192. 遠慮なく行きますからっ


 喧騒を一纏めに鍋で掻き混ぜたような混沌の最中。俺と有希は、この場所を訪れたときから変わらず、しっかり手を繋いで駅までの道を歩いていた。


 仮にも告白を断った立場で、よくそんなことが出来るなと言われても仕方ない状況ではある。けれど、先に言い出して来たのは有希の方だし、俺はそれに応えただけで。


 勿論、それを甘んじて受け入れた俺に一切の非があることも重々承知している。ただ数時間前よりよっぽどマシな表情をしている彼女が、横でニコニコと笑うものだから。


 それこそ自分自身の意思だけで、気軽にノーを突き付けるほど強い俺でもなかったという、それだけのことであった。



「……あのっ、廣瀬さん」

「……んっ」

「お返事は…………まだ、先でもいいです」

「……いや、そうは言っても」

「ほらっ、わたし、受験じゃないですかっ」


 さも明確な根拠であるというように宣う彼女であったが、その真意は今一つ掴み切れていない。


 受験を理由にするのであれば、それこそ「勉強に集中できないから」と早期の決着を試みるのが良心的なプランニングでは無いのだろうか、と足りない頭で色々と考えてはいたのだが。



「だってわたしっ、廣瀬さんの後輩になりたくて、山嵜高校に行くんですよっ。フットサル部だって、廣瀬さんがいなかったら……あ、でもそれは言い過ぎかなっ……」

「……後輩って、たった一年だろ」

「一年でもいいんですっ。だって、今は後輩じゃないんですからっ。前にも言いましたよねっ? 山嵜に入って、フットサル部に入るのが、わたしの身の丈に合った目標なんですっ」


 それほどまでに堅い意志と、純粋な瞳を向けられてしまっては、もはや抵抗する余力も残らない。滅多なことは言わないことだ。お達者な彼女には、出まかせもごまかしも通用しない。


 駅が近付き、バスターミナルまでの一本道は更に窮屈さを増していた。それでも決して見失わないように。手放さないようにと、一層手を強く握り締める彼女。


 確固たる信念さえその左手から伝わって来るようで。遮るものと言えば、身体内から滴り落ちる汗ぐらい。どちらの掌から流れているか分かったものではないが。



「……それに、もし……もし高校に進学する前にフラれちゃったら、わたしっ、ちょっと立ち直れないと思うので……だからっ、廣瀬さんは困っちゃうと思いますけど……これは、わたしにとっての保険でもあるんですっ。なので、長い目で見て頂けると……っ」


 照れ隠しの代わりに、名も知らぬライダーが相も変わらずこちらを見つめている。正確に言えば、目の部分は空いているから俺を直視するものなんて彼女の髪の毛くらいのものだけど。


 母親譲りの淡いオレンジブラウンが、よく映える。街灯に照らされてさえしまえば、いよいよその美しさは隠し切れない。


 勿論、ただの一人だけでも十分に輝いて見えている。他人に支えられっぱなしの俺とは違って。



「……そういうことなら、まぁ、うん」

「……入学前に、オーケーでもいいんですよっ?」

「そこまで保証は出来ん。ホンマに悪いけど」

「そうですよねっ……」


 何故だろう。

 そんな他愛ない一言にさえ、胸がざわつく。


 不思議な感覚だ。今までだって、彼女のことを可愛らしい女の子だと、全く思わなかったわけでは無いし。異性として意識してしまったことも、ゼロでは無い筈なのに。


 どういうわけか、こうして面と向かって気持ちを伝えられたいま、彼女が。有希のことが、どうしようもなく愛おしく感じられて仕方ないのだ。


 なんなら、ふとした拍子に「好きだ、付き合おう」なんて軽薄な一言を吐いてしまいそうになるくらい。恐らく、俺がこの世で最も嫌悪している言葉の一つに数えられる。


 つくづく経験と知識の無い、凡庸な男だ。

 ちょっと本気を見せられたからって。

 すぐ日和りやがって。浅はかな奴め。



「……ちょっとだけ、意地悪なこと聞いてもいいですか?」

「……なんなりと、どうぞ」

「まぁ、そのっ、わたしも聞きづらいことではあるんですけれどっ…………フットサル部の皆さんのなかで、気になってる方だったりとか……いるんですか?」


 言葉通り、ちょっぴり不安な面持ちで仮面のなかからこちらを覗く有希。なら聞かなきゃええのに、と茶化すのも、野暮な話か。



「…………分からん。分からん、けど」

「けど?」

「顔は、琴音が一番タイプ……らしい」

「らしい……?」

「いや、ホンマに分からんって。俺も言われて気付いたんだよ。何の気なしにアイツのこと褒めとるらしい……自覚が無いわけでもないんだけど……」


 俺とて女性に対する認識能力が枯渇しているわけでは無いのだ。多分、4人の内面的な情報無しに、彼女たちの顔写真だけ見せられたら、琴音を選ぶんだろうなとは思う。


 どこが良くて、どの部分が好きとかは知らん。

 普通に可愛いと思ったから、他に理由とか無い。



「確かに楠美さん……すごくこうっ、お嬢様っていうか、上品なイメージはあるかもですっ。私も男の子だったら、気になっちゃうかも」

「……案外おもろい性格しとるで」

「それも、なんとなく分かりますっ」


 年下にさえ気を遣われる中身とは。

 精進しろ、琴音。



「顔ならってことは、性格なら違うんですか?」

「……一緒におって落ち着くのは、比奈、かな」

「あ~~! それもっ、分かるかもですっ!」


 出会った当初の印象のままだったら、もうちょっと惹かれることもあったんだろうけど。最近、ますます小悪魔から悪魔に昇格しつつあるからな、アイツ。あれはあれで、好きなんだけど。



「金澤さんはどうなんですかっ?」

「興味津々やな」

「だって、気になりますからっ!」


 元気やなコイツも。さっきまで泣いとったやろ。

 

 瑞希、か。瑞希ね。多分、俺が考えている友達のイメージには一番近いんだろうけど。


 でも、ここ最近で色々あり過ぎて……不思議な奴なんだよな、アイツも。一緒に居ると落ち着くようで、全然落ち着かないというか。ちっとも退屈しないのは本当のことだが。



「瑞希は、あれや。人間的に俺と接点無さ過ぎて、逆におもろいっつうか。たまに、いや、基本メンドイけど。良い奴だけどな」

「……ツンデレですか?」

「ちゃうわ。おまっ、そんな言葉どこで覚えた」

「常識ですよっ?」


 サラリと躱しやがって。

 なんで俺の方が余裕無いんだよ。



「……でも、ちょっと意外かもです。てっきり長瀬さんのこと一番に話すのかなって。フットサル部に入った理由も、長瀬さんに誘われたからなんですよねっ?」

「……そりゃまぁ、そうだけど」


 意図的に彼女を避けていたのは、否定できない。


 この夏で一番印象的な出来事でさえあった。

 今日の有希で、ツートップになったけどな。



 でも、どうなんだろう。本当にアイツ、俺に似過ぎてて気持ち悪いんだよな。男だったら絶対に仲良くなってないタイプだわ。まぁそもそも男友達おらんけど。


 だが残念なことに、その前提は全くもって意味を成さない。何故なら、彼女もまた可愛らしい女の子で、悔しいほど彼女に惹かれている自分が確かに居るのだから。


 愛莉が傍にいない日常は、ちょっともう想像できない。俺に足りなかったものを、全て埋めてくれているようで。



 無論、彼女に限らず、フットサル部の連中は俺に必要なモノを少しずつ持ち寄っているような存在で。なんとか俺が俺たるように支えてくれている、四肢みたいなものだ。


 で、顔だけ取っ付けて廣瀬陽翔が完成するという仕組み。嫌なモンだね。最後の最後にパーツを組み違えている。



 けれど、そういう風に考えるのも、もう失礼か。五体揃った俺をこれだけ好いてくれる、彼女が居るのだから。



「……だいたい分かりましたっ」

「なにが」

「私に足りないところとか、色々と、ですっ」

「……そっか」

「フットサル部に入りたい理由、また一つ増えちゃいましたっ。廣瀬さんがこんなに大好きな、フットサル部の皆さんの後輩にもなってみたいし……一緒のコートで、試合もしてみたいですっ」


 あんまり期待し過ぎるなよ。

 とは言わないけれど。ほどほどにしとけ。

 すぐ調子乗るんだからアイツら。


 …………いや、本当になにしてるんだよあのアホ共は。いつから居るのか知らねえけど、バレバレだからな。



 長い行列を抜け、駅の階段が見えて来た。


 すぐ傍に大挙して押し寄せる車の待機列に、早坂家の車もあるそうだ。俺はこの駅が最寄りだし、遅い時間に浴衣姿の中学生を電車に乗せるのも少し危ないだろう。懸命な判断だ。


 ただ、彼女は少し、寂しそうにしているけれど。



「…………今日は、ありがとうございましたっ」

「こちらこそ、誘ってくれてあんがとな」

「……廣瀬さん、本当に素直になりましたねっ」

「あ? 今までが我が儘みたいに言うなや」

「そうじゃないですよぉっ…………あ、でも……」


 何かに気付いたような素振りで、両手を合わせ口元を僅かに抑える。溢れ出した微笑みは、どうしたって喜びに似たものを隠し切れていない。



「前より廣瀬さん、意地悪になったかもですっ」

「え……あぁ、うん、ごめん」

「良いんですよっ! そっちの方が嬉しいのでっ!」

「……お、おお」

「やっぱり、今日、伝えてよかったですっ!」


 あらゆる喉のつっかえが取れたと言わんばかりの、晴れやかな笑顔。その理由を、俺みたいな人間はしっかり聞いておくべきなのかもしれないけれど。


 まぁ、良いだろう。当人が満足なら。



「またっ、面接の練習、付き合ってくださいねっ」

「おう。練習ない日なら、いつでも呼べ」

「はいっ! わたしも、遠慮なく行きますからっ!」


 どこに、なにしに行くつもりなんだよ。


 別にええけどな。付き合ってやるよ。

 それで、お前が前に進めると言うなら。


 どこまでも、とことんな。



 笑顔のまま手を振り、車の戸を開け姿を消す。同じように手を振り返し、車はすぐ近くにある高速道路の出入り口へと消えて行くのであった。

 





「で、いつまで続けんだよ。その下手クソな尾行」


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