171. とんだ食わせ者


 13番の肩を思いっきり掴み、反動でそのまま天高く舞い上がる。この程度でファールを取られるというなら、やってられない。


 ギリギリの攻防に競り勝ち、ヘディングでエリア外へクリア。ボールはそのまま瑞希の下へと転がる。目の前には、3番を背負う相手の男性選手。


 だが、彼女にとってマーカーの存在など、なんの障壁にもならない。前さえ向いてボールを持てば、青緑のコートは一瞬にして彼女の独壇場。軽やかなステップは、宛らダンスを踊るようにしなやかで、華々しい。



「じゃまッ!!」


 ギターの弦が切れたかと聞き違うほどの甲高い声が響き、3番は瞬く間にその場へ置き去りとなる。


 足元に深く差し込んで来たタックルを、左足つま先の機敏なタッチで一旦引き戻し、股の間を通過させるように押し戻す。


 バランスを崩した3番が転倒している間に、瑞希はグングンとスピードを上げ相手ゴール前まで突き進む。


 速い、なんて速さだ!

 相手が全力疾走でも追い付けないドリブルとは!



「長瀬ッ、そのまま!!」

「こっち、瑞希っ!!」


 左サイドに膨らんで並走を続けていた愛莉へ、ボールが渡る。


 さあ、カウンターだ。

 このまま一気に完結と行こうぜ。



 堪らずシュートコースを塞ごうと4番の女性選手が飛び込むが、流石に冷静な愛莉。左脚を振り切ると見せ掛け、中に切り返し巧みに躱す。十八番のキックフェイントだ。


 愛莉のズバ抜けたパワーと決定力を、彼らも前の試合から把握していたのだろう。距離があってもパンチの効いた一撃を放つ彼女の存在は、間違いなくHerenciaの脅威になっている。


 だからこそ、振り上げた左脚がフェイクだと頭のなかでは分かっていても、身体が反応してしまう。どのような結末が待っているか、分からない筈も無いのに。


 改めて見せ付けられるな。

 流石は、生粋のストライカー。

 実力以上に、その有り余る圧がお前の魅力だ。



「撃てッ!!」


 言われなくとも、と雄弁に語るかの如く、口元が僅かに緩む愛莉。右脚を振り上げ、迎撃態勢へと移行する。


 ゴレイロもなんとか防ごうと前に出てくるが、間に合わないだろう。この距離、角度なら、愛莉が決められないわけがない!



「きゃッ!?」

「おーっと、危ない危ないっ!」


 悲鳴にも似た声が響く相手陣地、ゴール前。


 待望の一撃が、ゴールネットに突き刺さることは無かった。愛莉がシュートを放つ、本当にギリギリのタイミング。


 8番を背負う市川ノノが、身体をぶつける。


 バランスを崩した愛莉はそのまま転倒。周囲の準備が整っていないことを察知し、市川ノノはそのままライン外にボールを蹴り出す。


 依然として高い位置でのオフェンスが続く形ではあるが……ビッグチャンスを逃してしまった。クソ、リカバリーも早いじゃねえか。



(……それにしても……)


 あっけらかんとした様子で味方と言葉を交わす市川ノノを眺めながら、考え事をしていた。確かに、完璧なタイミングでの寄せではあったが……どうにも違和感は拭い切れない。



(倒れるほどのチャージか……?)


 愛莉のフィジカル、体幹の強さは、そんじょそこらの女性では太刀打ち出来ないレベルの筈だ。少なくとも、市川ノノとの身体つきの違いや身長差は歴然たるものがある。


 決して削りに行くような、ハードなタックルでは無い。にも拘らず、いとも簡単にボールを掠め取って見せた。



「大丈夫か」

「うん、平気っ……上手いわね、あの子」

「……なにされたんだ?」

「……ユニフォーム、引っ張られた」


 ……なに……?


「左の脇腹あたりかなっ……多分、誰からも見えない角度で、思いっきり、グイって。ちょうど私の身体で、審判からもブラインドになってたと思う……」

「……やってくれるじゃねえか」

「ファールにならなかったら、正当手段よ」


 愛莉の言うことに間違いは無いのだが。表情はやや険しく、真っ直ぐその犯人を睨み付ける。


 視線に気付いたのか、市川ノノはこちらに顔を向けて、なんともなかったのように見慣れ始めた笑顔を振り撒く。


 わざとやったな、あの野郎。

 可愛らしい子だと思っとったけど。ちょこざい奴め。



 幾ら危険なチャージやタックルでも、審判の目に留まらない限りファールを取られることは無い。

 これを良いことに、死角を利用して相手とゴチャゴチャやり合うのは、珍しい話でもない。


 マリーシアとも呼ばれる反則スレスレのプレーは、決して褒められたものでは無いと同時に、厳しい闘いを勝ち抜く上では避けて通れない道だ。だが、まさかよりによって、アイツに噛まされるとは。



「クールに行けよ。退場したら試合終わっからな」

「分かってる」


 とはいえ、複雑な表情で凝り固まってすぐには元に戻らないであろう。どうにか市川ノノから離れて仕掛けるか、ファールアピールで手を封じなければならない。



 試合はキックインで再開。

 比奈がボールをセットし、パスの出し処を窺う。



「比奈、こっちだ」


 左サイド、タッチライン際でボールを受け、再び一から作り直し。同時に比奈は俺の後方へと下がり、自陣からポゼッションを始められるよう準備を整える。



(……無えな……無理は禁物か……ッ)


 元より分かっていたことではあるが。

 やはりこのチーム。守備には隙が無い。


 先ほど瑞希に簡単に突破されてしまったとはいえ、3番の男性選手も細やかに位置取りを変え、愛莉の動き出しを制限している。


 ここまであまり目立っていない4番の女性も瑞希をしっかり見ているし、13番は俺をターゲットに定めて程よい距離を保ち続けている。


 市川ノノにしても…………いや、比奈は今、俺より後ろに居るのだから、誰のマークもしていないのか。自陣の中央辺りをフラフラとしているな。



「瑞希っ……いや、無理。比奈っ」

「はいはいっ!」


 隙を突いて瑞希に出そうとしたのだが、寸前で辞めた。市川ノノが距離を縮め、パスカットを狙っていたことに気付いたからだ。


 後方でパスを受けた比奈は、前線二人へのパスコースを模索するが、そのまま前線へ上がって来た市川ノノを警戒し、俺へリターンパス。


 すると、さっさと諦めて彼女は自陣へ帰還する。

 俺は無理でも、比奈なら取れるとでも?


 舐めやがって。お前より上手えよ比奈は。



(…………しかし、理には適っている)


 再び始まるフットサル部の緩やかなポゼッション。俺、比奈、瑞希で少しずつ立ち位置を入れ替え、パス回し。


 時折、前線の愛莉にくさびのパスが入るが、とても前を向ける状態では無く、そのまま自陣にボールが戻って来る。



 やはり、そうだ。


 俺たちが攻撃に行き詰まるとき。

 パスコースを塞いでいるのは、必ず。

 いつも、市川ノノ。



 そうか。そういうことか。


 彼女がコート上をふらついているように見えるのは、ただボンヤリと走っているからではなく。


 ボールの行先に、真っ先に食い付けるよう、意図的に守備の仕事を限定しているということか。ここまで見せた二度の軽快な守備を考えて、Herenciaは市川ノノのポジショニングの妙を一定数信頼して、このような自由を与えていると。


 なにがそれなりの技術だ。

 なにが幸運の女神だ。

 なにが13番中心の、カウンターチームだ。


 Herenciaの中心は、間違いなく彼女。

 試合のカギを握っているのは、市川ノノだ。


 とんだ食わせ者だぞ、コイツ……!


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