181. 蕩けた笑顔


 Herenciaのゴールクリアランスから試合が再開。相変わらず足取りの重い面々のなか、再び勝利への闘志を燃やし始めた少女が一人。



「こっちですっ!」


 鼓膜を貫くような甲高い声と共に、自陣まで全速力で帰還しボールを受ける市川ノノ。サイドの女性選手にダイレクトで預け、そのままグッと芝生を踏み込み、もう一度こちらの陣地へ駆け上がる。


 そう言えば、今日初めてかもな。

 こうして彼女が、自身の意思でパスを受けたのは。


 そして、りふり構わずボールを要求するのも。

 先ほどまでの余裕綽々な様子とは大違いだ。


 まったく、出来るなら最初からやれっての。

 一点をせめぎ合う攻防は、こうでなくちゃな。



「愛莉ッ、チェック!」

「なに焚き付けてんのよっ、ばかぁっ!」


 怒り気味で声を飛ばす愛莉だが、そういうお前も。ちょっと笑ってんじゃねえよ、良い顔しやがって。



 さて、Herenciaから向かって左サイドでボールを受け直した市川ノノ。そのまま瑞希と入れ替わって、愛莉が彼女のマークに入る。


 だが、一人で強引に攻め切ろうとするほど、軟な目を持っているわけではない。愛莉の一瞬のスキを突き、最前線の13番へくさびのパス。


 身体を当てて応戦するが、上手く前に入られる。

 なるほど、最後の力を振り絞るってわけか。


 なら、見せて貰おうじゃねえの。

 お前らの、チームとしての強みってやつをな!



「リターンですッ!」


 サイドを駆け上がっていた市川ノノにボールが戻る。そのまま愛莉も付いていくが、僅かに出足が早い。前へのスペースを制限する前に、右足アウトサイドで鋭く切り返し、中央への視界を確保する。


 逆サイドへ横断するような、ミドルレンジの浮き球のパスが入った。交代で入っていた11番の男性選手に通り、これには瑞希が対応。


 足を出して一気に奪い取ろうと画策するが、上手く足裏でボールをズラして反転。距離はやや遠いが、左足で狙って来る。


 しかし、これを読んでいた比奈。

 すぐにブロックに入り、ボールが零れる。


 これに反応した市川ノノ。

 素早くスコップし、一気にゴール前へ前進。


 再び愛莉が身体を寄せるが……。



「お任せしますッ!」

「なっ……そっち!?」


 ここは市川ノノが一枚上回る。


 愛莉の右足が伸びて来たと同時に、股下を通す巧みなスルーパス。サイドに流れて行ったボールを拾ったのは、自陣から駆け上がって来た女性選手だ。


 足元はやや覚束ない様子だが、それでも確実にボールを前へ運ぶ。ペナルティーエリアに入る少し前、身体を開いて、右足で流し込むようなシュート!



「あっ!?」


 焦燥に満ちた声を上げたのは、ゴレイロの琴音。


 シュート自体は威力も弱く、コースも甘かった。

 しかし正面に飛び過ぎたせいか、キャッチミス。


 女性選手のこれまでの動きを見て、少し楽に撃たせても琴音なら止められるだろうと考えた故の、策略的な甘いマークだった。


 それにしっかりキャッチするにしても、零れ球を拾うにしても。市川ノノや13番にラストパスを出されるよりかはカウンター攻撃に繋がりやすいと思ったからだ。


 だが、よりによって。

 いくらこの試合、ずっとそうだったからってよ。

 

 こうも都合よく。

 本当に市川ノノの前に零れて来るとはなっ!



「いただきますっっ!」

「させるかぁっ!!」


 一気にボールへの距離を詰める彼女。

 愛莉の寄せは、僅かに間に合わない。


 そう、間に合わないのだ。


 愛莉は、な。

 


「のわあっっ!?」


 間一髪、彼女がボールに触れる前に下から掬い上げるように足を上げ、ボールを救出する。あまりバウンドしないから少しばかり焦ったけど、上手く行った。


 そりゃあ、お前。撃たせるかよ。

 最後はお前のところに来るって、信じてたわ。



「行けッ、比奈っ!!」


 クルリと反転して、右足でロングフィード。

 前線に攻め残っていた比奈へパスが通る。


 慌てて自陣へ退散するHerencia一同。どうにか比奈の前に11番が入ってドリブルでの侵入を阻むが、ここは彼女も冷静。左サイドを駆け上がる瑞希へ落ち着いて横パス。


 スピードに乗ったまま、一気にペナルティーエリア内へ。

 左足を上げ、豪快に振り抜く!



「んにゃろっ!」

「比奈ッ!」


 ゴレイロの出した左足に当たり、阻まれる。

 だが、零れ球はそのまま比奈の足元へ。


 そのまま撃ってみるのも悪くない選択肢だろう。だが、既にHerenciaの選手たちは帰陣しており、前には13番も待ち構えている。


 さあ、どうする。

 なにを選択する……ッ!



「――――って、俺かッ!」


 右足の踵を使って、後方でフォローに入っていた俺へバックパス。お前、後ろの状態もロクに確認しないで、ようそんなリスキーなことやるなッ!



(……いや、でも、比奈なら……ッ)


 俺が後ろに居るの、分かって出したのか?


 瞬間、彼女はこちらへ振り返って。

 声にならない声で、唇をそっと動かすのである。



「…………やっぱり、いたっ……♪」



(――――っ……コイツ……ッ!)


 おいおい。いよいよ覚醒かよ、比奈。


 夢魔のように蕩けた笑顔、デート以来久々だわ。

 まさか芝生の上でも、その表情を拝めるとはな!


 何よりお前、空気読め過ぎなんだよ。

 比奈にお膳立てされる日が来るなんて!



「撃って来るぞッ!!」



 誰かが叫んでいる。

 相手の選手か、コート外の観衆か。


 だが、俺のやることは変わらない。

 このボールを、渾身の左脚で叩き込むだけ。


 勿論、狙いはあのゴールマウス。

 試合を決定づける、完璧な一撃!


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