218. やるべきことをやっているだけ
「なんなんですかほんとにっ!! あと三週間とちょっとしか無いんですよ!? 台詞覚えてないならっ、覚えるしかないじゃないですかっ! なに始まった途端台本開いてヘラヘラしてるんですかッ!」
どうにもこうにも収まりが付かないノノは、クラスメイトであろう数名の男女に向かって激しく怒りを飛ばす。これだけ怒りを露わにする彼女は、見たことが無い。
だが、そんなノノの様子など気にも留めていないといった態度の数名は、露骨に面倒だという顔色を隠そうともせず。
それに乗じてノノが再び怒りを炸裂させる前に、女子生徒の一人が口を開いた。
「市川さあ、なんでそんなマジになってんの?」
「……はっ、はぁぁぁぁ!?」
「文化祭のステージなんてさあ、罰ゲームじゃん。あんなの。誰も真面目に見てないし、やる側だって毎年そこまで力入れてないらしいじゃん? そんな頑張ってどうすんの?」
声には出さずとも、他のクラスメイトたちも同意するように似たような顔をしている。なるほど、これは言い争いというよりノノに対しての包囲網だ。
ノノがここまで反発している理由を、俺は知っている。彼女は下校中も、必死に台詞を覚えていた。
台本を読むだけでなく、耳にしていたイヤホンからも、音楽ではなく台詞を流していたに違いない。彼女はステージの成功のために、真っ当な努力を重ねている。
恐らく、昼休みを使って出番のある連中と台詞合わせをしていたら、誰もロクに覚えていなくて……というところだろうか。
「別にっ、完璧な演技しろなんてノノ言ってないですよっ! 誰も見てないことないんですっ、他のクラスの一年生はお客さんでいるしっ、上級生も一般の人も観に来るんですっ!最低限でいいからって、前に合わせたときも言いましたよねっ!? 本番でもそんな調子でやるつもりですか!?」
「だから、本番までは間に合わせるって!」
「前も同じこと言ってましたよっ! せめて一行でもいいから覚えて来てって、覚えてないじゃないですかっ! なんでノノ以外誰も台詞入ってないんですか!? 頑張る頑張らない云々の前にっ、やらなきゃいけないことってあるんじゃないですかっ!? 適当にやって恥かくのノノたちなんですよっ!」
「……この光景、去年も見たなあ」
「……比奈?」
「わたしもちょっと不満だったんだよね。ほらっ、わたしたちのクラスも演劇やったって、前に話したでしょ? 女の子はまだ良かったけど、中々男子がヤル気になってくれなくて……」
そう言えば、愛莉が言っていたな。去年の一年生の出し物もクラスに限らずグダグダになっていたが、比奈の演技だけ飛び抜けて上手かったと。
勿論、演技の上手さは人によって差があるのだから、クオリティーに関しては文句を付けてもしょうがないのだが。
持ち時間だってそう長くは無いだろうし、覚える台詞にしたって、恐らくそれほどの量があるわけでもない。
「まぁ、ヤル気が無いのは分かるけどさ。でも、周りに迷惑掛けないようソツなくこなすのも大事よね。私だってダンス嫌だったけど、練習したし」
なんとも言い難い表情の愛莉だったが、ノノの言い分にはおおよそ同意しているらしい。
愛莉もこう見えて、責任感強いタイプだからな。去年も適当ではあったのかもしれないが、形にはしたのだろう。
「…………そうですね、一応には練習しました」
「比奈、琴音の去年の映像とか持ってへん?」
「あるよー。今度持って来るね」
「絶対見せません。見たら殺します」
ある程度の失敗やレベルの低さは許容されている。にも拘らず、最低限のこともこなそうとしないのは、単なる怠慢でしかないだろう。
コイツらにしたってやりたくもないこともあるだろうが、先のように迷惑にならないよう形だけでも練習はしたようだし。集団で動いているのだから、当然のことだ。
つまり、ノノの怒りは至極真っ当なのだが。クラス全体を見渡せば、イコール正解とも言い難い。
「アンタさあ、私たちのためにーみたいに言ってるけど。要するに「自分に迷惑掛けんな」ってことでしょ?」
「…………はっ……?」
先立つ女子生徒が、ノノにそんな言葉を飛ばす。
いよいよノノも理解が追い付いていない。
「いいよねー市川はさ。何やってもセンスあるだろうし、すぐに覚えられて。立ってるだけでどーせ目立つんだろうし。ラクだよねー生きてくの」
「ねーっ。文化祭で目立って一気に人気者っていう、そういうプランなんでしょ? まぁー私たちに足引っ張んなって言いたい気持ちも分かるけどさぁ。ちょっと自己中じゃない?」
他の面々も、口々にノノを非難する。
「俺らだって文化祭以外にも忙しいし、練習とかしてる暇ないんだよ。市川はそーいうの気にならねえかもしれねえけど、俺は無理。キャパオーバーだから、マジで」
「でも市川ってサッカー部のマネ辞めたんだろ?」
「あー、じゃあ暇なんだな。そりゃいいよな、いくらでも台詞覚える時間あってさ。でもさ、みんなお前のペースに合わせられるわけじゃねえんだわ。勝手に突っ走られても困るわけ」
一向に収まらない、各々の自分勝手な主張。
ついには彼女への個人攻撃にまで及び出す。
「なんか噂で聞いたけどさーっ、マネのなかで虐められてたんでしょ? それで居心地悪くなって、今度はクラスで出しゃばって、文化祭で良いとこ見して挽回しようって感じ?」
「あぁ~。ちょっと虐められる理由分かるなー。思い通りに行かなくなったらそうやってキレるの、マジでヤバイよ。そういうの小学生までっしょ」
「お前のためにみんな動けるわけねえだろ?」
「こっちの事情も察して欲しいんだよな」
「……ハルト、だめ」
「分かっとる」
「分かってない」
握り潰した拳を、愛莉が抑えるように掴む。
その振動ごと、彼女にも伝わるようで。
「ノノは……ノノはただっ、みんなで……っ!」
「だからさぁっ、そういう個人的なことをクラスに持ち込まないでって言ってんの! ほんと、空気読めないよね市川って。世界が自分中心に回ってるとか本気で思ってる?」
「たかがステージの出し物でそこまでなるかねー。こんなのさー、台本持ちながらやったって誰も文句言わないじゃん? みんなでどうこう言うなら、アンタが合わせるべきじゃないの?」
(…………好き勝手言いやがって……ッ!)
ノノが、自分のためだけに動いてる?
全員のためを思うなら、そっちに合わせるべき?
そんな、馬鹿な話があるか。
確かにノノは、少しズレているところも……ちょっと暴走気味なところも、調子に乗りがちなときもある。あるけれど……だからって、ここまで言われる筋合いは無いだろう!
ノノは、やるべきことをやっているだけだ。
不器用なりに、上手く出来ないなりに、どうすれば自分の周りがより良い空間になるか。どうすればグループに貢献できるか……そんなことばっかり考えているような奴。
例えそれが、誰かにとっても不都合でも。
彼女の優しさは、不満すらも包み込む。
そうであって然るべきなのだ。
こんなの……間違っている。
もし仮に、間違っていたのだとしても……それを彼女一人に押し付けて、一方的に責められるこの空間が、真っ当なはずがない。
俺は知っている。知らないことのが多いけれど、ただそれだけは分かっている。
そういう風でしか、奴は市川ノノを確立できない……誰よりも優しくて、周りが見えて、気の遣える、強い人間だ。
ただヤル気の無い理由を、ノノのパーソナリティーと重ね合わせて、責任丸ごと押し付けて非難するような……お前らみたいな奴らとは、違う!
ノノは本気で、出し物を成功させたいだけ。
そうすれば、このクラスで何かが生まれると。
そして自分自身も、何かを得られると。
本気で思っている、ただ、それだけなのに。
それを、アイツらは……ッ!
「抑えて、ハルっ!!」
「離せ瑞希ッ! ブッ殺してやるッッ!!」
「ハルが出てったって変わらないよっ!」
「んなの分からんやろがッ!」
「分かるよッ!! 変わんないっ! それはそれで上級生に守られてるヤな奴って、そういう認識になるんだよっ、今の状況じゃっ! 冷静になれよッ!! 本気で心配してんならっ、ハルのせいでどうなるかぐらい分かんだろうがッ!!」
理屈は分かる。だが、納得なんて出来ない。
「ストップ! ハルトっ! やめてっ!」
「陽翔くんっ!! 暴力はダメっ!!」
「貴方が傷口を広げてどうするんですかッ!」
「離せオラアアァァッッ!!」
今にもドアをこじ開けろうとしている俺を、皆揃って必死に身体にしがみ付いて止めようとしている。いくら女子相手とはいえ4人がかりでは自由も利かない。
そのまま力づくで廊下の窓側まで押し込まれる。
すると、教室の扉が勢いよく開かれて。
「ノノっ!!」
「…………センパイ……っ?」
溢れ出る涙で制服の裾をぐっしょりと濡らしたノノが、そこに立っていた。堪らず教室を飛び出そうとしてしまったのだろう。
一度は立ち止まった彼女だったが……俺たちの方を見て、一層顔を歪めると、そこから逃げ出すように廊下を走り出してしまった。
見逃せる筈がない。
このままでは彼女は……潰れてしまう。
開かれた教室の先へ、挨拶代わりに睨みを利かせる。少し震えた様子の連中たちを後目に、廊下を駆け抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます