174. ここしかねえだろ!


 がんじがらめのままになっていた試合が、俄かに活気付き始めていた。


 ボールポゼッションこそ相変わらずこちらが握っているが、Herenciaは徐々にプレスの強度を上げている。忙しなくコートを縦断する小さなボールは、駆け回る10人のなかで誰よりも多く汗を搔いているようにも見えた。


 恐らく、というか間違いなく大きな要因だろうが、Herenciaの選手がゴレイロ含め何人か交代したのが原因である。体力的にも余裕があることだろうし、ホルダーへのチェックは明らかに早くなった。


 勿論、少しプレッシャーを強く受けた程度で我を失うほど腐ってはいない俺だったが、問題なのは愛莉と比奈。


 交代要員の有り余る活力と、徹底した監視の余波をモロに喰らうわけだから、致し方ない部分もあるけれど。パスが上手く収まらない。



「ハルっ、フォローっ!」

「分あっとらァ!」


 相手のプレッシャーに遭い、セルフコントロールを失い掛けた左サイドの比奈へ接近して、スイッチ気味にボールを受け持つ。


 そのままサイドを僅かに直進し、早めに中央ゴール前の愛莉へ斜め前方へのパス。しかし、交代で入った11番の男性選手の巧みなブロックで自由を奪われた彼女は、ファーストタッチに失敗。ボールをクリアされる。


 センターサークル付近で13番と瑞希がマッチアップ。どうにか前だけは向かせまいと、必死に身体をぶつける。



(そこかッ!)


 またも、コイツ。

 こんなとこばかり、出て来やがる。


 ワンフェイク入れて13番が出した横パスは、俺の背中越しに現れた市川ノノへと通るところだった。そのまま彼女に渡っていたら、パスを受けた勢いのままゴール前まで侵入されていただろう。


 なんとか戻ってパスカットに成功し、一旦ゴレイロの琴音まで戻す。久々の仕事だっただろうが、この辺り彼女も冷静で、落ち着いてコントロール。近付いて行った俺へ少ないタッチでボールが戻って来る。



(どこに隠れとんやコイツ……ッ)


 何気ない一連の動きではあったが、危なかった。


 彼女が13番のポストプレーの反応し抜け出そうとしていることに気付いたのは、パスが出る前の、本当に僅かな、些細なきっかけで。


 すぐ近くの比奈が「あっ!」と口を小さく開けて、何かを視線だけ追い掛けている様子が偶然目に入ったものだから、市川ノノの動き出しに気付くことが出来たのだ。



 比喩でもなく、音も無しに忽然と現れる。ランニングフォームの影響だろうか。芝生とシューズの擦れる音が、全く聞こえないのだ。


 大抵、誰が何処にいて、どのような動きをしているかは、足音と息遣いに集中すればなんとなく把握できるものではある。まぁ俺だけかも分からんけど。


 しかし、市川ノノにはそういったある種の存在感が、ボールに触れているとき以外、全くと言っていいほど皆無で。


 いつも誰かの影にでも隠れていて、チャンスになるとき、失点のピンチになったときだけ現世に戻っているのではないかと錯覚させられるほど。



(予知能力でも持ってても驚かねえな……)


 今のプレーにしたって、俺が最後方から離れ、ゴール前のリスクマネジメントが疎かになったタイミングを見計らったものである。


 試合の流れ。機を読む力とでも言えばいいのか。

 優れた観察眼は、まさに脅威そのもの。



 では、彼女の影響かを抜け出すにはどうすれば良いのか。方法としては二つある。


 まず、彼女のポジションを一気にスキップして攻め入る手段。例えば、俺が後方からロングシュートを放ったり、最前線の愛莉へ放り込む形だ。市川ノノのポジショニングが効果を発揮する前に、決定機を作り出す。


 もっともフットサルの小さなゴールマウスにゴレイロが待ち構える状態では俺と言えども難易度は高いし、愛莉にしたってこの試合は徹底したマークに遭っているのだから、あまり効率的な手段とは言えない。



 二つ目は、前もって市川ノノを潰しておくこと。


 潰す、とは決してラフなプレーで試合続行不可能にするなどという野蛮な話ではなく、敢えて市川ノノのいるところから攻め入るというもの。


 いきなり現れてボールを掻っ攫って行くのであれば。意図的に彼女と、俺たちの誰かを対峙させるような状況を作り出し、彼女を出し抜いてから攻撃を組み立てれば良いというわけだ。



 ただ、特定をマークを持たず、コートを浮遊霊のように彷徨っている手前、その状況を作り出すのは極めて難しい。


 どうにかその存在を視野に捉えたと思ったら、試合と全く関係ない位置。例えば、俺が右サイドよりでボールを持ったら、反対サイドの、こちらの陣地でゆったり歩いていたりするんだな、コイツ。


 わざわざそっちに突進して。というのも効率が悪すぎる。幾らキーマンとはいえ、そこまで労力を掛ける必要も。



「ハルっ、チェンジ!」

「任せたっ」


 瑞希が掛け声と共に近付いてくる。

 そのままボールを渡し、俺は左サイドへ開く。


 並び立つように、瑞希が自陣、最後方へ移動。

 変化に気付いた比奈も、位置取りをやや高めに。

 

 システムを変える、というほど大した話では無いが、何度か練習中にも試していた形である。逆台形方、2-2の形に瞬間的にシフトすることで、相手のマークを分散する狙いだ。


 俺と瑞希が自陣でボールを持ち、ポゼッション、縦パスの質も共に安定する。前で受けるポストの役割を比奈にも科すことで、攻撃の起点も増えるという算段。



 ただ、前への推進力はやや失われる。適度に前の二人へパスを出さないと、オフェンス、試合の流れそのものが停滞しかねない。


 前後二人でボールポゼッションを分断されるような形は何よりも避けなければならない。フィールドプレーヤーはフットサルが男オレ一人、Herenciaは二人である以上、フィジカルを押し出した競り合いになれば劣勢は免れないからだ。



「瑞希、ライン下げるぞッ」

「あいあーい!」


 自陣ゴール前で横パスを繋ぐ。

 ペナルティーエリアをボールが横断。


 それと連動して、Herenciaもプレスラインを上げて来る。もう前半の残り時間も僅か、ここでボールを奪うことが出来れば一点モノだ。リスクを負うのも分かる。


 でも、この時間。

 このシステムでなければ、活きない形もある。


 そう、このタイミングだ。

 お前も分かってるだろ、愛莉ッ!



「行ってこいッ!!」


 左足から放たれた、矢のようなロングフィード。

 ほとんどシュートと言っても良い強烈なパス。


 残る三人も一気に相手ゴール前へ。

 Herenciaの守備への切り替えより、僅かに速い!



 斜め右前方、コーナーフラッグの辺りへ一直線に飛んで行くボールへ、攻め残っていた愛莉が飛び付く。対応する6番の女性選手は、僅かに反応が遅れた。


 ここまで男性プレーヤーの激しいマークに遭っていた愛莉も、同じ女性相手なら苦労は無い。


 ポジション変更によって生まれたギャップを突くのなら、ここしかねえだろ!



「はあぁぁっっ!!」


 軽快なステップから、空中で巧みに胸トラップ。


 右腕で6番の動きをガードしながら、地面にボールが落ちると同時に左足インサイドで押し出す。見事に相手の股下を通り、一歩前に出ることに成功。


 角度は悪いが、愛莉の決定力。

 そしてパワーを持ってすれば、射程圏内だ!



「ああっ、惜ッしいな!!」

「いや、まだやッ!!」


 グラウンダー性の強烈なシュートは、相手ゴレイロの右足に当たりゴール前をゆらゆらと浮遊する。逆サイドから中央へ走り込む――――比奈!



「飛び込めッッ!!!!」


 エリアへの侵入をさも当然のように阻もうと、市川ノノが身体を寄せていた。やはり分かりやすくユニフォームを引っ張っている。


 このまま倒れれば、ファールを貰えるかもしれないが、そんなことを考えている余裕は無いだろう。



 市川ノノ。

 確かに良いプレーヤーだ。掛け値無しにな。


 でも、ウチの比奈だって負けちゃいない。

 体力も、技術も、献身性も。


 そしてなにより――――お前よりよっぽど、チームのために走れる、本当の意味のなんだよ!



「やああっっ!!」



 会心の一撃。


 数センチ抜け出し、渾身のヘディング。

 ボールは勢いのまま、ゴールマウスへ向かう!




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