180. ノノは怒りました


 Herenciaのキックオフで試合再開。


 一気にゴール前まで迫って来るかと思われたが、ボールは最後尾まで下がる。どうやら急がずに自陣から組み立て直すスタイルを選択したようだ。


 だが残り時間もさほど残されていないのにも拘わらず、やや悠長な気がしないでもない。それとも最後まで13番に長いボールを当てて展開するやり方を貫くのか。



「愛莉ッ、やり切るぞっ!」

「了解ッ!」


 再びフィクソの位置に戻った俺が声を掛けると、最前線の愛莉がボールホルダーへとプレスを掛ける。あくまでもプレッシャーを与えるため、問題はボールを展開されたその後の守り方だ。


 ところが、ホルダーの動きはどうにも怠慢で。


 斜め前方に出されたパスは、それこそ本当にプレスを回避するためだけの、逃げ腰で発展性の無いパス。これを味方が拾い切れず、そのままこちらの陣地でフットサル部のキックインに。



(……糸が切れたか……)


 Herenciaの足取りは、失点を境にそれはもう、露骨に遅くなっていた。今のプレーにしたって、これまでなら何の問題も無くパスを繋いでいた場面だろうに。


 これが守備に重心を置くチームの弱点でもある。相手の攻撃を逆手に取ったリアクションで試合を展開していくのだから、自陣に引っ込まれれば打つ手も無くなってしまう。



 だが、フットサル部の前線からのプレッシャーは、依然としてスイッチが入ったままだ。つまり、これまで通りのやり方で同点に追いつくチャンスも、彼らは十二分に作ることが出来る。


 なのに、動かない。

 否、動けないのだろう。


 ここに来て13番が、完全に止まっているのだ。


 前線で起点となるプレーのほとんどを任されていた彼の動きが、試合終了間際のここに来て止まってしまうのは、まぁ分かり切った話でもあった。


 加えて、俺がマンマークに付いていたようなものなのだから。体力的な消耗に相まって、メンタル的な疲弊も相当だろう。


 このタイミングで再びフィクソのポジションに戻ったのは、そういう理由もある。前半の膠着状態も記憶に新しい今、俺が最後方に構えるということ。

 そして愛莉が前線からプレスを掛けるということは、この一点を守り切ろうとしているという意思表示でもある。


 つまるところ、手詰まりだ。

 どう足掻いても効果的な一手にはならない。


 試合再開から僅か数秒のワンプレー。

 たったこれだけで、Herenciaは確実に折れた。



(……まぁ、打開策が無いわけでも)


 唯一、同点へと近付くアイデア。

 彼らも理解していない筈は無いだろうが。


 市川ノノは試合再開からここまで、一度たりとも全力で走ろうとしない。これまで見せていた、相手のスペースを見つけ出すポジショニングではない。ただただ、ふらふらと歩いているだけ。


 少なくとも今までの彼女は、試合の一歩、二歩先を読んでここぞという場面でボールを受けるために、何度も何度も位置取りを動かしていた。


 今ならそれが分かる。

 あれは、ただのサボり。怠慢だ。


 しけた面でチンタラ走りやがって。

 先制されただけでこれか。つまんねーの。



「比奈っ、もう一度っ」

「お願いっ!」


 キックインからそのままサイドの比奈に展開し、彼女に近付いてもう一度ダイレクトでボールを受ける。プレッシャーは、ほぼほぼ皆無と言っていい。


 さっさと終わらせるか。

 こんな張り合いの無い試合、誰も観たくねえだろ。



「ぬうぉっ!?」

「お疲れさんっ」


 やっとの思いで距離を詰めて来た13番の右脇を、一気にスピードアップして抜き去る。コートの外からは歓声が漏れた。そういや、こんだけ派手に仕掛けるのは今日初めてだったかな。


 そうなんだよ。

 俺、今日なんもしてねえんだわ。

 いい加減、目立ちたいんだよね。



「行っちゃえハルっ!」


 心配無用。元よりそのつもりだ。


 慌てて中央のスペースに蓋をしに来た女性選手も、ワンタッチであっさり抜き去る。愛莉のマークに着こうとしていた男性選手も身体を寄せて来るが……あぁ、もうフラフラだな、アンタも。


 藁にも縋る思いで投げ出して来た左脚ごと、ボールと共に飛び越える。これまでのロースコア、堅い守備網が嘘のように、いとも簡単に決壊した。


 まぁ、相手が疲れてるってのもあるけど。

 ちょっと諦めるの、早過ぎるんじゃねえの?



(いけっかな)


 再び飛び出してくるゴレイロ。


 少し無謀なチャレンジだろう。

 こちらが余裕を持って撃つだけの時間もあるわけで。



「わーおオッシャレーっ!」


 感嘆の声を上げる瑞希。

 悪い、少しパクらせてもらった。


 サッカー部戦で彼女が林を抜き去ったときに使った、踵を使ってボールを浮かび上がらせる、ヒールリフトという技だ。


 ドリブル中で勢いの付いたボールを浮かすのは中々に難しいが、大して高く上がらなくても問題は無い。身体ごと止めて掛かろうと、ゴレイロは体勢を低くして飛び込んで来ているのだから。


 ほんの少しで良い。

 どうせ、アイツほど綺麗には決まらないし。



「あらっ」



 とか言っていたら本当に決まらなかった。


 技そのものは綺麗に決まって、ボールはゴレイロの上空を通過して行ったんだけれど、むしろ高く上げ過ぎてしまって、ゴールマウスを捉え切れなかったのだ。


 バーの僅か上を通り過ぎ、ネットに乗っかってしまった。コート外から溢れ出たどよめきが、ため息に変わる。



「ちょっ、舐めプすんなハルッ! 決めろや!」

「わりぃ、調子乗ったわ」

「パクっといて決めねえとか殺すぞテメーッ!」

「別にお前専用ってワケちゃうやろ……」


 ともかくお怒りの様子の瑞希をなんとか宥めて、すたこらと自陣へ帰還する。怖い怖い。次はちゃんとやろう。



「……上手い、ですねっ」

「まぁな。惚れ直したか?」

「いえっ…………むしろ苛々してます」


 いつの間にか隣に立ってた市川ノノが、無表情のままそう言葉を返す。まぁ、分かってて敢えて近付いたんだけどな。お前のそういう声が聞きたくて、つい。



「わざと、外しましたね」

「まさかっ……そんな芸達者なこと出来へんわ」

「仮にそうだとしても……ノノは怒りました」

「ああ、そりゃそうかい」

「余裕ですね。もう勝ったつもりですか?」

「今のままならな」


 バレてたか。まぁええわ。

 それで少しでも、本気になってくれるなら。

 多少の犠牲は厭わない。


 何だかんだお前の対応に四苦八苦していた前半も、結構楽しかったんだよ。だからせめて、最後まであれくらいのペースで来て欲しいんだよね、こっちも。



「お前さ、勿体ないわ。ホンマに」

「なにが、ですかっ?」

「全部や、全部。あんな楽しそうにボール蹴るのに、自分のためでも、味方のためでもないとか、心のバランスおかしなっとるやろ。もっとシンプルにやりいや」

「……分かったような口を……っ!」

「利くんじゃない、って?」


 

 いいや、分かるね。市川ノノ。

 お前さ、そっくりなんだよ。


 誰のためでも、はたまた自分のためでもなく。

 ある筈も無い幻想に捉われて、走り続けていた。


 あの頃の俺に、そっくりだよ。



「――――勝ってみろよ。俺が欲しいんだろ?」

「…………やってやろーじゃないですかっ」


 そうそう、そういうのだよ。


 また見れて嬉しいよ。

 その憎いほど可愛いらしい顔。



「後悔しても遅いですからねッ! センパイッ!」


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