216. 即刻立ち去れ
「陽翔さん?」
「…………え、なに、どした」
「いえっ……ボーっとしていたので」
「……悪い、なんでもね」
「気になるじゃないですか」
「琴音の顔に見惚れてたわ」
「真横でそういうこと言うの辞めて貰えますか」
市川ノノとの曰く「悪い遊び」から数日。
特に変わり映えのしない退屈な授業を惰眠と共に通り過ぎ、束の間の昼休み。俺と琴音はいつもの中庭に集まり、昼食を取る。
まだまだ過ごしやすい気温と、眠気を誘う風の暖かさ。せっかくの昼休み、琴音との時間だというのに、どうにも余計なことを考えてしまう。この数日、ずっとそんな感じ。
「今日も愛莉さんのお弁当ですか」
「……ん、まぁな」
「いよいよヒモですね」
「俺だって作り手抜きで食いたかねえんだよ」
「あぁ。一応には申し訳なさとか、そういう感情が残ってるんですね。てっきりもう亭主関白気分でいらっしゃるのかと。お似合いですよ、陽翔さんならむしろ」
「キレッキレやな……」
エラく機嫌が良い。
狭いベンチに並んで座っている。何故か右端に追いやられ身動きが取れなくなっていることを、彼女に伝えた方が良いだろうか。
腕を動かすにも神経使う。左肘の可動域が少なすぎる。二つの巨大なまんじゅうからプレッシャーを受けている。
比奈は衣装の製作が遅れている班のサポートに出向いているようで、今日は来られないとのことだった。瑞希も同様に、クラスで中心的な役割を果たしているらしく、何かと忙しい様子。
そんな俺たちは、愛莉の柄でもない裁縫力のおかげで、ちゃっちゃと担当の衣装を完成させてしまったのだが。
逆にそのせいでクラスメイトに協力を要請され、愛莉は他の女子に捕まってしまった。
この数週間でクラスにおける比奈の存在感、影響力も着々と増しているし、少しずつ愛莉もフットサル部以外での交友関係を築き始めている。ほとんどトークの主導権は握られているようだが。
……寂しくないとは言わない。
この数日、普通に会話が少ない。
琴音がたまたま暇で良かった。
これに関しては割と本気。
で、そう。無言のまま菓子パンをムグムグと頬張っているこの人。彼女も彼女で、文化祭に向けて準備するようなモノはあまり無いらしく。委員会の仕事以外は結構暇そうにしている。
なんでも彼女のクラスは、脱出ゲーム? とかいうのをやるそうで。段ボールを組み立てて順路を作るそうなのだが、発案も実行もほとんど男子が中心で、女子の出る幕が無いそうだ。
普通に久しぶりだな。琴音と二人って。
基本的にクラス単位で行動しているし、いつも愛莉か比奈が隣に居るから最近忘れてたけど。琴音も教室じゃボッチらしい。瑞希ともクラス違うし。
故に、フットサル部の集まりも無い。文化祭の準備もやることが無いとなれば、俺と彼女の置かれている状況は似たようなもので。
なんとなく個別トークでメッセージ入れたらすぐ返事が返って来たのも、偶然では無いのだろう。
「それにしても上の空でしたね」
「……あ、そう?」
「普段に増して目が死んでいました」
「真顔でメロンパン齧ってる奴に言われたかねえ」
「尚更ですね。手鏡でもお貸ししましょうか?」
「んなモン見なくても目の前に映っとるわ」
「梃子でも折れませんね貴方は……っ」
皮肉りバトルに勝利したまでは良いが。
やはり、顔色が大して変わるわけでもない。彼女の言うところの阿保面で思い返しているのは、間違いなく先日の光景だ。
「なぁ、琴音」
「はい」
「ノノのこと、どう思う?」
「…………ノノ、ですか」
分かりやすい変化こそ見受けられないが……いや、そんなことないな。もうコイツの仏頂面も見慣れて来たし、そのなかに色々とパターンがあるのも理解してきた。絶対に機嫌損ねてる、いま。
「アイツが練習来るようになって、もう一週間以上経つだろ。苦手なタイプなんとっくに分かっとるわ、ちょっとは優しくしたれよ」
「……私は別に、問題ありませんけど」
「そう見えへんから言うてんの」
「逆に聞きますけど、分からないんですか?」
少し怒っているような。
いや、うん。怒っている。普通に。
……分からないとは言えない、微妙なラインだった。少なくとも、ある程度の割り切りが出来ている瑞希や比奈と違って、琴音と愛莉は……あくまで五人でいることへの執着が強い。
きっと愛莉がこの場に居ても、似たような反応になるんだろうなとは思う。が、それにしたって。勿論、分かる、分かってるつもりなんだけど。
「どうやら、忘れているようですね」
「……え、なにが」
「言ったでしょう。目移りするな、と」
ただでさえ近い距離感を更に縮めて来る。
腕と腕が密着し、体温が直に伝わった。
「陽翔さん、貴方は少し、勘違いをしています。確かに、五人だけの時間はとても大切ですし、私にとっても必要な時間です。それは事実ですが……それだけでは立ち行かないことがこれから増えて来るのも、分かっているんです。重々承知してます」
低い座高から覗き込む、円らな瞳。
普段は半開きの癖して。こんなときばっかり。
「だからこそ、市川さんだけを気に掛けているような今の状況は、良くないと思うんです。自覚していますか? 練習中、チラチラ市川さんを見てるんですよ、貴方。休憩中だって、彼女が傍に居ないときは、市川さんの話ばかりしています。無意識のうちに気を遣っているんです」
「まだまだ私たちは、チームとしてもグループとしても、未熟な塊に過ぎないんです。貴方の存在がフットサル部にどれだけ大きな影響を与えているか、サッカー部との試合でよく分かったでしょう」
「……だから…………市川さんを気に掛けるのが、悪いとは言いませんけどっ…………もうちょっと、私たちのことも見ててくれないと、そのっ……こ、困ります…………っ」
「それってさぁ。あたしたちっていうか、くすみんがハルに見てて欲しいだけじゃね? よーするに、ノノイチカワじゃなくてあたしだけ見てー、ってことでしょ?」
……………………
「…………みっ、瑞希さん……っ?」
「おっすー。ご飯食べ来た」
「いっ……いつからそこに……ッ!?」
「んー? ヒモがどーこうのところから」
「さっ、最初からじゃないですかっ!」
俺たちの座る反対側、空席になっているベンチの裏側からひょっこり顔を出した瑞希は、菓子パンを片手に、残る一人か二人分のスペースを埋める。
あぁ、悪い顔してるこの人。
今後一ヶ月は弄りネタに困らなそうだな。
「なんや暇になったんか」
「順調に進んでっからさ。まぁいいかなって」
「ほーん」
「……で? でっ? ねぇねぇくすみんっ、ねぇねぇねぇねえっっ!! 二人っきりのタイミングでなにしてたのっ? ねぇねぇ、ちょっと可愛いとこアピールとかしちゃおっかなって? こんなに嫉妬してるんですよアピールしてみようかなって思ったの!? 勇気出しちゃったの!? ねーねーねーっ!!」
「ちっ……ちがっ…………ぁぅ……っ」
繋がっていた糸をぶった切るが如く二人の合間に入り、琴音の肩をギュッと掴んで身体ごとすり寄る瑞希。真夏はとっくに過ぎ去っただろうに、琴音の頬は焚火を焚いたように真赤だ。
「おい、勘弁したれって」
「ハルもさぁ、女の子にここまで言わせてなんも思わんわけぇ? あ、もしかして逆に楽しんでんだろ? うわぁ、性格悪いわー。ドSやわぁ」
「なにお前うっざ……」
下手くそな関西弁は聞くに堪えないとして、取りあえず琴音のフォローをしなければ……あぁ、駄目だっ、涙目でブルブル震えている!
この顔知ってる!
合宿二日目の朝のアレだ!
不味い、自爆するぞコイツ!
「…………逃げろ、ドゲザねこッ!」
「……は? ハルなに言ってん」
「良いかっ! 俺はいま、そのスマートフォンにくっ付いているデケえストラップのドゲザねこに話し掛けている! この場所は危険だ! 即刻立ち去れっ! 主のために、一刻も早くっ!」
すると琴音はスマホを手に取って、例のふかふか柔らかそうなぬいぐるみタイプの白いストラップを反対の手で握り締めると……真赤に染まった顔をドゲザねこで覆い隠し、プルプル震えながら。
「……あ、ありがとう! ははっ!」
「エッ!? くすみん!?」
「顔を洗って来るんだッ!」
「そっ、そうするよ! ははっ!」
「くすみん!?!?」
唖然とした様子の瑞希をどうにか振り払って、ドゲザねこのストラップを顔に押し当てたまま、爆走。校舎の影へと走り抜け、やがて姿を消した。
「…………え? なにいまの?」
「……幻影」
「いや見た見た見た」
「まぁ、忘れろ」
「…………なるほど、かしこいなっ」
馬鹿だが空気は読める、瑞希のファインプレーであった。
さて、どうしよう。恐らく琴音は昼休みの間に帰ってこないだろうし、大人しくこのまま瑞希と飯食って終わりにするか。言うて、もうほとんど食べ終わってるんだよな。
適当に瑞希の話でも聞きながら暇潰すか。
そうでもせんと色々と抜けないんだよ。色々な。
「……くすみん、変わったよな」
「……せやな」
「気持ちはすっげえ分かるんだけどさ……え、ハルさあ。流石にあれだけ言われて、気付かないわけないよねっ?」
「…………まぁ、な」
「いや、茶化したあたしも悪いっちゃ悪いんだけどさ。今度どっかで、ちゃんと話聞いてあげた方がいーよ? あっ、あたしのおらんところでな」
お前が茶化すのは確定事項かよ。
瑞希の言いたいことも十二分に分かる。
ただ、確証が無いのがなんとも。
なんせ、俺自身がまだ今一つ分かっていないのだから。そして俺と琴音は、恐らく根本的なところがだいぶ抜け落ちているタイプの人間だ。そもそも異性と関わりが無さ過ぎた時期が、あまりに長い。
だから、彼女に限った話ではないけれど…………この手の類は、もっと慎重に進めたいというか。そりゃ俺だって、興味はあるけど。あるんだけど。
それにオレ、知ってるし。
顔と身体つきがタイプなの。
尚更慎重にならないと、絶対に馬鹿を見る。
だからこそ、瑞希とか比奈に甘えているんだろうな。なんて、やはり自覚はしていて。面倒な考え方をしているのは、俺が一番分かっているのだ。
故に、貫くべきところもある。
最低限の礼儀として。
それが向こうには非礼だとしても。
知らん。んなことまで気ィ遣えん。知らん。
「……まぁ、琴音の処遇はともかくとして」
「しょぐー? なんそれ」
「うるせえ馬鹿は黙ってろ」
「あたしそんなに悪くないでしょ今の」
コイツにも、一応聞いておきたい。
こないだ少しだけ話したけど。
「なに? ノノイチカワの話?」
「…………まぁな」
「それなら耳よりの情報があるんだけど。さっき一年のフロア通ったら、なんか揉めてたよ。ノノイチカワのクラス。分からんけど」
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