。騙していると言っても良い。どうしたって、最後は自分の問題になる。
愛莉だけじゃない。俺も、他の三人も。
分かった上でこのコートに立っている。
故に俺が口を挟む理由だって無いわけで。
その辺信頼してるんだよ。こんなんでも。
「なるようになる、ということです。要するに」
「そーそー。別に、一生このままってわけでもねーしな。全然、ノノイチカワがダメだったらよゆーで解雇するし。で、あたしらが解雇されても文句は言えねーってわけよ。なっ、ハルっ」
「巻き込むな俺を」
二人の言う通りだ。
選択肢など端から存在しない。
あらかじめ決められたかのような道を、ただ盲目的に進んでいくだけ。その先に待っている未来なんて、誰も予想出来ない。予想したところで、たいてい外れるのがオチなんだから。
長ったらしくベラベラ喋るけどさ。
さっさと終わらせようぜ、こんな茶番。
「で、ノノ。どうすんだよ」
「……はいっ?」
「入んの? 入らんの? どっち?」
「…………そう、ですねっ。入れてください……っていうのは、やっぱり違うんですよね。ノノが言ったんですもんね。いやっ、実際怖いですよ。陽翔センパイだけならともかく、皆さん前にすると」
一歩下がって、再び頭を下げようとするノノ。
しかし、物足りない。
良い機会だ。
まずは洗礼でも受けて貰おうか。
「ノノ」
「はいっ?」
「土下座しようか」
「…………ハイッ!?」
ほぼ似たようなリアクションの残る五人である。
急になにを言い出すのかと目をかっ開く。
いやね。せっかくみんなでボール蹴ってわー楽しーで終われば良かったものを、お前がまた重い空気に持って行くから。
お前が悪いんだよ。
こんなのもっと、笑える方が良いだろ。
それに多分、ノノみたいな奴のことだ。きっとこの場で素直に頭を下げようものなら、心のどこかで引っ掛かりが残りそうで。知らず知らずのうちに引き摺ってしまうというか。
面倒な奴なんだよ。お前はホント。
だから笑い話で済ませた方が良い。
そっちの方がよほど好みな筈だ。
「ちょっ、この期に及んで後輩イビリですかッ!? やっぱりノノのこと嫌いなんですかッ!? ならそうと言ってくださいよッ!?」
「あぁ、ちゃうちゃう。これ伝統なんだよ。フットサル部入りたい奴は、土下座しなくちゃいけないっていう、そういうルールなんや。俺もやったしな」
「それやったのハルだけっ、むぐぅっ!?」
「はいはいっ! 瑞希ちゃんは黙っててねっ!」
後ろから瑞希の口元を強引に抑える比奈。こういうところばっかりノリが良いよなお前も。そういう賢いところが俺は本当に大好き。
「えっ、嘘ですよね長瀬センパイッ!?」
「あーー、えーーっと……私はなんとも……」
「えぇぇッ!? ガチなんですかッ!?」
コイツもコイツで土下座はし慣れてるから、一概に否定することも出来ないだろう。そもそも愛莉が頭を下げなければ始まらなかった部活だからな。意味分からんわ。改めて。
「そうですね。土下座は必要かもしれません」
「ううぇぇぇぇッッ!? 楠美センパイまで!?」
お前はお前で見たいだけだろ。
ただでさえ猫に頭下げさせてんだから。
笑うな。ニヤケるな。バレんだろ。
「ほら、早くしろよ。さもなくば追い出す」
「んな殺生なぁ……ッ!!」
「じゅー、きゅー、はーち、にー、いーち」
「うえぇぇぇぇメッチャ飛んでるッッ!?」
慌てて両膝を芝生に当て、手を着くノノ。
そして、渾身の。
「市川ノノ、フットサル部入りますッ!!」
「ん。えーよ」
「…………ほえっ?」
すっ呆けた様子で顔を上げるノノ。
みんな、堪えていたものがついに耐え切れなくなったのか。四人揃って腹を抱え、涙目になりながらゲラゲラ笑っている。そんな光景を目を点にして、彼女は暫くボーっと眺め続けていた。
「もうっ、そんなわけ無いでしょっ! ハルトも、本当にやらせてどうすんよ! 可哀そうでしょっ!」
「お前やってはぐらかしたやろ。同罪や」
「はぁー。馬鹿馬鹿し……あのね、これが私たちの日常なのよ。アンタもこれからこういうのに着いて来るの。分かった?」
白い歯をあざとく見せびらかし、愛莉は手を差し伸べる。呆気に取られながら、彼女はされるがままに手を取った。
「…………やっぱり、入るの辞めよっかな」
「タイムオーバーや。大人しく諦めろ」
「…………もうっ、怒りますよセンパイっ!!」
そんなこと言って。
幸せそうに笑いやがって。
だから言っただろ。
お前は、そういう顔の方が似合うんだよ。
「ようこそ、フットサル部へ」
「……………………はいっ!!」
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