179. いえいっ
天と地を黙々と支配し続けていた青雲が、わずか数秒の合間。
眩い太陽の輝きによって、貫かれる。
少し大きくなったファーストタッチは、状況を見越してた上で敢えて繰り出された、意図的なモノだろう。ワンタッチで中央に切り込んだ彼女を、相手ディフェンスは捕まえ切れていない。
弾け飛んだ水滴が、ゆったりと滴り落ちる。マリーゴールドの花弁の先に、彼女が捉えたものは。
白い歯をチラつかせ、不敵に笑う。
思い出すな。出会ったときも、そんな顔して俺からパスを受け取ったことを。そして、二人の間に生まれた、完璧なゴールを!
「――――行くよっ♪」
中央に空いたスペースに向かって、一気に切り込む。堪らず3番が飛び込むが。
腰を低く降ろし、スピードに乗ったまま脇下をスルリと抜け出す。男子と比べれば体格差は歴然たるものがあるが、あれだけ低い位置から突っ込まれれば一溜まりも無いだろう。
蓄積した疲労は、どう抗おうにも身体の自由を奪って行く。この時間帯、この暑さを前に、重心を下げた粘り強い守備など幻想にも近い。
「そのままだッッ!!」
ゴレイロとの一対一。ドリブルごと阻止しようと、相手も前に出て来る。
流石にゴール前ではスペースが限られること。そしてスピードに乗ったままエリアに侵入したこともあり、時間的、空間的な余裕は見受けられない。
身体を捻じ曲げながら、つま先をボールへ必死に伸ばす。
先に触れるのは、どっちだ……ッ!?
「瑞希ッッ!!!!」
先に触ったのは、彼女だ。
だが、ゴレイロとの距離が無さ過ぎる。
つま先一点に込められた渾身のシュートは、ゴレイロの胸元に当たり、弾き返される。同時に二人は交錯し、芝生に倒れ込んだ。
不規則な回転を描き、空中をフライト。
これを拾えば、一点モノだ。
そのままボールへと突っ込む。
いや、突っ込もうとした。
けれど、途中で足を止めてしまった。
なんというか、俺じゃないと思った。
むしろ、初めからこれが狙いだったとすら思う。
この試合、何度もフットサル部の前に立ちはだかったゴレイロの壁を避けるために。あの小さなゴールマウスをより確実に、的確に捉えるために。
彼女の献身が、必要不可欠だったのだ。
そして、この捨て身のアシストは。
お前なら、確実に決めてくれる。
ここまでお膳立てしてやったのだから。
そんな、ぶっきらぼうな声が聞こえて来そうなくらい、ある意味`信頼し切った`最高のラストパスであると、五臓六腑さえも訴えるのだ。
(――――――――比奈ッッ!!!!)
落下地点へと突き進む彼女。
だが、相手も呆然と眺めているだけではない。先ほどまで隣に居たはずの市川ノノが、比奈の背中を追い掛けるように地面を蹴る。
ユニフォームに伸びる黒い影。
恐らく、また引っ張って止めようとしている。
だが、それがどうした。
その程度で、このチームの。
俺たちの心臓を、止められると思うな。
振り上げられた右脚。
僅かに宙を舞う、しなやかなライン。
ネットが揺れるよりも、ずっと早く。
コートのあちこちから、歓声と悲鳴が爆発した。
「…………やっ、やったあっっっっ!!!!」
地面に倒れながら、拳を控えめに掲げ、声を上げる比奈。スローモーションビデオが解除されたかのように、俺も、愛莉も、琴音も。倒れていたままの瑞希も全速力で駆け寄る。
「ようやった!! ようやったで比奈っっ!!」
「比奈ちゃんっ!! すごいっ、すごいよっ!!」
「やりましたねっ、比奈っ!!」
「美味しいとこ持ってたなぁ、おらっ!!」
「いっ、痛いっ、痛いッ、痛いってみんなぁ!?」
なんのブレーキも無く飛び込む一同。
思いっきり上から乗り掛かっている。
主に瑞希と俺が重しになっていたようで、歓喜とはまた似て異なる絶叫を上げる比奈。五人のあまりの狂乱振りに、主審も慌ててホイッスルを鳴らし解散を促してくる。
それでも暫く喜びを分かち合っていた俺たちであったが、ごった返しのなかから飛んで来た右ストレートが頬を掠めたことで、ようやく我に返るのであった。
「重いのよばかッ! 死ぬかと思ったわッ!」
「あ、悪い悪いっ……え、怪我とかしとらんよな」
「危うく捻るとこッ!」
ようやく解放される愛莉。
あぁ、おもっきり愛莉に乗っかってたのか。
右手を掴ませ、その場に立ち上がらせる。続いて比奈も。一応、後でもっかい謝ろう。またやってしまった。セクハラだろこれ。
「……しっかし、よう反応したな」
「もしかしたら、ボールが来るかなあって」
「……やっぱり狙っとったか」
一足先に立ち上がっていた瑞希が、してやったりという様子でニヒルに笑う。
やはり、ゴレイロにボールを当ててリバウンドになるよう、わざと突っ込んだのか。大した奴だ。
「今日は助けられっぱなしやな」
「まっ、あたしにしてみればこんなモンよ」
「怪我は?」
「肘がいてー」
「前半のやろ、それ」
出なければ、そんな気前のいいハイタッチが出来るか。調子の良い奴め。後でしこたま褒めてやる。
いやしかし、ファインゴールだった。
右足の甲で力強く叩いたボレーシュート。
いったい、いつどこで覚えたのかと問い質したくもなるが。よくよく考えれば、ボールを蹴り出したときからキックの練習を日々欠かさずこなして来た比奈。
その練習の成果が、この上ない最高の場面で発揮されたということだろう。それにしたって、あれだけジャストミートさせるとはビックリだけどな。愛莉にも劣らぬ強烈な一撃だった。
「わたしもっ、いえいっ」
「んっ」
瑞希とは違う、控えめな可愛らしいハイタッチ。
だから言っただろう。このチームの心臓は、俺でも瑞希でも、愛莉でもない。彼女だ。周囲をよく観察し、ここぞという場面で現れる機転の良さ。
まだまだ体力、基礎技術には不安こそ残るものの……もしかしたら、このチームの誰よりも大化けするかもしれないな。いや、もう進化は始まっているのかも。
最後まで自分の足を信じて走り抜いた彼女の献身性が、フットサル部らしい、俺たちらしいゴールを生み、そして自ら結果を呼び込んだのだ。
「ねえ、陽翔くんっ」
「ん?」
「褒めてっ」
「……え、褒める?」
「頭、ポンポンって。それだけでいいから」
自陣に戻りながら、隣を歩く比奈がそんなことを言う。
「……こ、こうかっ……?」
「んっ……んふふっ、うん、ありがとっ」
「お前、決めたときより嬉しそうやな」
「そんなことないよっ」
満足そうにしているなら良いのだが、ぶっちゃけて言えば既にゴール前へ帰陣した琴音がすっごい形相で見つめて来るのが目に入って、割と控えめになってしまった俺であった。
お前はさっきやってやっただろ。我慢しろ。
あ、いや、違うか。
大丈夫やって。比奈取ったりせんから。
さて、残り時間も2、3分といったところ。
ここからの進め方も、考え物だな。
大会規定によれば、延長戦は無く同点の場合はそのままPK戦となる。琴音を信頼していないわけでは無いが、男子のノープレッシャーのシュートを止めろと言うのは無理な相談だろう。
となれば、この一点を守り切るのが最善ではあるが、どうしたものか。
「パワープレー、来るかしら」
「いや、無いな。用意していない」
愛莉の何気ない呟きに即答する。
Herenciaのベンチワークを見ていても、それらしい動きは見られない。元々、自分たちで繋いで崩すようなチームでは無いだろうし、それはそれでリスキーだろうからな。
むしろ、地域レベルのチームがパワープレーを想定した戦術を用意しているとも限らないし。ここは大人しく、地道に守り続けるのが得策だろう。
「……あのさ」
「あん、どした」
「大会始まる前に言ったこと、覚えてる?」
俺が言ったこと?
なんだったっけな、忘れたわ。
ああ、いや、嘘だって。
ちゃんと覚えてるよ。宿題、出してたな。
「……無理はすんなよ、一応勝っとるんやからな」
「いま、他のチームの人と同点なの」
「……じゃ、駄目押しっつうことで、頼むわ」
「勿論、ハルトがアシストしてくれるんでしょ?」
当たり前だろ。
まだまだ、やり残したことがあるからな。
俺たちの本気は、こんなもんじゃない。
ウチのエースの実力、ちょっと見てけよ。
だからさ、市川ノノ。
そんなおっかない顔しねえで。
もっと楽しそうにしろって。
【後半8分16秒 倉畑比奈
フットサル部1-0Herencia】
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