172. 分かっているだろうに
「ふーん…………膠着状態だな」
「なかなかチャンスにならないですねっ……」
コートのすぐ脇、ネット越しにフットサル部の試合を眺める有希と峯岸。一向にスコアの動かないゲーム展開をそっくり描き写したように、表情には移ろいが見られない。
序盤の鋭いカウンターの応酬から一転。
相手ゴール前まで迫れない状態が続いていた。
それはHerenciaも同様で、コート中央、センターサークル付近での無難なパス回しに終始しているのは両チームともに変わらない。
ボールポゼッションはどちらかと言えばフットサル部に分があるが、後方の陽翔や比奈から縦パスが出ると、途端に中央を締め切りコースを限定されてしまう。
Herenciaの3番も愛莉の動き出しに適応し始めたのか、或いは完全なマンマークに切り替えたのか。ボールが入るたびにハードな寄せに遭い、綺麗には収まらない。
調子の良さを見せていた瑞希も、ゴール前を人数を掛けて固められたこの状況下では、持ち前のスピードとテクニックの一端さえ披露出来ていなかった。
「上手くいかないですねっ……」
「なんでだと思う?」
「へっ? あ、えーっと……」
質問に質問で返されてしまった有希は、停滞の原因をどうにか探し当てようと頭を抱える。しかし、首を傾げても正解がポロリと零れ落ちてくることは無い。
少し意地悪なことをしたと峯岸も腕を組み直し、深く息を吐いた。確かに、プレーも試合観戦も初心者である有希にこの試合のキーポイントは中々に分かり辛いと、先に口を開く。
「Herenciaが掛けるプレッシャーは、それほど強度の高いものじゃあない。廣瀬のマークに付いている13番も、パスコースを限定するだけで本気で取りに入っていないしな。それは分かるだろ?」
「はい。サッカー部さんとの試合では、坊主頭の方が、もう前からどんどんボールを取りに行っていましたよねっ。ああいうのとはちょっと違うと思いますっ」
その通り。
と一言添えて、再びコートを眺める峯岸。
13番に限った話ではない。他の面々も、あくまで自分の守備位置を丁寧に確認しながら、リスクを取らず守り続けている。
フットサル部の。特に、陽翔や瑞希の個人技。愛莉のボールを呼び込む動きのクオリティーを考えれば、決して突破できない守備網ではない筈なのに。
それでも、ボールは自陣を回り続ける。
序盤の決定機以降、シュートすら無いのだ。
既に前半も終わりに近い。この調子では、スコアはまだ動かないだろう。流れ出る汗を、峯岸は人差し指で掬い弾き飛ばした。
「理由は二つある。まず、距離感が悪いんだ」
「距離感……ですかっ?」
「悪くさせられているってところかね」
右サイドでボールを受けた瑞希が仕掛ける。
少し相手の足に引っ掛かるが、縦に抜け出した。
そのままマイナス気味にクロスを上げるが、3番が巧みに位置取りを制し、ボールを掻き出す。クリアを一度は4番の女性が拾うが、比奈がタイミング寄せて奪い返した。
再びボールは最後方の陽翔へ。
こんな展開が、もう何度も続いている。
「今のもそうだ。金澤が抜け出したタイミングで、長瀬は明らかに準備が出来ていなかった。だから前を取られてクリアされている……だがそれが単純に、長瀬の怠慢と言い切れるかどうか」
「……なにか理由があって遅れてしまった、ってことですか?」
「ラインが高いんだ。Herenciaは」
「ライン?」
意図が分からず、そのまま聞き返す有希。
「確かにHerenciaのプレッシャーは強くない。守備を起点としたチームなのも事実だ……でも、必要以上にゴール前でベタ引きというわけでもない」
陽翔へのバックパスと同時に、Herenciaの面々は一気に前へ前進する。それと同時に、敵陣の愛莉、瑞希、比奈もポジションを下げることとなる。
「攻めに転じるときの、切り替えが追い付いてないんだよ。だから不意にチャンスになったところで、長瀬も金澤もスピードアップが遅れる」
「な、なるほどっ……!」
目を見開き、感嘆の声を挙げる有希。
「プレッシャーそのものの強度は低い。けれど、パスコースだけはしっかり蓋をしている。これじゃアイツらはやりにくいだろうね。あくまで「フットサルチーム」らしい崩し方に拘るってのが、この大会のメインテーマなんだから」
「そう言えば廣瀬さん、さっきからドリブルをほとんどしませんね」
四六時中、ノンストップで首を振りながら味方の位置取りを確認する陽翔。その意識の高さ自体は素晴らしいものであると、峯岸も勿論分かっているのだが。
この試合では、それが命取りになりかねない。
言わなくても、分かっているだろうに。
峯岸の視線は鋭い。
「幾ら廣瀬と言えども、複数人に囲まれた状態じゃ自由には動けない。あくまでフィクソとしての役割を全うし、ゲームをコントロールするのが仕事と割り切っている今の様子じゃ、尚更な」
「……少し無理をする必要があるってことですか?」
険しい表情のまま頷く峯岸。
「Herenciaのポジショニングもかなり良いんだ。強引に仕掛けることも出来ない、一気に局面を打開する縦パスを出させない……取りあえずフリーに近い状態の、近くの奴にパスを出させる。そういう、緩くてダラダラとした展開になるように、敢えて。意図的に守備の強度を下げてるってことさね」
「そんなことが出来るんですね……っ!」
現に峯岸は、Herenciaが対戦した前の二チームがこのゆったりとしたポゼッションのなかでミスが生まれ、そこからボールを奪われカウンターを喰らい失点。という構図を既に目の当たりにしている。
幸いにも、フットサル部のボールポゼッションのクオリティーは前の二チームとは比較にならないほど高く、ほとんどミスが生じないため、このような膠着状態に落ち着いている。
Herenciaは徹底したリアクションチーム。
まだまだオフェンスにおける崩し方を研究、実践し始めたフットサル部からすれば、最も相性の悪い相手と言えるのである。
「そして、二つ目。市川だ」
「あの、マネージャーさんですかっ?」
「ちょっと、想像以上だね。アイツは」
サイド、中央に限らず、コートを自由自在に駆け回る市川ノノ。この暑さにも拘らず、ランニングスピードは全く落ちていない。
「なんだか、いきなりフラっと現れて、ボールに触りますよねっ」
「そう、それなんだよ。これが厄介さね」
どうにか左サイドの高い位置でボールを受けた比奈が、中の状況を確認してパスを出すのだが、瑞希にボールが渡る寸前で見事なパスカットを決める。
そのまま一気に攻め上がろうとするが、陽翔の素早いチェックでコントロールを失い、雑なパスを繰り出したことでラインを割ってしまう。
「見たか、今の」
「はっ、はいっ! ビックリしましたっ! なんだかそのっ、他の人の影からにゅるんっ、って飛び出して来たみたいでっ!」
「廣瀬が前に出なかったら、ピンチだったね」
これぞ峯岸が指摘する、フットサル部が苦戦している二つ目の理由。この前半の間、彼らは一向に市川ノノの存在を捉え切ることが出来ていなかったのである。
特定のポジションに留まらず自由に動き回る市川ノノは、傍から見ればボールに向かってひらすら突進を繰り返す、幼稚園児の球遊びに通じるところが無いとも言えない。
しかし、それが大きなプレッシャーとして機能しているのなら話は別。
加えて、彼女の存在を少し忘れて掛けていた頃に。全く予想できないタイミングで、いきなりボールホルダーの前に現れるのだ。
「私も、アイツの動きがサッパリ読めねえ」
「先生もですかっ……?」
「気付いたら、こう、キーポイントでひょっこりと顔を出すんだよ……ステルス機能でも付いてるのか? アイツ」
思わず峯岸が顔を顰めた瞬間。
ゲームが仄かに動き出す。
コート中央でボールを受けた比奈が、3番の相手選手にボールを奪われたのである。瞬間的に相手がマークを入れ替えていたことで、ほんの僅かな時間、ミスマッチが生じたのだ。
前を向いた3番は、右サイドに流れていた13番へ斜め前方への散らしのパス。そのままマークを担当する陽翔が付いていくが……。
「不味いッ、中央が空いたっ! 戻りが遅せえっ!」
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