211. 損な役回り


「ったく、エライ目に遭ったわ……」


 結局愛莉の元へは戻ることが出来ず、例のパリピ女子たちと残りの作業を共にすることとなった。常に返事を求められて、帰るに帰れなかったのだ。


 しかし、外見が変わった程度で随分な扱いだ。

 終いには連絡先まで交換する始末。


 彼女らのようなグループに多少なりとも認められるには、クラスに馴染むという一点において大きな要素かもしれないが……それ以上に、明日愛莉になんて言われるかの方が怖いんだよ、俺は。



 もうすっかり日も落ちてしまった。

 部活動組と並んでバスを待っている。


 愛莉と比奈は先に帰ってしまったそうで。瑞希と琴音も委員会で忙しいだろうし、今日日に至ってはフットサル部のフの字も出てこなかった。



 久しぶりだな、一人の帰り道も。

 僅かな気楽さと共に、ほんの少しの寂しさ。


 いくらクラスの連中と仲良くなったところで……あれで仲良くなったと決定付けるのも烏滸がましい問題ではあるが。やはり、あの4人でなければ。5人でなければ埋められないものが、確かにある。


 文化祭に向けて頑張るも悪いこたないんだけれど。今の俺にはなにをどうしたって、全てが勉強みたいなものだし。


 ただ、どうしたって5人で過ごす時間の方が圧倒的に楽しいし、気も楽で。早くあのテニスコートに気兼ねなく集まる時間が戻って来ないものかと、それこそどこぞの寂しがり屋みたいなことをずっと考えていた。



 バスがやってきて、大勢の部活組に混ざりステップを踏み越える。結構な混雑ぶりだ。座るのは諦めた方が良さそう。


 最寄りの駅から高校までは、学生専用のスクールバスと市営バスの二種類が出ている。スクールバスは通常の登下校時間にしか走っていないので、こうして下校時間ギリギリまで残ることになると、市営バスを使わなければならない。


 夏休み中はスクールバスが運行していなかったし、フットサル部の活動や文化祭の準備等で遅くまで学校に残っている俺は、未だにスクールバスの恩恵を受けられていない。春は原付で通ってたし。


 かといって、学校までの長い坂道を自転車で登るのも大変だ。最近ブレーキの効きも悪いし、下り坂をノンストップで駆け抜ける勇気も無い。



 人波に押し込まれ、身体を持って行かれる。

 一人席が連なっている、窓側の辺り。


 誰も彼も疲れ切った表情をしているが、言葉が途切れることも無い。楽しそうでいいな。やっぱ同性の友達も欲しいな。死ぬ前には。


 誰かフットサル部の連中か、林か、菊池か、或いは峯岸でもいいからと話し相手になってくれる人間を目線だけで探していると。思わぬ知り合いをすぐ目の前の席に見つける。



「あれ、ノノイチカワ」

「…………へ。あっ……陽翔センパイっ」


 ほぼ真下に座っているようなものなのに、ここまで彼女の存在に気付けなかったのには理由があった。


 薄ゴールドの髪色は何処に居たって目立つだろうに、それを薄手のパーカーのフードで覆い隠していたからだ。少しずつ冷える日も増えて来たし、恰好自体に問題は無いのだが。


 それ以上にらしくない姿とでも言えばいいのか。見慣れない眼鏡を掛け、まぁまぁ厚手の文庫本を拵え、片耳には最近流行っているという無線型のイヤホン。


 見てくれだけで言えば、瑞希と琴音を足して二で割ったような。ともかく、俺の思い描いている市川ノノとは随分かけ離れた姿で、少しばかり戸惑ってしまったのである。



「サッカー部の……じゃねえよな」

「はいっ。クラスの出し物の練習で」


 にこやかな笑みを浮かべた市川ノノは、俺が知っている彼女と変わりないようで、微妙に違う。唯の疲労感によるものかと、はじめは思ったけれど。


 林との会話が脳裏をチラついた。

 らしくないようで、本物の市川ノノ。



「一年はステージやっけ」

「ノノ、悪役なんですよっ。意外にも」

「へぇ、なにやんの」

「ヴェニスの商人です。知ってますかっ?」

「いや、知らん」

「シェイクスピアの喜劇なんですっ。結構人気あるらしいですよ。ノノもやるって決まってから初めて知ったんですけどね。ほら、いま読んでるのも台本なんですっ」


 去年、比奈のクラスがやったロミオとジュリエットもシェイクスピアだったよな。流行っているのか、出し物の定番なのか。どっちにしろ詳しくないけど。



 そのまま一言「頑張れ」とでも挟んで会話を終わらせることも十分に出来たのだが。ただ、なんとなく先ほどまでの寂しさを引き摺っていたのと。


 人が変わったように目を輝かせる彼女の様子を眺めていると、気軽にエライこと言えないなと。そんな気になった。



「どういう話なん」

「えぇー? ネタバレになっちゃいますよ?」

「触りだけでええ、教えろ。教養として」


 予備知識があった方が良いだろ。なんて言葉も添えて。別に観に行くなんて言ってないけれど、彼女はそう受け取ったらしく。ウキウキで事の顛末を語り始める。



「あるところにお金は無いけどコネはあるイケメンがおりまして、お金持ちのお嬢様のところへ求婚しに行こうとするんですけど。でもニートだからお金が無いんですよ。だからお友達の小金持ちに無心して、持参金にしようとするんです」

「クズやな」

「まぁまぁ……それで、そのお友達も今すぐにはお金は用意できないんですよ。ただ、そのうち大金が手に入る予定だったんで、取りあえず知り合いの金融業者さんにお金を借りに行くんです。でも、その金融の人メチャクチャ二人のこと嫌いで」


 楽しそうにあらすじを教えてくれる彼女。


 すると、悪役というのはその金融業者の役なのか。でも聞いている限り、そのニートのイケメンの方が悪役感あるけどな。まぁ黙って聞こう。



「でも、その人……ノノの役ですね。その人は、ユダヤ人っていう理由だけで二人からも、その取り巻きからもメチャクチャ嫌われてるんですよ。まぁそういう時代だったんです。それで、貸してあげても良いけど、もし期限までに返さなかったら、お前をブッ殺すっていう契約を作っちゃうんです」

「そらまた横暴やな」

「で、小金持ちのお友達もオッケー出しちゃって。そのニートとお姫様はなんやかんやあって結ばれるんですけど、予定していたお金が手に入らなくなっちゃって、小金持ちのお友達をノノは捕まえちゃいます。ブッ殺すために」

「まぁ、そういう契約やからな」

「お友達が大ピンチっ! さぁ、ニートとお姫様はどうするのかっ! っていう、そういうお話ですっ」


 なるほど。ちょっと面白そう。


 だが、喜劇というからには、彼女扮するユダヤ人の金貸しは悪役なわけで……最終的には罰せられることとなるのだろう。


 なんとも違和感が残る。そういう時代背景があるにしろ、そのユダヤ人の金貸しを一概に悪役と決めつけるのも、また少し話が違うような。



「……なんか、損な役回りやな」

「悪役ですからねぇ。でも、気に入ってますよ」

「あ、そう」

「なんだか、ノノみたいじゃないですかっ」


 …………お前みたい?


「その人だって、自分のポリシーに則って、普通にお仕事してるだけなんですよっ。でも、ユダヤ人ってだけで馬鹿にされたり、難癖付けられるんですっ。自分のやりたいことをやってるだけなのに。それで助かる人だって大勢いると思うんです……でも、周りからは認められない」


「その人、お話のなかで悪いこと一つもしてないんですっ。確かにお金返せなかったら殺すはやり過ぎですけど、その契約を飲んだのは小金持ちの方も一緒じゃないですか。そもそもニートがこんな話持ち出さなかったら、ノノだってお話に登場しなくて済んだはずなのに……」



 見たことも無い顔した彼女が、そこにいた。


 断じて、彼女は悪役などではない。

 悪役を演じるに過ぎない、それだけだというのに。


 それどころか、彼女はその「悪役とも言い切れない何か」に、自らの姿かたちさえ投影している。



「ノノは……ノノはただっ、自分がやりたいことをやっているだけです。仮に本当は思っていなくても、それで周りが上手く回るなら…………ノノは、なんだってやれちゃいます。やらなきゃって思っちゃいます。ノノ、そういう人間ですからっ」


「でも、たまに分かんなくなりますよ。ノノが、何をやりたいか、なにを望んでいるかなんて。だから、ノノは馴染みます。やることやって、やらなくていいこともやって、馴染もうとしますっ」


「でも、それが理由で、結局駄目になっちゃう……ほらっ、ユダヤ人の金貸しみたいじゃないですか。陽翔センパイも、そう思いますよねっ?」


 全てを達観したようで、最初から観ることさえ諦めているような。そんな瞳をしていた。



 知らない。


 あれだけ眩しく輝いていた瞳が、濁った泥水のように、眼鏡のレンズさえ曇らせている。まるでユダヤ人の金貸しのように。どうにもならない現実を突き付けられた、その姿。


 こんな彼女を、俺は、知らなかった。



 バスが停車場に停まり、人波が漂い始める。

 それに埋もれて、さっさとどこかへ。

 いや、もっと遠くへ消えてしまいそうな彼女。



「ではっ、また学校でっ」

「おい、待てよ」

「…………はい?」

「悪役なんだろ。なら、ちょっと付き合えよ」

「……は、はぁ……っ?」



 本能にも似た何かで、小さな右手を掴んだ。



 そう、付き合って貰う。

 悪役らしく、悪い遊びにな。


 どういうわけか、そんな気分になったのだ。

 寂しさを埋めるなんて、洒落た理由でもない。


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