220. 世界は、少しずつ変えていける


 結論から言うと、市川ノノはすぐに見つかった。本校舎と新館を繋ぐ吹き抜けを走り去る彼女の姿を階段の窓ガラスから捉え、目的の地を目指す。


 体育館に繋がる廊下を進む。開けっぴろげにされた柔道場で体育の授業をしている他クラスの連中が、興味深そうにこちらを眺めていた。サボるにしてもやり方がある。が、気にしている暇もない。


アリーナ横の談話スペースを抜け、扉に手を掛ける。いつもと変わらないルーティーン。青味掛かった人工芝と見慣れた連中が顔を見せる、俺たちのホームグラウンド。



「…………なにやってんお前」

「……追い掛けてきたんですか?」

「お前が逃げるからだろ」

「……別に、センパイから逃げたわけじゃないですっ。久しぶりに授業サボっちゃおうかなって、そういう気分なんですよっ。ほっといてください」


 制服姿のまま、芝生の上に大の字で寝転ぶノノ。こちらを見ようともせず乱雑に言葉を返すと、グルリと半身になり背を向けた。


 言い訳にしてはあまりに不十分で、出来の悪い代物。最も、それらしい代案が思い浮かばなかったと、背中に張り紙でもしてあるようで。


 歩み寄りそのまま地面に腰を下ろす。気だるさの抜けた九月中旬の快晴の下、雲の流れをボンヤリと追い掛けながら、猫のように身体を丸め不貞腐れる彼女へ寄り添った。



「…………どこから見てました?」

「練習しろオラ、ってとこ」

「ほとんど全部ですねっ……」


 あっさりと流すよう言葉を返すが、語尾は僅かに震えていた。ここまで追い詰められては、お得意の口八丁も八方美人も通用しない。


 やがて身体をもとの位置に戻し、仰向けになった彼女。胸元へと流れて行く涙を隠そうともせず、同じ速度で流れている雲をジッと見つめていた。



「また、駄目でした」

「……みたいやな」

「……分かりますよ、みんなの言いたいことも。全員が文化祭に気合入れて頑張れるわけじゃないですから……劇を成功させたいのは、ノノ一人の我が儘ですし」


 なら、どうしてそこまで。


 何の気なしに出掛けた言葉を、寸前で呑み込んだ。分かっていない筈がなかったからだ。


 実際のところ、ノノにしたって出し物に対し、そこまで拘りがあるわけではない。ただ、やることが決まったから。それを成し遂げるために、自分なりに頑張っているだけ。


 どこにいても、なにをしていても。あらゆる万物は彼女にとって一つのツールでしかなく、手段でしかない。与えられたものを、全力でこなすだけ。


 では、目的はなにか?

 決まっている、そんなもの…………。



「みんなに言われたこと、本当は正解なんですよ」

「…………そっか」

「ノノ、どうしても目立ちたがり屋なんで。みんなのために、みんなのためにって言っておいて、結局は自分が良い思いするようにしちゃうんですっ。そんなつもりがなくても、気付いたら、そうなってるんですから。仕方ないじゃないですか。止められないですよ」


 どれだけ献身的に働いても、最後の最後に欲が出る。それ自体、決して悪いことでは無いのだ。無償の愛情なんて小さな枠組みのなかでたまに発揮すればいい方で。


 人間なんて、そんなものだ。どうすれば自分にとってより良い結果になるか。どうすれば、自分の立場をより良いものに出来るか。エゴを隠すために、フォアザチームを気取る。矮小な生き物。


 そういう意味で、ノノも特別な存在ではなく、ありふれた人間のうちの一人。ただ、彼女の場合、そういったエゴが透けて見えなくても、穿った目で見られてしまう。


 単純な話だ。ノノは可愛らしい奴である。


 みんなと一緒、みんな平等だなんて言葉を、俺も彼女も信じちゃいない。人間の才覚は、どうしたって差がある。


 誰かを思うことと、気遣うことは同じようで全く違うことを彼女も知っている。


 勿論、俺たちだけに留まらず、世界中の誰もが知っている。そして、才を持たない者たちは、どれだけ理不尽な理由だって、持つ者を羨むのだ。例え本意でなくたって。



「生き辛いな」

「まったくですよっ……」


 彼女がクラスメイトのことを怒っていたのは、決して自分のためだけではない。多少のエゴがあったにしても、出し物を成功させたい気持ちに嘘は無いのだ。


 だが、そんな彼女の思いは、彼らにとって表面的にしか映らない。その気が無くても、上から見られている。見下されていると感じてしまう。


 手を取ったつもりが、相手は無理やり引っ張られたと思う。終いには強要されたとまで言ってのけるのだ。



 彼らが一方的に悪いわけでもない。

 人間なら誰でも当て嵌まる。


 自分のミスを、過ちを、弱さを、認めたくないのだから。わざわざ言われなくても分かっている。そんな風に言い訳して、のうのうと生きている。誰だって同じ。



「……学校、辞めよっかな」

「馬鹿言うな、元も子もねえだろ」

「そしたらアイドルにでもなって、みんなにチヤホヤされるのも良いですねっ。ノノ、結構可愛いので。良い線行くと思うんですよっ」

「……同じやろ、どこ行ったって。一人で頑張ってなんとかなるほど、どの世界も甘くねえんだよ。また振出しに戻るだけや」

「…………そうかもですねっ」


 環境を変えることが悪いとは言わない。

 それで好転する事例だって幾らでもある。

 事実、俺がそうだったように。


 それでも、根本的な解決にはならないのだ。最終的には、いつだって自分自身の問題で。

 どれだけ快適な空間に身を置いたとしても、そうで居続けられるだけの努力も、思考も、止めてはいけない。



「……あの、センパイ」

「どした」

「一つ気になったんですけど……フットサル部の皆さんで、私たちのこと見てましたよねっ? なにか、そのっ……理由でもあったんですか?」


 素行調査でもしてたんですか? と無理やりに口角を吊り上げて笑うフリをする。あれだけフットサル部内で自由気ままに振る舞っていたのも、恐怖の裏返しだ。


 実際、あの4人に対してノノはだいぶビビっている。そうでなければ、個サルの帰りにでも彼女は、自分から正式な入部を願い出た筈だのだから。



「……心配してんだよ、お前のこと」

「まさかっ、そんなわけ……」

「ちゃうな。心配させた。俺が。お前らが思ってるほど、ノノは悪い奴でも、打算的な奴でもないって、ちゃんと証明したかったんだよ。揉め事に出くわしたのは偶々やけどな」


 ギョッとした様子で俺を見つめる。そのまま続くであろう「どうして」を前もって遮り、言葉を続けた。



「俺が、お前が欲しかったんだよ」

「…………ノノを、ですか……っ?」

「まぁ、その…………俺も間違えたんだよ、お前のアプローチっつうか。分かってたつもりやけど、アカンわ。やっぱ、言葉も大事なんだよ。それだけじゃ足りへんけど、なんも無しってわけにもな」


 言葉なんて、信用できない。


 俺も、彼女も。良く分かっている。俺たちから発せられるそのほとんどが、真意の裏返しだ。どれだけ取り繕っても、無駄なものは無駄。そうやって思って生きてきた。


 だから、ずっと勘違いしていたのだ。言葉なんて無くても、何気ない日々の行動や態度で、十分に事足りると。でも、それだけは足りないと、思い知った。


 本当は、ずっと欲しかった。


 たかだか延命措置でしか無いとしても。

 見せ掛けの信頼が。友情が。愛情が。

 本物には及ばなくとも、必要だった。


 偽物を並べて、着飾ることも。本当に欲しいものを手に入れるためには必要なのだと知った。


 それは偽物であって、嘘では無いと。いつかは本物になると。自分自身が信じられるなら、無駄なことではない。



「ノノ。俺と、友達になってくれよ」



 陳腐で安っぽい、こんな台詞でも。

 俺たちの世界は、少しずつ変えていける。


 他でもない、俺が信じているのだから。



「…………ノノは、悪い子ですよ。とっても」



 想いが、弾ける。


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