212. 俺だけ見てろ


 困り顔の市川ノノを引き連れ向かったのは、学校の最寄り駅から徒歩数分。勝手知ったるフットサルコート。


 フットサル部が初優勝を飾った思い出の地でもあり、Herenciaのメンバーであった彼女と初めて出会った、すべての発信地だ。


 たいていどんな日に行っても個サルは開催されているし、今となっては顔見知りと言っても過言ではない受付の男性に声を掛ければ、着替え一つでボールを蹴れる環境は整っている。


 聞けば、上級者向けコートは人数の余裕があるらしい。ちょうど良かった。他のクラスじゃむしろストレスだろう、俺も、彼女も、



「あの、陽翔センパイ……?」

「んだよ。着替え持ってねえのか?」

「いえっ、今日はたまたま体育の授業があったので、それは問題ない……というか、いつでも動けるようにシューズ履いてますし、ウェアも持ってるんですけどっ。そのっ、そういうことではなくてですねっ!」


 更衣室の前まで来たは良いが、困惑の色を隠せない様子の市川ノノ。何か言いたげに目線をあちこち泳がせている。



「んだよ。ハッキリ言えや」

「そのっ……ここに来る意味が分からないといいますか……っ」

「やることなん一つしかねえだろ」

「……うぅー。わっ、分かりましたよっ。センパイがそう言うなら、お付き合いしますっ」


 納得が行くはずも無い雑な説明だ。


 首を捻りながら奥へ消えて行く彼女の心境も、察するに容易である。まぁ、遊びだなんだと銘打って凝りもせずボールを蹴ろうとする俺にもだいぶ問題はあるだろうが。



 彼女の予想を裏切るような理由など無い。

 ただ市川ノノを、ちゃんと知りたいだけだ。


 この場所で出会って以来、彼女は未だにフットサル部の相手メンバーでしか無いし、それはHerenciaとサッカー部のマネージャーを辞めてからも変わらない関係である。


 少なくとも彼女に雑用諸々を全て押し付け、このままの状態に留めておく気は更々無かった。他の連中の動向が気になっていたのと、タイミングを見計らっていたという事情もあるにはあるが。


 なにを隠そう、俺と市川ノノは遊びでさえ、同じチームの一員としてプレーしたことが無いのだから。部に加入するとか、友達を作るとか、そんな段階にさえ達していない。



 俺みたいなボール一つ隔てなければ何も分からない想像力に欠けた人間が。まるで真っ当な高校生のフリをして彼女を知ろうだなんて、烏滸がましい。


 にしても煩わしい手を使っている自覚はあるが。これが最大限の譲歩だ。あとはどうしたって、アイツ次第だろ。



 ブルーを基調とした、赤と白のラインが入ったトリコロールのユニフォームを纏い、コートへと現れる市川ノノ。プロチームのレプリカだろう。


 林がジュニアユースの頃に所属していたチームでもある。下部組織同士、何度も公式戦でやり合ったチームだ。


 ほとんどの試合に勝ったのはこっちだったけどな。こっち、という呼び名も既に相応しくないか。



「やっぱりユニフォーム、カッコいいですよねっ。綺麗なグリーンでっ」

「そりゃどうも」

「逆にピンクとか全然似合わなそうですっ」


 何だかんだ、それらしい格好になれば自然とテンションも上がって来ているらしい。芝生の上では、こういう顔が出来るのにな。


 つい一年前まで、俺が全身ピンクのユニフォームに身を包んでプレーしていたことを、彼女はどうやら知らないようだ。

 分かってて敢えて茶化しているという線も考えられたが、彼女の性質上、そういう気の利かない嘘は付けない。付かない、奴だ。


 

 一応、まだ持ってるには持ってるんだよな。下部組織の癖に背ネーム入りのユニフォームだったから、返却しても仕方ないし。


 小遣い稼ぎにネットオークションにでも出してみようか、なんて一瞬だけチラついたけど。それはそれで、小癪だ。まだ峯岸にプレゼントでもした方が幸せな身の上だろう。



 集合を促すホイッスルが鳴り響き、上級コートに集った面々が顔を揃える。大半は知らない連中……当たり前っちゃ当たり前だけど。


 でも、この間の大会で見掛けたような顔もチラホラ。向こうも俺と市川ノノの存在に気付いているようだ。別に挨拶とかせんけど。


 愛莉とやって来たあの日と同じく、円を作って番号でチーム決め。上手いこと順番を読み、市川ノノと同じチームに入ることになった。これが叶わなきゃ、来た意味も無くなってしまう。



「グチグチ言うといて、楽しそうじゃねえか」

「まぁ、陽翔センパイにわざわざ誘って頂いたっていうのはありますねっ。んふふっ、もしかしてセンパイっ、ノノに気があるんですかぁっ?」

「まぁ、多少な」

「……………………はえっ?」


 すっ呆けた締りの無い表情の彼女をスルーし、転がっていたボールを拾って同じチームに入った面々とパスを交わす。今日は特に挨拶も無しか。そっちの方が気が楽でいい。


 申し訳ないが、今日の相手はコイツ一人。

 それぐらいの心持ちで無いと、困るのは俺だ。



「パスは出してやっから。俺だけ見てろ。味方も、相手も気にすんな。好きなだけ暴れて来い。その代わり一点も取れなかったら、ウチの練習からも追い出すぜ」

「…………どういう、ことですかっ……?」


 どうするもなにもない。

 お前が持っているモノ、全部見せて貰う。


 勿論、俺も本気でやるからよ。

 言葉よりも拳で。いや、脚で語ろうじゃねえか。



「やれんだろ、市川ノノ」

「…………あんまり期待しないでくださいよっ?」


 よう言うわ。

 憎たらしいほど自信満々に笑いやがって。




*     *     *     *




 ホイッスルが鳴り、7分一本のゲームがスタート。フットサル部と変わりなくフィクソのポジションに入った俺へ、予め決められた演出の如くボールがやって来た。


 市川ノノは右サイドに張り出している。


 赤色のビブスを纏った相手チームの面々は、彼女の存在をほとんど無視している。恐らく、先の大会で彼女が見せた活躍を誰も知らないのだろう。


 むしろ市川ノノにボールを渡して、はじめのプレーぐらい自由に泳がせてやれという、無言のメッセージさえ感じ取れる。


 特段、構いやしない。

 次回の練習に参加する権利が与えられるだけだ。

 つまるところ、先制ゴールってやつ。



「裏ですセンパイっ!」

「だろうなっ!」


 一気にトップギアに入り、敵陣右サイド深くまで駆け上がる。右脚でライナー性の、弾道の低いロングパスを送り込むと、簡単に対峙する相手選手の背後を取ってみせた。


 若干トラップがもたついたが、許容範囲だろう。

 そのままゴール前へとドリブルで距離を詰める。



 それなりに鋭いパスをどうにか処理した、という事実だけでも、相手チームには予想外の展開だったようで。慌ててゴール前に戻り、市川ノノの対応に追われることとなる。


 だが、彼女は冷静だ。


 ボールとゴールの間に身体を入れ侵攻を遮ろうと試みる相手選手だったが、それすらも予想の範疇と雄弁に語るかの如く、右足インサイドで鋭く切り返し、視野と自由を確保する。


 他の相手選手が距離を詰めていたことも、彼女はしっかり見ていたのだろう。冷静に左サイドへ開いていた味方選手へパス。


 俺はそのままボールを受け取った味方に近付いて、リターンを受け取った。後ろから相手が着いて来ていたが、迫り来る勢いごと受け止めるよう身体を半身に倒し、クルリと入れ替わる。



「おおっ! 上手いなあの5番っ!」

「こないだの大会の優勝メンバーだよ」

「あぁっ、そうそう。唯一の男の子だっけ?」

「本当、優雅にプレーするよなぁ」

「今のキープだって、簡単じゃねえよ」

「あの女の子もベストファイブだったよな?」

「やっぱり上手いよな、視野も広いし」

「今日はあのチームが強敵っぽいなー」


 大会に出場していたのであろう、外から試合を眺めている他のチームの連中が騒ぎ出す。お褒めに預かり光栄だ。悪い気はしない。


 でも、そうだな。俺も良いんだけどさ。

 今日の主役はもう一人居るんだわ。


 なにを隠そう、俺がそう決めたのだから。

 どう足掻いたって、ここは俺たちの独断場。



 マークを外した直後の、ほんの僅かな瞬間。照明に照らされ光り輝く四つの瞳が、やはり似たように輝き、同じ線をなぞる。誰にも止められない、ツーマンショーの幕が上がった。


  

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